スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤沢 武夫(藤澤 武夫、ふじさわ たけお、1910年11月1… 藤沢 武夫(藤澤 武夫、ふじさわ たけお、1910年11月10日 - 1988年12月30日)は、日本の実業家。自動車メーカーの本田技研工業(ホンダ)に代表される工業系の企業で経営面を務めることが多かった。 本田宗一郎と共にホンダを世界的な大企業に育て上げた。本田宗一郎の名参謀と言われ、本田は藤沢に実印と会社経営の全権を委ね、自らは技術者に徹していた。 劇作家で舞台演出家の藤沢文翁は孫にあたる。 1910年(明治43年)、東京府東京市小石川区中富坂町(現・東京都文京区小石川)で父秀四郎、母ゆきの間に生まれる。藤沢家は現在の茨城県結城市で代々漢方医を務める名家だったが、藤沢の祖父の代で廃業となり、秀四郎は上京した。
柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉… 柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉9月2日 - 1993年〈平成5年〉11月18日)は、日本の実業家。日本航空初代社長を務めた。 栃木県足利町(現足利市)に生糸商・柳田武一郎、さとの次男として生まれる。 高等科2年を終えた、数え年で13歳のとき、上京して諸井時三郎の養子となった。諸井時三郎の妻くらは母さとの妹である。 京華中学校、第一高等学校を経て1917年(大正6年)4月に東京帝国大学を卒業するとともに、日本銀行へ入行する。 1942年(昭和17年)5月に日銀理事となり、1945年(昭和20年)10月に日銀副総裁に就任。しかし、国の外資事業の責任者であったことから、1946年(昭和21年)6月に公職追放を受け、日銀を去る。
平沼 弥太郎(彌太郎、ひらぬま やたろう、1892年(明治2… 平沼 弥太郎(彌太郎、ひらぬま やたろう、1892年(明治25年)6月12日 - 1985年(昭和60年)8月12日)は、日本の林業家、実業家、政治家。参議院議員(1期)、埼玉県入間郡名栗村長。 埼玉県秩父郡名栗村(のち入間郡名栗村、現:飯能市)で、山林地主・平沼源一郎の長男として生まれる。1912年、京華中学学校を卒業し、その後、山林業を継承した。 合資会社平沼材木店代表社員、埼玉県木材社長(戦時統制会社)、埼玉県山林会副会長、全国山林会連合会常任幹事、埼玉県森林組合連合会会長、中央林業協会理事などを務めた。 その他、実業界では、飯能銀行会長、埼玉銀行頭取、全国銀行協会理事、名栗水電社長、経済団体連合会理事などを務めた。
星野 直樹(ほしの なおき、1892年〈明治25年〉4月10… 星野 直樹(ほしの なおき、1892年〈明治25年〉4月10日 - 1978年〈昭和53年〉5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 満洲国では国務院総務長官として腕を振るい、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一角を占める。第2次近衛内閣の企画院総裁、東條内閣では内閣書記官長を務め、終戦後にA級戦犯として起訴された。終身禁固刑を受けるも釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。 1892年(明治25年)4月10日に横浜市で生まれた。当時の高等科二年時(現在の小学校6年)、府立一中(現在の日比谷高校)へ願書を持って行ったところ、その年、中学校に入れるのは1892年4月2日以前の生まれの者に限られるとして、断られた。
稲垣 平太郎(いながき へいたろう、1888年7月4日 – … 稲垣 平太郎(いながき へいたろう、1888年7月4日 – 1976年4月23日)は、日本の実業家・政治家。前参議院議員。
石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11… 石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11月5日 - 1970年(昭和45年)1月20日)は、日本の財界人、経営者。位階は正三位。 東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任1948年(昭和23年)~1956年(昭和31年))。日産化学工業元社長、元会長。昭和電工元社長、元会長。 1885年(明治18年)11月5日、東京に生まれる。関東酸曹常務・卯一郎の長男。父・卯一郎は大坂の出身で、石川家は江戸時代、「宇田屋」という屋号の商家であった。父は関東酸曹というカセイソーダ製造の化学会社を経営した。 旧制京華中学を出て、1903年(明治36年)旧制第一高等学校工科(二部)に入学。
三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(188… 三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(1885年)8月29日 - 昭和31年(1956年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員、参議院議員。元国務大臣北海道開発庁長官。鳥取県米子市名誉市民。三好家第10代当主。鳥取県平民。 大正13年(1924年)衆議院議員に初当選し、戦前に6回の当選を重ねた。地元振興の貢献としては、山陰鉄道開通記念の博覧会に尽力したのをはじめ、山陰実業銀行を設立、戦後はラジオ山陰(現山陰放送)の開局に携わるなど調整能力、行動力は抜群であった。家系は清和源氏、小笠原氏の支流・三好氏。 米子道笑町の商家に生まれる。三好常次郎の次男。 県立第二中学校(現米子東高校)、東京の京華中学を経て明治39年(1906年)に早稲田大学政治経済科を卒業。