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北村 流音(きたむら りお、2005年2月20日 - )は、… 北村 流音(きたむら りお、2005年2月20日 - )は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小学校1年時に野球を始める。桐生市立中央中学校では軟式野球部に所属し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスジュニアに選ばれた。 桐生第一高等学校に進学し、2年秋からエースとなった。3年夏の群馬県大会準々決勝では、本塁打を含む3安打を記録したが、準決勝では樹徳高等学校相手に9失点し敗戦した。また、10月9日にはチームメイトの三塚琉生とともに読売ジャイアンツの入団テストを受けた。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト8巡目で指名を受けた。
三塚 琉生(みつか るい、2004年5月10日 - )は、千… 三塚 琉生(みつか るい、2004年5月10日 - )は、千葉県柏市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 小学校1年時から野球を始める。増尾西小時代の増尾レッドスターズ、逆井中時の八千代中央シニアを経て、桐生第一高等学校に進学。3年夏の群馬県大会では、打率.467、7打点と活躍し、4強に貢献した。10月9日にチームメイトの北村流音とともに読売ジャイアンツの入団テストを受けた。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、読売ジャイアンツから育成ドラフト6位指名を受けた。11月14日、支度金290万円、年俸360万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は031。
神宮 僚介(じんぐう りょうすけ、2003年5月27日 - … 神宮 僚介(じんぐう りょうすけ、2003年5月27日 - )は、群馬県北群馬郡吉岡町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。阪神タイガース所属。 幼少期に父とキャッチボールを家の前でしていたことがきっかけで、小学3年生の時に野球を始める。主に遊撃手を務めていて、2番手投手でもあった。 吉岡町立吉岡中学校では軟式野球部に所属。目立った活躍はなかったものの、スカウトされたことがきっかけで桐生第一高等学校に進学。この際、「厳しい環境に行くのは当たり前」と考えたという。進学後は2年冬から主将に就任し、3年春から背番号1を着用した。3年間で甲子園出場はなし。1学年下に三塚琉生、北村流音がいる。 東京農業大学北海道オホーツクに進学後は、大学1年まではオーバースローであったが、2年時からはサイドスローに転向した。
速水 隆成(はやみず たかなり、1997年7月28日 - )… 速水 隆成(はやみず たかなり、1997年7月28日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 水球選手を父として生まれる。桐生第一高等学校では2年生で一塁手として第86回選抜高等学校野球大会に出場した。3年生時の全国高等学校野球選手権群馬大会はベスト4で敗退した。 2015年11月28日のBCリーグドラフト会議で、群馬ダイヤモンドペガサスより地元枠で指名を受ける。高校卒業後に群馬に入団し、当初は内野手だったが捕手に転向する。これは内野手ではNPBに入れないという判断からだった。ウェイトトレーニングや食事の改善により20kg体重を増やした。選手登録上捕手となったのは2018年からで、同年より正捕手となる。
石井 将希(いしい まさき、1995年7月12日 - )は、… 石井 将希(いしい まさき、1995年7月12日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 三人兄弟の末子。6歳年上の長兄・3歳年上の次兄ともバスケットボールを習っていた影響で、自身も小学3年時まではバスケットボールに興じていた。しかし、ソフトボール大会へ偶然参加したことをきっかけに、小学4年時から軟式野球へ転向した。ただし、転向当初は野球の知識がないまま、右利き用のグラブでプレー。その姿を見た指導者の勧めで左投げに変えたことが、大きな転機になったという。 佐野中学校時代には、軟式野球部へ所属。当時白夜書房から発行されていた『野球小僧』に有望選手として取り上げられるほど、左腕投手として抜群の能力を発揮した。
ルシアノ・フェルナンド(Luciano Fernando、1… ルシアノ・フェルナンド(Luciano Fernando、1992年4月13日 - )は、ブラジル、マットグロッソ・ド・スル州カンポ・グランデ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPBでの登録名はフェルナンド。 両親はブラジル人だが父方の曽祖母が日本人で、自身は日系4世にあたる。ブラジル国籍であるが、日本の中学校・高等学校に通算3年間以上在学しているため、外国人枠の制約を受けない。 5歳の時に両親と共に群馬県太田市へ移住し、宝泉南小学校4年生の時に「宝南スピリット」で野球を始め、当時は投手と捕手を務めていた。宝泉中学校野球部では投手、捕手、外野手を務める。桐生第一高校では2度の骨折を経験。
藤岡 貴裕(ふじおか たかひろ、1989年7月17日 - )… 藤岡 貴裕(ふじおか たかひろ、1989年7月17日 - )は、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 長尾小学校2年生で長尾イースターズに所属し野球を始める。子持中学校在学中は野手としてプレー、2年時には一塁手として出場し秋の県大会ベスト8。 桐生第一高等学校進学後に投手に転向。入学当初は身体も小さく球速は120km/h程度だったが、走り込みと筋力トレーニングの成果が出始め、2年時の第88回全国高等学校野球選手権大会では外野手の控え選手で出場。初戦の佐賀商業戦に外野手として途中出場し2打席ノーヒット。次戦の東洋大姫路戦では出場の機会なしでチームは敗退。この時の東洋大姫路で登板したピッチャーが、のちに東洋大学で1学年先輩となる乾真大である。
松井 雅人(まつい まさと、1987年11月19日 - )は… 松井 雅人(まつい まさと、1987年11月19日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投左打。 小学校2年で地元の軟式野球チーム粕川リトルタイガースで野球を始め、中学校までは投手だった。なお、小学校1年から6年までは柔道の経験もある。桐生第一高等学校で捕手に転向、第76回選抜高等学校野球大会、第86回全国高等学校野球選手権大会に出場する。同期には後にオリックスでもチームメイトになる小島脩平がいる。 上武大学へ進学し、左打ちに。同期の安達了一と共に明治神宮大会では上武大初の準優勝に貢献。最多打点2回、ベストナイン3回。 2009年のドラフト会議で中日から7位指名を受け入団。
小島 脩平(こじま しゅうへい、1987年6月5日 - )は… 小島 脩平(こじま しゅうへい、1987年6月5日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 桐生第一高等学校時代は、2年時に第76回選抜高等学校野球大会・第86回全国高等学校野球選手権大会に出場している(どちらも初戦敗退)。3年時の夏は、群馬大会準決勝で敗退。当時のチームメイトに松井雅人がいる。 高校卒業後は、東都大学野球連盟に加盟する東洋大学に進学。1年時の春からリーグ戦に出場し、2年時の春からレギュラーを獲得。4年時には主将に就任すると、春には打率.385をマークして首位打者を獲得し、同年の第37回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、二塁手と指名打者として出場した。
久米 勇紀(くめ ゆうき、1985年9月10日 - )は、日… 久米 勇紀(くめ ゆうき、1985年9月10日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。栃木県足利市出身。 栃木県足利市出身。桐生第一高等学校時代は、主将・二塁手として2003年の第85回全国高等学校野球選手権大会に出場し、ベスト4に貢献。高校時代は俊足と堅実な守りや球捌きのよさをセールスポイントとした内野手だった。 明治大学入学後投手に転向。1年次の春季リーグ戦で東京六大学野球リーグ戦優勝を経験した(この時久米は試合には出場していない)。 同年秋の開幕戦(対東京大学)に救援で初登板を果たし好投するが、松家卓弘に完封負けを喫した苦い試合だった。4年次(2007年)には古川祐樹(巨人)、水田裕(東邦ガス)、白石守(三菱重工名古屋)と合わせて「明大カルテット」または「M4」と呼ばれた強力投手陣を形成した。
大廣 翔治(おおひろ しょうじ、1982年7月29日 - )… 大廣 翔治(おおひろ しょうじ、1982年7月29日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 六郷小学校低学年から「六郷ジュニアファイターズ」で活躍。長野郷中学校時代はボーイズリーグで活躍。部活はバスケットボール部に所属していた。 桐生第一高等学校時代、正田樹や一場靖弘らと共に1999年の第81回全国高等学校野球選手権大会で優勝。2年生ながら4番に座り、決勝戦では本塁打も放ち群馬代表初となる夏の大会制覇に花を添えた。高校通算44本塁打。 卒業後は東洋大学に進学。1年次から4番を任される。4年次は主将を務め、春と秋にベストナインを獲得。2004年の第33回日米大学野球の日本代表に選出。
一場 靖弘(いちば やすひろ、1982年7月5日 - )は、… 一場 靖弘(いちば やすひろ、1982年7月5日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。元妻は元タレントの安田芽衣子。 桐生第一高等学校では2年の時に第81回全国高等学校野球選手権大会に2番手投手として出場。正田樹をエースとして群馬勢初の優勝に貢献した。甲子園のマウンドでは球速145 km/hを計測した。3年の時には背番号1を着け、再び第82回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが初戦敗退。 その後は明治大学に進学し、4年時の2004年春に六大学リーグ歴代2位(戦後最多)となるシーズン107奪三振を達成。また、同シーズンには六大学史上最速球速となる154 km/h(当時)を計測し、8勝3敗の成績で、1993年春以来11年ぶり22季ぶりとなる勝ち点5の完全優勝に貢献、ベストナインに選ばれた。
正田 樹(しょうだ いつき、1981年11月3日 - )は、… 正田 樹(しょうだ いつき、1981年11月3日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。左投左打。 太田市立北中学校では軟式野球部の投手兼一塁手を務めていた。桐生第一高校に進み、3年時には第81回全国高等学校野球選手権大会に出場。エースとして3完封の活躍を果たし、群馬代表として初となる全国選手権優勝に貢献。高校では1学年上のエースに小林正人、1学年下に一場靖弘と大廣翔治がおり、小林と一場がエースだった年も夏の甲子園に出場しているが、ともに初戦で敗れている。 1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズから1位指名を受けて入団。 2000年は監督の大島康徳に一軍で起用され、同年のフレッシュオールスターゲームでは、1歳上の同僚實松一成と共にイースタン・リーグ選抜の先発バッテリーを務め、ウエスタン・リーグ選抜の先発投手で同じ1位指名の高卒新人左腕河内貴哉と投げ合った。
小林 正人(こばやし まさと、1980年8月21日 - )は… 小林 正人(こばやし まさと、1980年8月21日 - )は、群馬県吾妻郡嬬恋村出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。左投左打。 小学3年の時に野球を始める。桐生第一高等学校では、3年時に第80回全国高等学校野球選手権大会に群馬代表で出場。一回戦で高知の明徳義塾に5―6でサヨナラ負けした。1年下に翌夏全国制覇を遂げる同じ左腕の正田樹がいた。その後、東海大学に進学する。首都大学リーグ通算11試合登板し4勝1敗。久保裕也(読売ジャイアンツ)の控えで4年春までは1試合しか登板できなかったが、大学4年の秋季リーグで4勝を挙げた。社会人野球入りを目指していたが入社が決まらず2002年のドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目指名を受けて入団した。