阿部 規秀(あべ のりひで、1887年(明治20年) 9月8日 ‐ 1939年(昭和14年) 11月7日)は、日本陸軍の軍人。陸士19期。最終階級は中将。正四位勲一等功三級(追贈)。 日中戦争にて八路軍との交戦中に戦死し、中将としては帝国陸軍の創設以来初の戦死者となった。 青森県旧北津軽郡七和村羽野木沢(現五所川原市)出身。衆議院議員・阿部武智雄の次男。就学前から一つ上の兄について行って小学校に出入りしており、教師の計らいで二年生に中途入学扱いとなる。そのため、兄と同学年として青森県立第一中学(現:青森県立弘前高等学校)に進学した。弘前では中士士族の鎌田家に下宿し、城陽館で剣道に打ち込んだ。 1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校を卒業。
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