倉永 辰治(くらなが ときはる、1888年(明治21年)7月13日 - 1937年(昭和12年)8月29日)は、大正・昭和初期の軍人。佐賀郡東与賀町(現佐賀市東与賀町)出身。最終階級は陸軍少将(戦死特進)。 1888年、東与賀村立野で、元佐賀藩士の袋武辰の次男として生まれる。兄は戦後酪農の振興や旧佐賀競馬場の開設に尽力した袋正美。与賀高等小学校から佐賀中学校、さらに陸軍士官学校(陸士23期)、陸軍大学校(陸大34期)に進んだ。なお陸軍中尉時代に父の実家である藩の元馬術指南倉永勝太郎の跡を継いで倉永姓となっている。 陸大卒業後、第59連隊中隊長、第20師団、第11師団参謀、陸軍歩兵学校教官を経て、1935年(昭和10年)歩兵大佐に昇任。
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