スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
盛 一大(もり かずひろ、ラテン文字表記:Kazuhiro … 盛 一大(もり かずひろ、ラテン文字表記:Kazuhiro Mori、1982年9月17日 - )は、日本の自転車競技選手。千葉県我孫子市出身。茨城県立取手第一高等学校、日本大学を経て、現在愛三工業レーシング所属。 自転車競技を始めたのは高校入学後。本人はトレッキング的なMTBをやりたくて自転車部の門を叩くが、取手一高はトラックレースの強豪校であり、なりゆきでトラックレースをやらされることとなってしまった。 2006年のUCIトラックワールドカップクラシックスが、国際大会のトラックレースとしては初参加となったが、第4戦のシドニー大会・ポイントレースで2位に入り、同年の世界選手権(ボルドー)出場。
長塚 智広(ながつか ともひろ、1978年11月28日 - … 長塚 智広(ながつか ともひろ、1978年11月28日 - )は、アテネ五輪自転車競技銀メダリスト。日本の実業家、投資家。茨城県取手市出身。早稲田大学大学院卒。 1978年11月28日、茨城県取手市に生まれる。長塚によると、学校時代は脚力も平凡で、テニス部に所属していたもののほとんど練習をしなかったという。実家のすぐそばに取手競輪場があり、競輪ファンの父親に連れられてしばしばレースを観戦していた長塚は子どものころから自転車が好きで遠乗りに良く出かけており、週末には地元の取手から東京まで自転車で遊びに行っていた。家の近くに競輪場があり、自転車好きであったことから競輪選手になることが頭に浮かび、「自転車の名門で全国優勝の常連である茨城県立取手第一高等学校に進学すれば、自分も競輪選手になれるのではないかと思い、同校を受験し合格した。
十文字 貴信(じゅうもんじ たかのぶ、1975年11月10日… 十文字 貴信(じゅうもんじ たかのぶ、1975年11月10日 - )は、実業家(自営業)。元競輪選手、元自転車競技選手。現在の千葉県野田市出身。現役時代は日本競輪選手会茨城支部に所属した。師匠は川村恵三。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第75期 卒業。初出走は1995年4月8日の宇都宮競輪場。初勝利は同年4月24日の小倉競輪場。 小学生時代にレスリングを始め、小・中学校時代に3回全国大会で優勝した。しかし「レスリングは金にならない」という親戚から助言を受け、茨城県立取手第一高等学校入学後は自転車競技に転向した。取手第一高等学校自転車部では部員の9割が競輪選手を目指すといわれ、十文字自身も「"就職試験"に向けての練習」だと思い自転車競技に取り組んだ。
須藤 聡明(すどう としあき、1955年9月6日 - )は、… 須藤 聡明(すどう としあき、1955年9月6日 - )は、茨城県出身のプロゴルファー。 取手一高時代は野球部に在籍し、後に共にプロゴルファーになっている同年の青柳公也がチームメイトであった。2年次の1972年春と3年次の1973年夏には甲子園に出場し、1973年夏は初戦で敗退したが、須藤は2番・遊撃手で出場して5打数2安打と活躍。 その頃に爆発的な人気を集めた尾崎将司に憧れてゴルフへ転向し、高校卒業と同時にプロゴルファーを目指して神奈川県の鎌倉CCに入り、2年後には千葉県の銚子CCに移って6年間修業を積む。 1981年には6度目の挑戦でプロテストに合格し、1982年の美津濃プロ新人でデビュー。
青柳 公也(あおやぎ きんや、1955年4月4日 - )は、… 青柳 公也(あおやぎ きんや、1955年4月4日 - )は、茨城県出身のプロゴルファー。 取手一高時代は野球部に在籍し、後にプロゴルファーになっている同年の須藤聡明がチームメイトで、2年次の1972年春と3年次の1973年夏には甲子園に出場している。 1984年秋に11回目のプロテストに合格し、1987年のペプシ宇部では初日を岩下吉久・鈴木弘一・尾崎将司と共に4アンダー68の2位タイ、1989年のジーン・サラゼン ジュンクラシックでは初日を米山剛・倉本昌弘・三上法夫と共に3アンダー69の2位タイでスタートする。 1989年のアコムダブルスでは、同じ高校出身の須藤に「一緒に出よう」と声をかけられて異色ペアを組み、最終日には大会新の通算33アンダー255で前日8位から首位に立つ。
池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、… 池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、日本の作詞家。 茨城県稲敷郡岡田村東猯穴(牛久町を経て、現在の牛久市東猯穴町)出身。岡田国民学校(現在の牛久市立岡田小学校)、岡田農業青年学校(後の牛久町立岡田中学校)、県立取手第一高等学校に進む。高校生の時に作詞家を志す。テイチクレコードより黒田春雄(後のアイ・ジョージ)歌唱の「心の十字路」で作詞家デビューし、現在も現役で活動している。 1992年の第34回日本レコード大賞歌謡曲・演歌部門で、大月みやこの『白い海峡』が大賞、1999年には服部浩子の『旅路の花』が第32回日本作詩大賞、2006年には香西かおりの『最北航路』が第39回日本作詩大賞を受賞するなど多くの作品で日本作詞家大賞を受賞する。
大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月1… 大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月18日 - 2020年(令和2年)8月20日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(2期)。 現在の茨城県取手市に生まれる。1945年茨城県立取手園芸学校(現・茨城県立取手第一高等学校)卒。取手市議会議員を経て、茨城県議会議員に当選(自由民主党)。5期務め、県議会副議長を務めた。1995年取手市長に当選。1999年に再選。2003年に元取手市職員の塚本光男に敗れた。2020年に死去した。
柴崎 孝夫(しばざき たかお)は、日本の元アマチュア野球選手… 柴崎 孝夫(しばざき たかお)は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 取手第一高校では、2年生の時に1968年の夏の選手権に出場した。しかし、1回戦で松山商業高校に敗れる。翌年の夏の選手権にも出場し、1回戦に登板し、エースとして活躍した。しかし、2回戦で渋谷通や川本浩次らがいた平安高校に敗れた。同年の秋に開催された長崎国体にも出場し、準決勝で玉島商業高校に敗れた。同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから8位指名されたが入団を拒否。 高校卒業後は日本石油に入社。しかし、厚い投手層により、あまり活躍の場がなかった。