志賀 淑雄(しが よしお、1914年(大正3年)3月28日 - 2005年(平成17年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。最終階級は海軍少佐。東京都出身。旧姓は四元。 大正3年、東京府(現・東京都)で四元賢助海軍少将の三男として生まれる。本籍は鹿児島。父の賢助は、海軍兵学校教官として山本五十六、豊田副武らを教えており、子供の教育にも厳格であった。山口中学を経て、1931年(昭和6年)4月海軍兵学校62期に入学。同期に伏見宮博英王がおり、伏見宮が掃除の時間に列に割り込んだ際、志賀はそれを注意してバケツを蹴飛ばした。その件が殴ったという噂に飛躍して多少の摩擦も生じたが、後に父の訃報を受けた志賀に帰宅許可が出たのは伏見宮の計らいであった。
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