スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大津 夕聖(おおつ ゆうせい、1995年12月22日 - )… 大津 夕聖(おおつ ゆうせい、1995年12月22日 - )は、栃木県日光市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。アジアリーグアイスホッケーのHLアニャンに所属。 兄はプロアイスホッケー選手の大津晃介。父も元プロアイスホッケー選手だった大津英人(元古河電工〜アイスバックス)。 日光市立清滝小学校、日光市立日光中学校出身。2014年に栃木県立日光明峰高等学校を卒業。 高校卒業後に18歳でH.C.栃木日光アイスバックスに入団し、プロデビュー。6年間プレー。 2020年4月21日契約期間満了により退団し、フリーエージェント(FA)制度を利用し、他チームへの移籍を希望。 2020年からひがし北海道クレインズに移籍。
古橋 真来(ふるはし まくる、1993年9月30日- )は、… 古橋 真来(ふるはし まくる、1993年9月30日- )は、栃木県日光市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはレフト・ウィング。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。 父親は俳優でタレントの伊藤克信。 中学生時にアイスホッケー部に所属。高校は日光明峰高校に進学し、18歳で日本アイスホッケーリーグで出場を果たす。 高校での活躍が認められ中央大学に進学する。 2016年にアジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに入団した。 2023年-24年シーズンはシーズン途中の2023年10月31日に11月に苫小牧市にて実施されたアイスホッケー男子日本代表の国内合宿の参加メンバーに選出された。
小池 詩織(こいけ しおり、1993年3月21日 - )は、… 小池 詩織(こいけ しおり、1993年3月21日 - )は、日本の女子アイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。道路建設ペリグリン所属。 栃木県日光市出身。日光明峰高校在学時に、U-18アイスホッケー女子日本代表に選出され、女子アイスホッケーU18世界選手権に出場した(2009年ディヴィジョンI、2010年・2011年トップディヴィジョン)。 高校卒業後、苫小牧駒澤大学に進学し、三星ダイトーペリグリン(現:道路建設ペリグリン)に入団。所属先は日本製紙総合開発。全日本女子アイスホッケー選手権大会で2012年に最優秀新人賞、2013年に優勝してMVPを受賞した。 アイスホッケー女子日本代表にも選出され、2013年2月にスロバキアのポプラトで行われたソチオリンピック最終予選に出場。
羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は… 羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は、日本の元スピードスケート選手で、競輪選手。 栃木県日光市出身。日光高校を経て日本大学へと進学。スケートに専念できる就職口がなかったため、大学卒業後は、地元・日光の鉄工所でアルバイトをしながら一人で練習を行なう。その後、三協精機製作所(現 ニデックインスツルメンツ)に入社。 1998年12月の長野大会に、ISUワールドカップとして初参加し、500mで3位に入る。翌1999年3月に行われたローズビルの同大会・500mでは、長野オリンピック・500m銀メダリストのジェレミー・ウォザースプーン(2位)を破り優勝。 2001年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会で総合3位に入り、清水宏保、武田豊樹、堀井学とともに、2002年のソルトレイクシティオリンピック・500mの日本代表として出場、12位となる。
鈴木 康博(すずき やすひろ、1969年2月21日 - )は… 鈴木 康博(すずき やすひろ、1969年2月21日 - )は、栃木県日光市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学3年で野球を始め、日光市立東中学校では県大会に出場。日光高では2年夏にレギュラーとなり、3年夏は1番を打つ傍ら投手も務め、公式戦でも登板した。県予選では4回戦まで進出したが、甲子園出場はかなわなかった。 1986年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受け入団。 1989年はマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。1992年8月、イースタン・リーグの対ロッテ戦で2試合連続本塁打を打ったが、一軍出場のないまま1993年限りで現役を引退した。
星野 好男(ほしの よしお、1950年11月2日 - )は、… 星野 好男(ほしの よしお、1950年11月2日 - )は、栃木県日光市出身の元アイスホッケー選手である。ポジションはCF。 日光高校(現・日光明峰高校)から明治大学に進み、全日本として世界選手権に出場。日本代表史上最年少の21歳で1972年札幌オリンピックにも出場を果たす。 卒業後の1973年、国土計画に入社。カナダのブリティッシュコロンビア大学へアイスホッケー留学も経験。 1987年に史上初の日本リーグ通算450得点を達成。 全日本では主将も経験し、五輪3回、世界選手権14回出場を果たすなど日本を代表するフォワードとして活躍した。 1988年引退。日本リーグ通算得点185、アシスト266。得点王も2度獲得。