スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大築 紅葉(おおつき くれは、1983年(昭和58年)10月… 大築 紅葉(おおつき くれは、1983年(昭和58年)10月16日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 YouTubeの公式チャンネル名や公式サイトなどでは「おおつきくれは」の表記を用いており、Xのアカウント名や衆議院議員としては「おおつき紅葉」の表記で登録している。 北海道小樽市出身。小樽市立幸小学校、小樽市立長橋中学校、北海道小樽潮陵高校卒業。高校卒業後、イギリスへ留学し、バーミンガムシティ大学でジャーナリズムを学んだ。帰国後はフジテレビに入社し、報道局政治部の記者として野党キャップを務めた。在職中に2児を出産した。 2021年6月、立憲民主党の北海道4区衆院議員だった本多平直の不適切発言が判明し、翌月本多は議員辞職。
中村 裕之(なかむら ひろゆき、1961年2月23日 - )… 中村 裕之(なかむら ひろゆき、1961年2月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、文部科学副大臣。 農林水産副大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、文部科学大臣政務官(第4次安倍第1次改造内閣)、衆議院文部科学委員長、同原子力問題調査特別委員長、北海道議会議員(3期)、自由民主党北海道支部連合会長などを歴任。 北海道余市郡余市町出身。北海道小樽潮陵高等学校、北海学園大学経済学部を卒業し、北海道庁総務部札幌北道税事務所に勤務。 1989年から中村建設株式会社に入社し、1993年より代表取締役。北海道PTA連合会会長、日本PTA全国協議会副会長、(社)日本青年会議所道南ブロック会長等を歴任。
迫 俊哉(はざま としや、1958年8月18日 - )は、日… 迫 俊哉(はざま としや、1958年8月18日 - )は、日本の政治家。北海道小樽市長(2期)。 北海道小樽市富岡に生まれる。小樽市立稲穂小学校、小樽市立西陵中学校、北海道小樽潮陵高等学校卒業。高崎経済大学経済学部卒業後、1982年4月小樽市役所に入庁。総務部長、教育部長などを歴任。高校・大学と野球部に所属し、小樽野球協会の部長も務めている。 2017年2月退職。翌2018年、小樽市長森井秀明の辞職に伴い8月26日に行われた市長選に出馬し森井ら3人を破り初当選を果たした。※当日有権者数:103,094人 最終投票率:54.88%(前回比:-5.33pts) 2022年8月7日投開票の市長選挙で新人2人を破り再選。
上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、… 上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、日本の政治家。元北海道登別市長(5期)。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、1957年北海道大学農学部卒業。1957年北海道庁に入庁。根室支庁産業課に勤務。1980年同庁後志支庁経済部長。1983年同庁農務部農政課長。その後、同庁胆振支庁長。 1988年7月21日、登別市長の中浜元三郎が、市役所で発生した汚職事件の責任をとるとして辞職。これに伴って8月28日に行われた登別市長選挙に選に立候補し初当選した。以後連続5期。 北海道市長会副会長や北海道市長会会長を歴任。2008年市の医療費助成事業で、市が委任払いした高額療養費約4500万円が回収困難となっている問題について、責任を取ること等を理由に引退した。
新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日… 新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日 - 2017年(平成29年)7月17日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道副知事、小樽市長。 北海道小樽市に生まれる。小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学経済学部を卒業。国家公務員試験に通ったものの結核を患い、5年間の浪人の末、1955年(昭和30年)北海道庁に奉職する。上川支庁税務課から出納局を経て、1962年(昭和37年)より商工観光部勤務となる。鉱政課長時代にオイルショックを経験したのを機にエネルギー問題を学び、道庁きってのエキスパートとなる。
箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年… 箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年5月14日)は、日本の政治家、医師。位階は従三位。 郵政大臣(第42代)、防衛政務次官、衆議院議員(8期)を歴任した。 北海道小樽市生まれ。小樽市中学校(現:北海道小樽潮陵高等学校、小樽市立長橋中学校)、北海道帝国大学(現:北海道大学)医学専門部卒業。第二次世界大戦末期の1945年3月に陸軍軍医見習士官に任官し、同年8月に終戦を迎える。翌1946年より日本医療団寿都病院(現:寿都町立寿都診療所)外科医長。1948年、寿都町に箕輪外科医院を開業。1952年に小樽市に戻り、稲穂で箕輪外科医院を開業。 1960年、薄田美朝(元警視総監。後に衆議院議員)に見出され第29回衆議院議員総選挙に旧北海道第1区(定数5)から保守系無所属で立候補したが、立候補者9人中7位で落選する(当時の旧北海道1区では日本社会党の横路節雄や自由民主党の椎熊三郎(元衆議院副議長)、高田富與(元札幌市長)ら有力候補がしのぎを削っていた)。
3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日… 3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家、実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。 3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。 父の公職追放直後の1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補するも選挙戦途中で辞退。1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧北海道1区より立候補し、初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫・鯨岡兵輔・奥野誠亮など。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
椎熊 三郎(しいくま さぶろう、1895年4月11日 - 1… 椎熊 三郎(しいくま さぶろう、1895年4月11日 - 1965年7月27日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(9期)、衆議院副議長(第39代)、衆議院議院運営委員長(第10代)などを務めた。 北海道利尻郡鴛泊村(現・利尻富士町)に生まれ、単身で小樽市に渡る。苦学しながら1914年に小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を卒業後、へき地教育に携わった後に1918年に『小樽新聞』社会部記者となる。社内の賃上げ争議に加わって退職処分に遭うが、小樽商業会議所会頭だった山本厚三に認められ、秘書として迎えられる。小樽に普通選挙期成同盟を設立して幹事長となり、普選運動に邁進する。
堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 -… 堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 - 1976年(昭和51年)10月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 北海道岩内郡、のちの岩内町で生まれる。北海道庁立小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業した。 小樽市の醸造業者で経験を積んだ。1924年(大正13年)不況のため経営不振となった北海道内4酒造業者を救済する合併事業に参画し、合同酒精が設立され専務に就任。1945年(昭和20年)同社長となる。1946年(昭和21年)旭川商工会議所会頭に就任した。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で北海道地方区から出馬して当選。以後、第3回、第5回通常選挙でも当選し、参議院議員を連続3期務めた。