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五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月… 五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日)は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。
富田 朝彦(とみた ともひこ、1920年〈大正9年〉7月3日… 富田 朝彦(とみた ともひこ、1920年〈大正9年〉7月3日 - 2003年〈平成15年〉11月13日)は、日本の警察官僚。第3代宮内庁長官。位階は正三位。北海道出身。 函館中学、旧制二高を経て、昭和18年(1943年)東京帝国大学法学部を卒業後、海軍を志願し、同年9月30日海軍三校のひとつ海軍経理学校に入学。 1944年2月、同校を卒業し海軍主計科士官(主計科短期現役第10期)となる。最終階級は海軍主計大尉。 戦後、内務省に入省。大臣官房属。その後は警察庁に入り警視庁交通部長、警察庁長官官房長、警察庁警備局長を歴任する。警備局長時代の警察庁長官は後藤田正晴であさま山荘事件などを担当した。その後、警視庁副総監、内閣調査室長を経て、1974年(昭和49年)11月26日 宮内庁次長、1978年(昭和53年)宮内庁長官に就任した。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。