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塩崎定夫

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塩崎 定夫(、1925年(大正14年)9月16日 - 2016年(平成28年)2月29日)は、輸送用機器メーカー本田技研工業(以下「ホンダ」)の従業員だった人物で、同社の鈴鹿製作所(1960年操業開始)、鈴鹿サーキット(1962年完成)の建設計画の一端を担ったことで特に知られる。 塩崎はホンダ草創期の1951年に入社し、入社間もない頃から生産管理の分野で頭角を現した(→#本田への直訴)。1958年から1960年にかけて同社の鈴鹿製作所の建設計画において、責任者の白井孝夫の下で建設の管理監督者として関与し(→#鈴鹿製作所の建設)、次いで1960年から1962年にかけて、日本初の全面舗装の常設サーキットである鈴鹿サーキットの建設計画において、建設実施の責任者を務めた(→鈴鹿サーキットの建設)。

出典:ウィキペディア「塩崎定夫」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋