スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 亜有子(さとう あゆこ、本名・平 亜有子〈たいら あゆ… 佐藤 亜有子(さとう あゆこ、本名・平 亜有子〈たいら あゆこ〉、1969年10月19日 - 2013年1月5日)は、日本の作家。 1969年10月19日、岩手県出身。1989年、岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、1994年、東京大学文学部仏文科卒業。 1996年、『ボディ・レンタル』で文藝賞優秀作に選ばれ、東京大学出身である大江健三郎の後輩が書いた性愛小説として話題を呼ぶ。同作はのちの2003年に電子書籍化され、2007年の時点でも電子書籍配信サイトの文芸部門ランキング上位を維持するロングセラーとなった。以後、SM純文学小説や『東京大学殺人事件』などを書いた。1997年、『葡萄』で第117回芥川賞候補。
澤口たまみ(さわぐち たまみ、1960年 - )は、日本のエ… 澤口たまみ(さわぐち たまみ、1960年 - )は、日本のエッセイスト、絵本作家。 1960年岩手県盛岡市生まれ。1978年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1982年岩手大学農学部卒業。専攻は応用昆虫学。1983 - 1987年岩手県立博物館展示解説員。1989年同大学院農学研究科修士課程修了。1985年頃から自然をテーマにした文章を書いたり児童を対象にした自然観察会を開いたりするようになる。1990年『虫のつぶやき聞こえたよ』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。2017年『わたしのこねこ』(絵:あずみ虫)で産経児童出版文化賞美術賞を受賞。
久美 沙織(くみ さおり、1959年4月30日 -)は、日本… 久美 沙織(くみ さおり、1959年4月30日 -)は、日本の小説家。本名は波多野稲子(旧姓:菅原)。ペンネームは山吉 あい(やまよし あい)、五連星 いつみ(すばる いつみ)を経て現在の名に至る。長野県軽井沢町在住。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ、各会員。 岩手県盛岡市出身。大田区立大森第六中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、上智大学文学部哲学科卒、O型。 以後、ホラー、ミステリーなどのジャンルにも一定の成果を残し、現在に至る。
日沢 伸哉(ひざわ のぶや、1954年12月26日 - 20… 日沢 伸哉(ひざわ のぶや、1954年12月26日 - 2009年10月8日)は、岩手県出身の日本の放送作家・作家。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、関西に来て劇場通いを始める、そこで知り合った桂文福と出会い楽屋に出入りするようになる。創作落語にたずさわり、文福の紹介で月亭八方の紹介を受け放送作家となり、人気番組『クイズ!紳助くん』『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ制作)の構成を手がけるほか、『上方落語をきく会』(朝日放送ラジオ制作)、『日曜落語 〜なみはや亭〜』(朝日放送ラジオ制作)などの演芸番組の構成を手がける。2006年には「CDブック 栄光の上方落語」(角川書店)を上梓。尚2007年10月31日には「なつかしの昭和爆笑漫才 〜天国の笑星〜」を上梓、2008年には「CDブック 栄光の上方漫才」発売、10月29日には「五代目 桂文枝」を上梓。
建倉 圭介(たてくら けいすけ、1952年 -)は、日本の小… 建倉 圭介(たてくら けいすけ、1952年 -)は、日本の小説家・推理作家。岩手県立盛岡第一高等学校卒業。京都工芸繊維大学建築学科卒業。 1986年から2年間、仕事でイギリスに滞在したことをきっかけに小説を書き始める。1997年、『クラッカー』で第17回横溝正史賞(現・横溝正史ミステリ大賞)佳作に選ばれデビュー。2006年に刊行した冒険ミステリー『デッドライン』が「このミステリーがすごい!」2007年版で第10位タイにランクインし、第9回大藪春彦賞の候補となる。
波多野 杜夫(はたのもりお、1941年11月 - )は、日本… 波多野 杜夫(はたのもりお、1941年11月 - )は、日本の小説家。本名 波多野忠夫。
福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 … 石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 - 2009年10月5日)は日本の小説家。姓は「いそのかみ」と読まれていた時期もあるが、1981年頃から「いしがみ」と訂正した。 郷里東北の風土を背景に、現象学や仏教思想などの影響を受けた独自の実存主義的作風を展開した。 北海道札幌市生まれ。本名、上田重彦。父上田寅次郎は岩手県盛岡市出身。上田家は南部藩士で、代々御蔵奉行などを勤めていたが、維新後没落。寅次郎の母・綱は寅次郎ら幼い子供を連れて、実弟の栃内元吉(当時屯田司令官幕僚)・曽次郎(後に海軍大将)が住む札幌に移り住む。寅次郎は長じて札幌農学校・東京専門学校に学び、岩手県・北海道で中学教師の傍ら、新聞に読み物を書いていた。
古沢 元(ふるさわ げん、1907年12月11日 - 194… 古沢 元(ふるさわ げん、1907年12月11日 - 1946年5月3日) は、日本の小説家。本名は古沢 玉次郎(ふるさわ たまじろう)、別筆名・秦 巳三雄(はた みさお) 岩手県沢内村(現・西和賀町)出身。岩手県盛岡中学(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒業、旧制第二高等学校(現・東北大学)中退。「戦旗」編集部で秦巳三雄のペンネームで評論、翻訳を発表。その後古沢元のペンネームで「日暦」同人、武田麟太郎主宰の「人民文庫」同人となり小説、評論を発表した。1940年同人雑誌「麦」に発表した「紀文抄」(きぶんしょう)が、第12回直木賞候補作品となる。 第二高等学校では非合法政治活動に身を投じ、学業半ばで放校となったが、上京して新風を巻き起こしていたプロレタリア文学運動に加わり、「日暦」では高見順の「故旧忘れ得べき」に続いて「びしゃもんだて夜話」を三回にわたって連載、郷里の沢内村を題材にした小説を書いた。
森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日… 森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉3月13日)は、日本の作家。 岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科中退。岩手日報記者をへて、文筆業へ。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。 妹の夫である大村次信(写真家大村次郷、考古学者大村幸弘の父)は、盛岡藩で火業師(砲術師)をつとめ、エトロフ島事件に遭遇しロシア人の捕虜となった大村治五平の子孫にあたる。その縁から、大村家で門外不出の書として伝えられていた治五平の手記『私残記』を託され、1943年6月に現代語訳と解説をつけて大和書店より翻刻出版した。
佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 19… 佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 1970年2月5日)は、日本の仏教学者、作家。哲学研究者として朝鮮の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業生命科学大学)、京城帝国大学予科教授、第一高等学校教授を歴任。『仏教の日本的展開』は名著として知られる。その後、文部省督学官、社会教育局長、国際文化会館参与などを務めた。 岩手県胆沢郡金ケ崎村(現金ケ崎町)出身。盛岡中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科卒。 戦後は結核に罹患し、貧困にも苦しむが再起し、1963年には親戚の女性の話をもとにした初の小説『女のいくさ』を刊行、直木賞を受賞。当時64歳という最高齢での受賞であり、「老人の新人」出現として話題をよんだ(のち、記録は古川薫の65歳での受賞に破られる)。
鈴木 彦次郎(すずき ひこじろう、1898年12月27日 -… 鈴木 彦次郎(すずき ひこじろう、1898年12月27日 - 1975年7月23日)は、日本の小説家。 東京府生まれ。岩手県選出の衆議院議員・鈴木巌の二男として生まれた。6歳から父の転勤に伴って盛岡に移る。盛岡中学校、第一高等学校をへて東京帝国大学英文科、のち国文科に転じて1923年卒業。高校時代寮の同室だった川端康成、石浜金作、酒井眞人に今東光の五人で第6次『新思潮』を1921年創刊。1923年文藝春秋同人、1924年川端、横光利一らの『文藝時代』に参加。新感覚派の一人とされた。1928-1930年舟橋聖一、村山知義らと心座の新劇運動に携わる。のち農民小説、大衆小説、歴史小説、相撲小説に転じる。
野村 胡堂(のむら こどう、1882年(明治15年)10月1… 野村 胡堂(のむら こどう、1882年(明治15年)10月15日 - 1963年(昭和38年)4月14日)は、日本の小説家・人物評論家。『銭形平次捕物控』の作者として知られる。音楽評論家としての筆名はあらえびす、野村あらえびすとも。本名:野村 長一(のむら おさかず)。娘は作家の松田瓊子。 1938年発行の『レコード音楽』昭和13年3月号に、読者からの投書に答える形で、次のように述べている。 「ところで震災の前の年から私は美術と音楽のことも書くやうになつた。さうなると胡堂といふ名では少々堅苦しい感じがあるので、何か他の名を考へることにしたのが抑々あらえびすの名の出来るきつかけだつた。有名な浄瑠璃の「袖萩祭文」の中で「奥州のあらゑびす……」云々と阿倍貞任が威張るくだりがあるが、胡堂の胡がそのあらゑびすに相当するので(ゑびすに「にぎゑびす」即ち熟蛮と「あらゑびす」即ち生蛮の二種がある、その荒つぽい方なのである)ゑはえに変えて、斯くして茲にあらえびすの名が誕生を見た次第だ。