スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
新井 千鶴(あらい ちづる、1993年〈平成5年〉11月1日… 新井 千鶴(あらい ちづる、1993年〈平成5年〉11月1日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の日本の女子柔道家。階級は70kg級。身長172cm。握力は右40kg、左40kg。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は内股、出足払。2021年開催の東京オリンピック 柔道 女子70kg級 金メダリスト。2012年から三井住友海上に所属している。 幼稚園の時は、サッカーに取り組んでいた。その一方で3歳年上の兄が周囲から柔道を勧められると、自分もやってみたいと言い出したことで近所にある男衾柔道クラブへ入門したが、年上の女子部員たちに囲まれたことを怖がってしまい、僅か一日で辞めてしまった。それでもクラブの指導者に再考を促されていたこともあって、小学校1年の時には勇気を出して再入門した。
鈴木 一実(すずき ひとみ、1986年9月4日 - )は、埼… 鈴木 一実(すずき ひとみ、1986年9月4日 - )は、埼玉県出身のバスケットボール選手である。ニックネームは「オウ」。ポジションはフォワード。シャンソンVマジック所属。 児玉高から、トヨタ自動車に入社。 2009年には日本代表候補にも選ばれた。 2016年に新潟県のアオーレ長岡で13年ぶりに開催されたWJBLオールスターゲームで WESTチームとしてファン投票により選出され出場した。 2017年、シャンソンVマジックに移籍。
新井 亮司(あらい りょうじ、1981年5月20日 - )は… 新井 亮司(あらい りょうじ、1981年5月20日 - )は、群馬県藤岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。 埼玉県立児玉高等学校時代は通算44本塁打を放ち、「上州のタブチ君」と呼ばれた。3年夏の県大会では開会式後の開幕戦で本塁打を放つが、雨天ノーゲームとなる。群馬県の鬼石町(当時)出身で県境であったため、高校までは1時間半をかけて自転車通学していた。1999年のドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受けて入団。 入団時は、捕手だったが打撃を活かして内野手にコンバートされた。 パンチの効いたバッティングが注目され、「和製大砲」「田淵二世」として期待されたが、2004年に戦力外通告を受け現役引退。
山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、… 山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道選手である。階級は61kg級。身長166cm。 児玉高校2年の時に全国高校選手権61kg級の2回戦で敗れた。日体大へ進学すると、1年の時に正力杯で3位となった。強化選手選考会では決勝で常磐高校3年の北爪弘子に敗れて2位だった。2年の時には体重別決勝で世界選手権3位である筑波大学4年の小林貴子に敗れて2位だったが、正力杯決勝では大学の同級生である小竹尚子を破って優勝した。グッドウィルゲームズで3位になると、福岡国際では決勝まで進むも、中国の金香蘭に効果で敗れて2位だった。3年の体重別では3位、正力杯では決勝で埼玉大学2年の北爪に敗れて2位だった。
岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は… 岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は埼玉県出身神川町在住の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長180cm。体重118kg。 柔道は小学校1年の時に後に1995年の世界選手権95kg級で3位となる弟の岡泉茂とともに始めた。児玉高校3年の時にインターハイの重量級で決勝まで進むが、東海大相模高校3年の多田隈和博に敗れて僅差判定で2位だった。1985年には筑波大学に進むと、2年の時には新人体重別の決勝で日本大学2年の金野潤に抑え込みで一本勝ちをして優勝する。。1989年には新日鉄広畑の所属となると、講道館杯では旭化成延岡の樋川純を破って優勝を飾った。1991年には講道館杯で2年ぶり2度目の優勝を果たした。
永尾 昇(ながお のぼる、1954年8月20日 - )は、日… 永尾 昇(ながお のぼる、1954年8月20日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。埼玉県児玉郡児玉町(現、本庄市)出身。 埼玉県立児玉高等学校時代に関東大会優勝、国体選抜に選出された経験を持つ。法政大学を経て1977年に日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部に入部。1978年シーズンに7アシスト(2位)を記録し新人王に選出された。翌年にも7アシストで2年連続でアシストランクの次点に入る活躍を魅せた。 また1980年度の天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝の田辺製薬戦では、かつての古豪の復活という話題性や田辺製薬が全社を上げて応援団を送り込んだ事もあって、35,000人の観衆の多くが田辺製薬を応援するアウェーの様な雰囲気の中、前半27分に決勝ゴールを決め同タイトルの獲得に貢献した。