白鳥 鴻彰(しらとり こうしょう、1864年4月30日 - 1915年4月11日)は、日本の政治家 、教育者。 白鳥家は、代々庄屋を務め、弘前藩主津軽家から苗字帯刀を許された家柄であった。2代藩主津軽信枚の生母・栄源院(津軽為信の側室。白鳥長久の娘とも。堀越城代・白取伊右衛門の妹。弘前藩家老職・白取瀬兵衛信次は甥にあたる)の生家の分家で、白鳥長久の末裔 という。白鳥氏は津軽家に仕えた後、「白鳥」を「白取」と改め、明治維新後に再び「白鳥」と改めた。 白鳥鴻彰は元治元年3月25日に津軽郡荒川村(現:青森市荒川)に、 白鳥慶一・いそ夫妻の長男として生まれる。幼名は初太郎または八太郎。 父・慶一は明治11年(1878年)に府県会規則が公布され、明治12年(1879年)3月県会の開催が決まると第1回の青森県会議員選挙に立候補、当選。
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