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千葉 繁(ちば しげる、1963年〈昭和38年〉2月1日 -… 千葉 繁(ちば しげる、1963年〈昭和38年〉2月1日 - )は、日本の政治家、実業家。茨城県阿見町長(第8代)、昭和運送株式会社代表取締役。 阿見町議会副議長(第25代)、阿見町議会議員(3期)、阿見町議会行政改革特別委員会委員長、阿見町監査委員、阿見町議会総務常任委員会委員長、牛久地区交通安全協会理事、土浦地区交通安全協会監査、阿見町商工会青年部長などを歴任。 茨城県稲敷郡阿見町出身。阿見町立阿見小学校、阿見町立阿見中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校を経て、1985年(昭和60年)、青山学院大学を卒業。卒業後は父が経営する昭和運送に入社。1987年(昭和62年)には阿見町消防団に入団し、2003年(平成15年)3月まで消防団員として活動したほか、土浦地区交通安全協会監査、牛久地区交通安全協会理事、阿見町商工会青年部部長、阿見小学校PTA会長などを務めた。
中山 一生(なかやま かずお、1962年(昭和37年)11月… 中山 一生(なかやま かずお、1962年(昭和37年)11月13日 - )は、日本の政治家。茨城県議会議員(2期)。元茨城県龍ケ崎市長(3期)。 祖父は衆議院議員を務めた中山栄一。父は防衛庁長官を務めた中山利生。 茨城県龍ケ崎市生まれ。龍ケ崎市立龍ケ崎小学校、龍ケ崎市立愛宕中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、日本大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は、父・中山利生の政策担当秘書を務めた。 1991年、中山利生が宮澤内閣で防衛庁長官に任命された際には、秘書官を務めた。 2005年、第44回衆議院議員総選挙に茨城県第3区から無所属で出馬したが、自民党の葉梨康弘、民主党の小泉俊明の後塵を拝し、得票数3位で落選した。
小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )… 小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、民主党副幹事長、減税日本幹事長(第2代)、取手市議会議員などを歴任した。 茨城県北相馬郡取手町(現在の取手市)生まれ。取手町立小文間小学校、取手市立取手第一中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学在学中は雄弁会に所属した。大学卒業後、中小企業経営者を経て取手市議会議員を務める。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に茨城3区から民主党公認で出馬。自由民主党の葉梨信行に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、初当選した。
根本 洋治(ねもと ようじ、1952年(昭和27年)8月27… 根本 洋治(ねもと ようじ、1952年(昭和27年)8月27日 - )は、日本の政治家。元茨城県牛久市長(2期)、元牛久市議会議員(3期)。 茨城県牛久市出身。牛久町立牛久小学校、牛久町立牛久第一中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、駒澤大学経営学部卒業。 1999年(平成11年)4月、牛久市議会議員選挙に初当選。以後3期務める。その間、議長も務めた。2011年(平成23年)の市議選は出馬しなかった。 2015年(平成27年)9月13日に行われた牛久市長選挙に出馬、現職の池辺勝幸の市政からの刷新を主張した。対する元市議の諸橋太一郎は池辺市政の継承を訴えた。同選挙で初当選し、10月3日に市長に就任した。
岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15… 岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月30日)は、日本の政治家、茨城県龍ケ崎市長を務めた(3期)。 茨城県出身。1942年(昭和17年)旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業した。電機会社に勤めた後、稲敷郡龍ケ崎町役場に奉職する。龍ケ崎市制施行後の市役所内では消防署長、議会事務局長、総務部長、助役を務めた。助役時代の1981年(昭和56年)5月30日、当時の龍ケ崎市長の中村忠雄が交通事故により死去した。その後を受けて市長選挙に立候補し、当選した。当選後は前市長が進めたニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画を実施し、「産業文化都市・龍ケ崎」を位置づけした。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月… 菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月10日 - 2011年(平成23年)6月8日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(4期)。 茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身。1938年旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現・茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)卒業。卒業後は朝鮮総督府鉄道局、川崎銀行、東晃製機を経て、菊地園芸を創業する。県造園建設協会を結成し、会長となる。その後取手市農業協同組合長となり、1979年取手市長に当選。4期務め、1995年に退任した。同年勲四等瑞宝章を受章した。2011年に死去した。