スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
近藤 太郎(こんどう たろう、1994年9月8日 - )は、… 近藤 太郎(こんどう たろう、1994年9月8日 - )は、北海道北見市出身のスピードスケート選手。ANAエアポートサービス所属。専修大学在学中に2014年ソチオリンピックに出場。 駒澤大学附属苫小牧高等学校時代に全国高等学校スケート選手権大会スピード競技1000M・1500Mで優勝。高校卒業後は専修大学経営学部へ進学し、スピードスケート部に所属。 在学中に2014年ソチオリンピックに出場したが、1000Mは35位・1500Mでは31位に終わった。大学卒業後は、ANAエアポートサービスに入社し競技を続ける。 引退後は、母校専修大学スピードスケート部の監督に就任。
高山 梨沙(たかやま りさ、1993年6月29日 - )は、… 高山 梨沙(たかやま りさ、1993年6月29日 - )は、北海道網走郡美幌町出身の女子スピードスケート選手である。安平町立早来中学校、駒澤大学附属苫小牧高等学校卒業。富士急行所属。妹である高山菜摘もスピードスケート選手。 小学校2年でスケートを始める。 小4で千歳市に移り、早来町(現・安平町)の少年団に入団。スピードスケートを本格的を打ち込む。小6で早来町に再び移住。 中学進学後に才能が開花。1年で3000mで全国準優勝。2年では全国優勝。真駒内選抜5000mで史上初の中学生優勝を果たした。 2008年にISUワールドカップ日本代表に選ばれる。中学生の選出は史上初。
押切 美沙紀(おしぎり みさき、1992年9月29日 - )… 押切 美沙紀(おしぎり みさき、1992年9月29日 - )は、北海道中札内村出身のスピードスケート選手。富士急行所属。妹はボブスレーとラグビーの選手押切麻李亜。 ソチオリンピック、平昌オリンピックに出場。世界距離別選手権の団体パシュートで銀メダルを2回獲得している。2017年12月に髙木美帆に更新されるまでは、女子1500mの日本記録保持者であった。 同学年で出身地が近い髙木菜那と小学校時代から切磋琢磨するライバル関係を築く。中札内中学校では全国中学校大会で優勝。駒澤大学附属苫小牧高等学校進学後は2年生次の2010年1月、インターハイ500mで優勝。3月にモスクワで行われた世界ジュニアスピードスケート選手権大会では高木菜那・美帆姉妹とともに出場したチームパシュートで銀メダルを獲得。
松井 宏佑(まつい こうゆう、1992年9月24日 - )は… 松井 宏佑(まつい こうゆう、1992年9月24日 - )は、競輪選手、元スピードスケート選手。日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンク(練習地)は平塚競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第113期生。師匠は三ツ井勉(45期)。 北海道斜里郡清里町出身。実家は寺(曹洞宗 龍川寺)で、3人兄弟の次男。 駒澤大学附属苫小牧高等学校時代、全日本ジュニアスピードスケート選手権大会で総合3位、世界ジュニアスピードスケート選手権大会のチームパシュートで4位などの実績を挙げる。 その後、専修大学経済学部に進学したが、最終学年での留年が確定したことが原因でスピードスケートの競技活動を断念。その後、某パチプロのSNSを閲覧していたところ、元競輪選手がやっている居酒屋が平塚にあるとの情報が目に留まり、そこのオーナー(上田康雅)から、師匠となる三ツ井勉を紹介された。
石澤 志穂(いしざわ しほ、女性、1986年10月23日 -… 石澤 志穂(いしざわ しほ、女性、1986年10月23日 - )は、日本の元女子スピードスケート選手。専門は長距離。バンクーバーオリンピック、ソチオリンピック日本代表。トランシス所属。現在は帯広大谷短期大学勤務、管理栄養士。 北海道中札内村出身。中札内村立中札内小学校、同中学校を経て、駒大苫小牧高校に進んだ。高校卒業後は(株)岸本医科学研究所に所属。 全日本スピードスケート選手権大会で2005年・2006年と4位入賞を連続で果たし、2006年、20歳でISUワールドカップに初出場。2009年の世界距離別スピードスケート選手権大会に出場し、3000m17位、5000m14位。翌年のバンクーバーオリンピックにも出場し、3000m15位、5000mでは9位となった。
穂積 雅子(ほづみ まさこ、1986年9月11日 - )は、… 穂積 雅子(ほづみ まさこ、1986年9月11日 - )は、北海道千歳市出身の元女子スピードスケート選手である。2010年バンクーバーオリンピック女子団体パシュート銀メダリスト。血液型はA型。駒澤大学附属苫小牧高校卒業、元ダイチ所属。 福島県福島市出身の両親の元に生まれる。名前は女優の夏目雅子から、大ファンだった母親が名づけた。「強く美しく、ヒマワリのように育ってほしい」と願いを込めた。なお、本人の誕生日は夏目雅子の1周忌の日にあたる。 千歳市立日の出小学校の体育の授業で初めてスケートをしたのがきっかけでスケートを始める。小学校時代は「大会で勝つと夕張メロンが貰える」という理由でトライアスロンに熱中していた。
田畑 真紀(たばた まき、1974年11月9日 - )は、日… 田畑 真紀(たばた まき、1974年11月9日 - )は、日本の女子スピードスケート選手及び同自転車競技選手。 北海道勇払郡むかわ町(旧・鵡川町)生まれ。駒澤大学附属苫小牧高等学校出身。同校スピードスケート部監督。富士急、ダイチを経て日本建物管財に所属。短距離から長距離までこなすオールラウンダー。
山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は… 山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元スピードスケート選手。1994年リレハンメルオリンピック銅メダリスト。現姓・山中。 3歳頃からスケートを始める。白老中学校1年の時に全国中学校体育大会で優勝した。駒大苫小牧高校を卒業後、王子製紙に入社し、全日本スピードスケート選手権などで活躍。スピードスケートの種目では主に中・長距離を得意とした。 だが1992年の年明けに脳腫瘍を患い入院。1993年春頃には左足首の靱帯を断裂する大怪我を追い手術を受ける。このケガを機に、足に負担が掛からない小刻みなピッチ走法に変えた所、これが功を奏してスピードスケートの自己記録を次々と更新し、翌1994年に自身初の冬季オリンピック日本代表に選出された。
椿 文子(つばき あやこ、1969年12月3日 - )は、日… 椿 文子(つばき あやこ、1969年12月3日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手(冬季五輪日本代表選手)。農業家(北海道指導農業士)・教育者・スケート指導者(日本スケート連盟強化コーチ)。鵡川農業協同組合(JAむかわ)理事を務めた。 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町)の生まれ。少女のころスケートを始め、瞬く間に全国大会で活躍した。 1994年、リレハンメルオリンピックに日本代表として出場。500mに出場した。同年、外ノ池亜希、新谷志保美らとともに長野県スケート連盟栄光賞を受ける。1998年、長野オリンピックに日本代表として出場。500mに出場した。 2006年、トリノオリンピック日本代表コーチ。
楠瀬 志保(くすのせ しほ、本名:森野志保、1969年10月… 楠瀬 志保(くすのせ しほ、本名:森野志保、1969年10月23日 - )はスピードスケート選手。リレハンメル冬季五輪におけるスピードスケート競技スピードスケート女子1000メートルで6位入賞した元オリンピック選手。北海道別海町出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校、日本体育大学卒業。 息子の森野太陽もスピードスケート選手。
関 ナツエ(せき なつえ、1966年6月10日 - )は、北… 関 ナツエ(せき なつえ、1966年6月10日 - )は、北海道鵡川町(現・北海道むかわ町)出身のスピードスケート・自転車競技選手である。三協精機(現日本電産サンキョー)所属。 駒大苫小牧高校ではインターハイ1500mで3連覇を達成。1988年カルガリーオリンピックに1500m・3000m・5000mで出場し、同年に開催されたソウルオリンピックにも自転車ロードレースで出場した。高校の2年先輩でもある橋本聖子とともに、日本人初の夏冬オリンピック出場となった。
鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日… 鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日 - )は、北海道鵡川町(現北海道むかわ町)出身のスピードスケート選手。 1962年(昭和37年)5月15日、北海道勇払郡鵡川町(現むかわ町)出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校を経て三協精機(現日本電産サンキョー)へ入社。 高校時代よりスピードスケート選手として頭角を現し、高校1年時に2000mリレーにて高校日本新記録を樹立、その後も、500m1000mで表彰台に上る。数々の世界大会に出場。1984年のサラエボオリンピック日本代表として男子500mに出場した。500m、1000m両距離に強さがあったスプリンター。 1983年ドイツ国際大会・中国国際大会では500m優勝の実績もある。
太田 裕子(おおた ゆうこ、本名:八重樫 裕子(やえがし ゆ… 太田 裕子(おおた ゆうこ、本名:八重樫 裕子(やえがし ゆうこ、旧姓:太田)、1957年4月26日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道出身。 駒大苫小牧高校在学中の1976年、インスブルックオリンピック代表に選出、1000m20位、1500m24位、3000m19位の成績を残した。 高校卒業後王子製紙に入社、結婚して姓が久慈に代わった後、1979年の第48回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。 1980年1月の世界オールラウンド選手権では総合16位。レークプラシッドオリンピック代表に選出されたが、1000m25位、1500m23位、3000m25位に終わった。