スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
アユニ・D(アユニディー、1999年10月12日 - )は、… アユニ・D(アユニディー、1999年10月12日 - )は、日本の歌手。ソロプロジェクトPEDROのメンバー。BiSHの元メンバー。北海道札幌市出身。浪漫惑星所属。 2016年6月2日にBiSHのメンバーのハグ・ミィが脱退したことを受けて開催されたBiSHの新メンバーオーディションにて選ばれ、2016年8月1日にBiSHに加入した。2016年8月24日にZepp Tokyoにて開催されたでのBiSHのワンマンライブ「TOKYO BiSH SHiNE repetition」のアンコールにてお披露目された。 BiSH在籍中にはBiSH「本当本気」の作詞を行ったのを皮切りにBiSH「S・H・i・T」などの作詞を行った。
荒野 拓馬(あらの たくま、1993年4月20日 - )は、… 荒野 拓馬(あらの たくま、1993年4月20日 - )は、北海道札幌市白石区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2010シーズン、高校2年生でリーグ戦にデビューし、コンサドーレ札幌での最年少出場記録(17歳187日)を持つ。同じく同チームののアカデミー出身で2歳年上の古田寛幸は東川下サッカースポーツ少年団時代からの先輩である。 U-18時代は3年生時に背番号10を背負い、2011年より新設されたプレミアリーグイーストではチームを優勝に導く。同年11月13日、小山内貴哉、榊翔太、奈良竜樹、前貴之と共に2012年以降のトップチームへの昇格が発表された。
澤田 京介(さわだ きょうすけ、1988年2月16日 - )… 澤田 京介(さわだ きょうすけ、1988年2月16日 - )は、日本の元プロボクサー。第74代日本バンタム級王者。北海道石狩市出身。JB SPORTSボクシングジム所属。血液型はAB型。 札幌工業高校卒業後、日本大学に入学。2013年4月6日のプロデビュー戦は判定負け。2019年10月26日に後楽園ホールで日本バンタム級2位の田中一樹とチャンピオンカーニバル最強挑戦者決定戦を行い、8回3-0(77-75×2、78-74)判定勝ちで日本王座への挑戦権を獲得した。 2020年4月、日本王者鈴木悠介と対戦予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期。さらに2021年1月25日には鈴木が右目の網膜剥離の発症で引退したため、同年日本バンタム級王座決定戦が組まれる。
三島 来夢(みしま らいむ 1981年3月15日 - )は、… 三島 来夢(みしま らいむ 1981年3月15日 - )は、日本の元プロレスラー。 闘龍門の5期生として入門後にT2Pの一員としてメキシコへ渡り、2000年11月10日にデビュー。当初は青タイツにレガース、得意技など新日本プロレスの永田裕志を意識したキャラクターだった。しかし負け試合が続いたため、ミラノ・コレクションA.T.から戦力外通告を受けT2Pをリストラ、闘龍門JAPANに移籍する。正規軍、新M2Kに所属するがここでも不甲斐ない試合が続き、M2Kを解雇される。その後、岩佐卓典と岩佐軍団を結成しようと画策するが岩佐が15番勝負で1勝もできなかった(全て三島がリング内にタオルを投げた事によるTKO負け)ため失敗。
本間 篤史(ほんま あつし、1971年2月3日 - )は、北… 本間 篤史(ほんま あつし、1971年2月3日 - )は、北海道札幌市出身の車いすカーリング選手、車いすラグビー選手。かつてはモーグル選手として活躍していたが、大怪我を負った後、パラスポーツ競技に取り組んだ。 北海道札幌工業高等学校時代はアルペンスキー選手だったが高校卒業後、アサヒビールに入社した1989年からモーグル選手に転向した。 1998年長野オリンピックの指定強化選手にもなったが、同年3月、スキー滑走中に転倒し、頸椎損傷、第7頸骨粉砕骨折、第5,6頸骨ヒビの大怪我を負い、首から下が不自由になり車椅子生活を余儀なくされる。 2000年春にアサヒビールの社業に復帰。 大怪我からの復帰以降はパラスポーツに取り組み、チェアスキー、車いすラグビー、車いすカーリングなどに挑戦。
岩本 恭生(いわもと きょうせい、1952年〈昭和27年〉4… 岩本 恭生(いわもと きょうせい、1952年〈昭和27年〉4月3日 - )は、日本のものまねタレント、俳優。北海道札幌市出身・在住。愛称はガンちゃん。本名は岩野 恭一(いわの やすかず)。株式会社ロックフィールド所属で、元所属事務所であるジェイズファーイーストと業務提携。芸能活動20周年を迎えた2008年2月より岩本 恭省(読み同じ)に改名していたが、2012年2月より再び岩本 恭生に芸名を戻した。 北海道札幌工業高等学校工芸科卒業後、宝石の勉強のためロンドンに渡るも、歌手に志望変更した。 1970年代半ばにニューミュージック系のデュオ「ペペルモコ」を結成し、HBCラジオのレギュラーパーソナリティを務めた。
幸斉 たけし(こうさい たけし、1947年8月8日 公称 -… 幸斉 たけし(こうさい たけし、1947年8月8日 公称 - )は、日本の歌手、ソングライターである。本名は平田 満(ひらた みつる)、歌手としての芸名は平田 満(ひらた みつる)(「エリートメン」「シャネル・ファイブ」時代の旧芸名は原 みつる(はら みつる))である。1976年(昭和51年)、東北弁ラップの先駆『愛の狩人』のみのヒットを持つ、いわゆる「一発屋」として知られているが、のちに平田がセルフカヴァーした木立じゅんの1968年(昭和43年)のヒット曲『484のブルース』の作詞・作曲者である。 1947年(昭和22年)8月8日(公称)、北海道に生まれる。 1968年(昭和43年)、テイチクレコード(現テイチクエンタテインメント)から木立じゅんがリリースしたシングル『484のブルース』に作詞・作曲した表題曲を提供したことが、現在、歌謡史に現れる平田の最初の記録である。
金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )… 金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )は、日本の男性プロボクサー、キックボクサー。北海道札幌市出身。アベボクシングジム所属。戦績41戦30勝(17KO)10敗1分。 北海道札幌工業高等学校在学中に札幌ジムでボクシングを始め、1963年には全日本社会人フライ級で優勝。 当初は協栄ジム入門を希望していたが結果的にアベボクシングジム所属で1965年7月18日、市川清戦でプロデビュー。 ルーベン・オリバレスとは1969年に1度対戦したが、その際は2RKO負けだった。1971年7月2日、孫永煥を5RKOで下し、OBF(現OPBF)東洋バンタム級王座を獲得。 同年10月25日、愛知県体育館でルーベン・オリバレスが持つWBA世界王座に挑戦した。
石水 勲(いしみず いさお、1944年〈昭和19年〉5月4日… 石水 勲(いしみず いさお、1944年〈昭和19年〉5月4日 - 2021年〈令和3年〉9月26日)は、日本の実業家、経営者。石屋製菓名誉会長。 北海道札幌市の製菓メーカー石屋製菓の創業者である石水幸安の長男にあたる。また、元北海道放送所属のアナウンサー・山田泰子は義娘である(長男の妻)。 関東州大連市生まれ。戦後日本に引き揚げ、広島県広島市、北海道深川市、札幌市で育つ。北海道札幌工業高等学校を経て東洋大学経済学部経営学科を卒業後、1967年(昭和42年)に実父・幸安が経営する石屋製菓に入社。入社後は、仕事の後に菓子職業訓練校に入り、菓子作りを学んだ。専務などを経て1980年(昭和55年)に代表取締役社長に就任。
中村 曻(なかむら のぼる、1938年-2023年 )は、北… 中村 曻(なかむら のぼる、1938年-2023年 )は、北海道出身の家具デザイナーである。 1938年、北海道恵庭市に生まれる。北海道札幌工業高等学校卒業。1956年、旭川市の上川木工商品開発デザイン課に入社する。1969年に渡欧し、スウェーデンのカール・マルムステン木工技術学校に入学。さらに翌年、Konstfackskolanスウェーデン王立美術工芸大学の家具インテリア科のスペシャルスチューデントとなる。1973年、Gip & Quvist設計事務所に勤務後、イケア社の開発部デザイン課に入社。日本人で初めてイケア社の専属デザイナーとなった。1978年に帰国してFurniture Design Nackaを設立。
菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を… 菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を中心に活動する写真家、画家、実業家。北海道江別市出身。 1952年北海道札幌工業高等学校採鉱科卒業。同年、三菱鉱業芦別鉱業所に入社。1954年に同社を退職し、画家に転向。1955年に読売日本アンデパンダン展に出展や、東京・銀座養生堂画廊で個展を開催。 北海道振興代表取締役社長久末鉄男の助力を得て、1964年にスナックバー (飲食店)の「バー・サン」を経営。さらに、シャンソンバーやパブを手掛け、1966年ドリームフード株式会社を札幌に設立し、同社代表取締役社長に就任。1970年に居酒屋「いろはにほへと」を札幌にオープンさせ、全国にチェーン店方式を採用し、「いろはにほへと」のほか「春花秋灯」「常盤うどん」などの飲食店チェーンを札幌圏を中心に出店する一方、関東、関西、東北にも進出。
井上 和雄(いのうえ かずお、1929年〈昭和4年〉10月 … 井上 和雄(いのうえ かずお、1929年〈昭和4年〉10月 - )は、日本の時計職人。父は昭和初期より札幌時計台の保守を無償で始めた時計職人の井上清。戦後間もない頃より、父と共に時計台の保守に取り組み、親子二代で70年以上にわたって、時計台の保守と整備を手掛けた。 1929年(昭和4年)10月に札幌市で、井上清の長男として誕生した。時計店に生まれたことで、「門前の小僧」として自然に、時計の技術を身につけた。学校でも教員から「大きくなったらお前が時計台を守るんだ」と言われていたが、実際には時計よりも飛行機が好きであり、少年時代は模型飛行機に熱中した。趣味が高じて戦中の1944年(昭和19年)、少年工として日立航空機羽田工場に就職し、海軍飛行予科練習生の練習機の製作を手掛けた。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
西田 信一(にしだ しんいち、1902年10月15日 – 2… 西田 信一(にしだ しんいち、1902年10月15日 – 2003年4月10日)は、昭和期の政治家、参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第22代)、科学技術庁長官(第31代)。 北海道空知郡岩見沢町(現・岩見沢市)に、鉄道員・西田栄次郎の長男として生まれる。両親はいずれも富山県出身。 高等小学校卒業後、郵便局員、鉄道員を経て、札幌工業学校(現・札幌工業高校)に入学する。 1924年札工を卒業後、苫小牧工業学校(現苫小牧工業高校)助教諭を経て、1928年苫小牧町役場に入庁する。仕事の傍ら王子製紙アイスホッケー部のコーチも務め、1932年には全日本選手権大会で初出場・初優勝の快挙を成し遂げた。土木課長、助役を経て、1946年4代目苫小牧町長に就任する。