スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石澤 輝(いしざわ ひかる、1991年5月12日 - )は、… 石澤 輝(いしざわ ひかる、1991年5月12日 - )は、トップチャレンジリーグ豊田自動織機シャトルズに所属するラグビー選手兼実業家。 ・芸人顔負けのトーク力で女性からの支持も多く、ホストクラブにスカウトされたこともある。 ・pop dandy Group 元オーナー。 2010年、東京高校卒業後、法政大学に入る。なお東京高校時代、高校日本代表候補に選ばれたことがある。 2014年、法政大学卒業後、東芝ブレイブルーパスに加入。同年8月22日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のパナソニック ワイルドナイツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2016年、宗像サニックスブルースに加入。 2018年、豊田自動織機シャトルズに加入。
沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉1… 沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉10月22日 - 2016年〈平成28年〉2月20日)は、日本の実業家、鼻煙壺収集家。ファミリーマート初代社長、良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。東京生まれ。 馬込小学校、旧制東京中学校を経て、1951年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社。大学時代は水泳部に所属。香港駐在、西友ストアー常務等を務めた。 1981年ファミリーマート社長に就任。発注の翌日納品、東海地方でのフランチャイズチェーン展開、プライベートブランド商品の導入、台湾進出などを行った。 1987年日本フランチャイズチェーン協会副会長、1991年同会長に就任。
杉浦 敏介(すぎうら びんすけ、1911年11月13日 - … 杉浦 敏介(すぎうら びんすけ、1911年11月13日 - 2006年1月27日)は、日本の実業家。元日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)頭取。日韓経済協会第三代目会長。 東京市下谷区に杉浦倹一・とし夫妻の次男として生まれる。杉浦家は江戸時代、幕臣であった。東京高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業後の1935年、日本勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。日本勧業銀行の権力闘争に敗れた濱口巌根とともに、1952年に設立された長銀創立に参加。専務、副頭取を経て1971年5月から1978年6月まで頭取。その後は会長、相談役最高顧問などを務めた。 会長時代も含め20年近くも経営トップの座に君臨し、「長銀中興の祖」、「長銀のドン」と呼ばれた。
伊奈 長三郎(いな ちょうざぶろう、1890年(明治23年)… 伊奈 長三郎(いな ちょうざぶろう、1890年(明治23年)3月20日 - 1980年(昭和55年)10月10日)は、日本の実業家、政治家。伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)創業者で、同社代表取締役社長を務めた。政治家としては初代常滑市長(1期)、常滑町長(1期)などを歴任した。 愛知県知多郡常滑村(常滑町を経て、現在の常滑市)で第5代目窯元の伊奈初之丞の長男して生まれる。旧名は、伊奈長太郎。東京中学校(現在の東京高等学校)を経て、1912年に東京高等工業学校(東京工業大学を経て、現在の東京科学大学)窯業科を卒業した。1918年、帝国ホテル煉瓦製作所技術顧問に就任した。1924年に伊奈製陶を設立し、同社常務取締役に就任した。
安蔵 弥輔(あんぞう やすけ、1889年8月7日 - 19… 安蔵 弥輔(あんぞう やすけ、1889年8月7日 - 1963年1月22日)は、東京電力の初代社長(1951年5月 - 1952年9月)。他に東京電力会長、東京電力記念科学研究所理事長、日本電気協会会長を務めた。 1889年、東京生まれ。旧制東京中学、旧制第二高等学校を経て1912年東京帝国大学電気工学科を卒業後、猪苗代水力電気に入社。1923年猪苗代水力電気が東京電燈に合併されたことに伴い同社に移り、技師長や工務部長、取締役などを経て、1938年常務に就任。 戦後日本発送電副総裁を経て、1951年東京電力の初代社長に就任。翌1952年新井章治会長が死去したことに伴い会長に昇格。以後東電顧問、日本電力調査委員会委員長、日本電気協会会長などを歴任。
赤星 鐡馬(あかぼし てつま、1882年(明治15年)1月1… 赤星 鐡馬(あかぼし てつま、1882年(明治15年)1月11日 - 1951年(昭和26年)11月8日)は、日本の実業家である。泰昌銀行頭取。 東京府神田区猿楽町(現東京都千代田区神田猿楽町)で、海軍への物資調達で巨万の富を築いた赤星弥之助の息子(六男七女の長男)として生まれ、莫大な遺産を相続した。赤星家の財産はこの弥之助が築いたものである。1895年(明治28年)番町小学校高等科を卒業し、1901年(明治34年)に東京中学を卒業後渡米し、ローレンスビル・スクールに入学。1904年(明治37年)父の病気のため一時帰国。父親の死去にともない家業を継ぐ。1906年(明治39年)に再渡米し、ペンシルベニア大学卒業後、1908年(明治41年)に帰国し、同年12月、一年志願兵として麻布の騎兵第1連隊に入隊し、1909年(明治42年)12月、予備役編入となり除隊し、1910年(明治43年)予備役騎兵少尉、1922年(大正11年)後備役騎兵中尉となる。
伊藤 貞次(いとう ていじ、1878年〈明治11年〉1月17… 伊藤 貞次(いとう ていじ、1878年〈明治11年〉1月17日 - 1943年〈昭和18年〉)は、日本の実業家、政治家。第15代広島市長。広島商工会議所顧問。族籍は新潟県平民。 元キャンディーズのメンバーで、俳優水谷豊の妻である女優・歌手の伊藤蘭は曽孫、女優の趣里は玄孫にあたる。 新潟県岩船郡関谷村大字下関(現・関川村大字下関)出身。伊藤東蔵の長男。早くに父を亡くし、一家は困窮する。母の実家・渡邊家に身を寄せる。農作業に精を出す。 1896年、家督を相続する。1897年3月、東京数学院中学全科を卒業。鉄道局運輸課傭、北海道庁事業手。1899年7月、大蔵省文官普通試験に合格、同年8月北海道庁鉄道書記試験に合格。
山田 三次郎(やまだ さんじろう、1870年9月14日(明治… 山田 三次郎(やまだ さんじろう、1870年9月14日(明治3年8月19日) - 1939年(昭和14年)6月23日)は、日本の技術者、実業家。旭硝子(現AGC)会長や、日本化成工業(のちの三菱化学、現在の三菱ケミカル)社長を務めた。 鹿児島県生まれ。東京数学院(現東京高等学校)を経て、1897年に東京工業学校(現東京工業大学)窯業科卒業後、1900年から1903年まで農商務省海外実業練習生としてブリュッセルのガラス工場に留学した。 農商務省嘱託を経て、1906年東洋硝子技師。1908年旭硝子工務長となり、岩崎俊弥による旭硝子創業に加わり、欧米の調査などを行った。1918年日米板ガラス取締役。旭硝子常務取締役を経て、初代社長の岩崎の死後、1931年から後継として旭硝子取締役会長(第2代社長)を務めた。
玉塚 和男(たまつか かずお、生没年不詳)は、日本の実業家、… 玉塚 和男(たまつか かずお、生没年不詳)は、日本の実業家、経営者。玉塚證券(現・みずほ証券)専務取締役 2代目玉塚栄次郎(玉塚證券社長、日本証券業協会会長)の子として生まれる。 東京高等学校を経て、1951年(昭和26年)、立教大学経済学部経済学科卒業。大学時代はレスリング部に所属。 祖父の初代玉塚栄次郎が設立した玉塚證券(現・みずほ証券)に入り、専務取締役を務めた。 母校である立教経済人クラブの会長(1987年6月-1996年4月)および最高顧問を務めた。立教大学野球部が1957年(昭和32年)の春季リーグで優勝した際には立教大学新聞の優勝特集号に優勝に至った想いの声をよせた。