猶原 恭爾(なおはら きょうじ、1908年(明治41年)4月- 1987年(昭和62年)4月11日 )は、日本の植物生態学者である。資源科学研究所研究員を経て、山に牛を放牧する酪農である山地酪農を提唱し日本に広めた。岡山県高梁市出身。 1908年(明治41年)に岡山県高梁市で出生。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学を経て、1928年(昭和3年)に鹿児島市にある第七高等学校理科甲類へ進学する。1931年(昭和6年)同校を卒業し、1932年(昭和7年)東北帝国大学理学部生物学教室へ入学する。1935年(昭和10年)3月に同大学を卒業した。 猶原は大学卒業後、1938年(昭和13年)30歳とき、東京府大泉師範学校の設立時教諭となり、同時期に、企画院の外郭団体として設立された大日本帝国の国策調査・研究を行う機関である東亜研究所に所属する。
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