中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。本名は重雄。 長野県伊那郡大草村(現・中川村)出身。生家である塩沢家は養命酒の製造元であり、地元の名家であった。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)に入学し、2年上の窪田空穂(後に歌人)、1年下の吉江喬松(後に作家)らの影響で文学に興味を持つようになる。中学卒業後、第二高等学校(現・東北大学)に入学。ここで次第に西洋文学に興味を持つようになり、特にヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に熱中した。1899年(明治32年)、南安曇郡梓村の中沢良作の養嗣子に入ると同時に結婚し、中沢姓となる。
出典:ウィキペディア「中沢臨川」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
