スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大野 将平(おおの しょうへい、1992年〈平成4年〉2月3… 大野 将平(おおの しょうへい、1992年〈平成4年〉2月3日 - )は、山口県山口市出身の日本の柔道家。階級は73kg級。身長170cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は五段。得意技は大外刈と内股。現在は旭化成に所属。 柔道は7歳の時に松美柔道スポーツ少年団で始めた。道場の2年先輩には後に無差別の世界チャンピオンとなる上川大樹がいた。山口市立良城小学校卒業後、2歳上の兄である哲也を追って上京すると、講道学舎の所属となった。指導者の持田治也によれば、入学当初の大野は同じ学年の選手8名のうち7番手に過ぎなかったものの、弦巻中学の2年生になる頃には一切妥協せず常に真剣勝負を挑んでくる大野の姿勢に躊躇して、上級生を含めた他の選手が大野と組み合うのを避ける傾向が出てくるなど、その存在感を示すようになってきたという。
海老沼 匡(えびぬま まさし、1990年2月15日 - )は… 海老沼 匡(えびぬま まさし、1990年2月15日 - )は、日本の柔道家。栃木県小山市出身。組み手は左組み。得意技は背負投。ロンドンオリンピックおよびリオデジャネイロオリンピック柔道男子66kg級銅メダリスト。 座右の銘は「努力は必ず報われる」。 柔道は5歳の時に兄二人の影響で、後に60kg級世界チャンピオンの髙藤直寿も所属することになる野木町柔道クラブで始めた。講道学舎出身。長兄に個人インカレを制覇した海老沼聖、次兄に海老沼毅がいる。 中学からは上京して講道学舎に所属することになった。弦巻中学3年の全国中学校柔道大会66kg級で優勝した。世田谷学園高校2年の時にはアジアジュニアで優勝した。なお、この大会で知り合ったことがきっかけで東北高校3年の阿部香菜と交際するようになった。
出花 崇太郎(でばな しゅうたろう、1985年1月30日 -… 出花 崇太郎(でばな しゅうたろう、1985年1月30日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。大阪府出身。リングネームはキャプテン☆アフリカ。元修斗世界ライト級王者。 柔道時代の階級は73kg級。得意技は寝技。柔道以外にも、総合格闘技、レスリング、コンバットレスリング、サンボ、コンバットサンボ、BJJ、グラップリングなど様々な格闘技に取り組んでいる。 泉尾工業高校3年の時にインターハイ73kg級の2回戦で今大会優勝した世田谷学園高校3年の海老沼聖に敗れた。2003年に道都大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアの決勝で天理大学1年の松本雄史に有効で敗れて2位だった。講道館杯では2回戦で東海大学3年の園田悠二に小内刈で敗れるも、敗者復活戦を経た3位決定戦で筑波大学4年の高松正裕を後袈裟固で破ったのを始め、勝った試合は全て抑込技で一本勝ちした。
海老沼 聖(えびぬま さとる、1984年7月10日 - )は… 海老沼 聖(えびぬま さとる、1984年7月10日 - )は栃木県出身の日本の柔道家。73 kg級の選手。身長は173 cm。組み手は左組み。得意技は大内刈、肩車。海老沼3兄弟の長兄。末弟はオリンピック2大会連続銅メダリストで世界選手権3連覇を達成した66kg級の海老沼匡。 柔道は5歳の時に野木町スポーツ少年団で始めた。講道学舎に入塾すると、弦巻中学2年の時に近代柔道杯の決勝で国士舘中学を破って優勝を飾った。3年の全国中学校柔道大会には東京予選で国士舘中学に敗れて出場できなかったが、全日本選抜少年柔道大会では決勝で国士舘中学を破って優勝を飾った。 世田谷学園高校2年の時には金鷲旗で優勝するが、インターハイの個人戦73kg級では平安高校の寺居大志に敗れた。
澤田 敦士(さわだ あつし、1983年8月20日 - )は、… 澤田 敦士(さわだ あつし、1983年8月20日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、元柔道家。千葉県我孫子市議会議員(3期)。北海道旭川市出身。 小学1年で柔道を始め、小学校を卒業すると講道学舎へ入門(22期生)。 世田谷区立弦巻中学校、世田谷学園高校の柔道部では日本一を経験した。 2002年、明治大学に入学。 2002年9月8日、全日本ジュニア柔道体重別選手権大会100kg級で優勝を果たした。 明治大学卒業後、プロレスラーになるべく小川直也の主宰する小川道場に入門。 2007年9月8日、IGF「GENOME」の石川雄規戦にてプロレスデビューを果たしたが、7分20秒スリーパーホールドで絞め落とされた。
泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本… 泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。青森県下北郡大間町出身。柔道六段を取得。組み手は左組み。得意技は大外刈。妻は女優の末永遥。株式会社ヴィレッジ・エンターテイメント事業部所属。 実父はマグロの漁師だった。 泉は小学校までを地元大間町で過ごしたのち、中学校より柔道私塾講道学舎に入門するため単身上京し、世田谷区立弦巻中学校に入学、3年の全国中学校柔道大会ではベスト8で敗れたが世田谷学園高等学校3年の時にインターハイで優勝を果たした。明治大学に入学後、2004年のアテネオリンピックでは決勝でグルジアのズラブ・ズビャダウリに敗れたはしたものの、銀メダルを獲得した。
棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は… 棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は、日本の柔道家。講道館柔道七段。警視庁警部補。 愛媛県松山市出身。松山市立石井北小学校に入学。幼少時に父の手ほどきを受けて柔道を始め、小学校卒業後に上京。柔道私塾講道学舎へ入寮し、世田谷区立弦巻中学校を経て世田谷学園高等学校へと進学する。講道学舎は、厳しい規律と練習で知られ、同期入門者13人のうち最後まで残ったのは4人だった。1998年、世田谷学園3年時、金鷲旗の決勝・国士舘高校戦において史上初となる4人抜きを成し遂げ、世田谷学園を優勝に導く。個人戦においても全国高等学校柔道選手権大会、インターハイを制覇し、史上最年少で嘉納治五郎杯優勝を飾るなど、名実ともに高校柔道界最強の選手と呼ばれた。
竹下 忠良(たけした ただよし、1980年1月30日 - )… 竹下 忠良(たけした ただよし、1980年1月30日 - )は、佐賀県出身の日本の柔道家。90kg級の選手。身長は176cm。 講道学舎に入塾すると、弦巻中学1年の時に近代柔道杯で3位となった。2年の時には近代柔道杯の決勝で国士舘中学を破って優勝を飾った。3年の時には全国中学校柔道大会の決勝で小杉南中学と対戦すると、代表戦で一本勝ちを収めてチームを優勝へ導くとともに、個人戦の78kg級でも勝利して2冠を達成した。マルちゃん杯の個人戦無差別では決勝で静充館柔道場の落合幸治を破って優勝したが、団体戦では決勝で国士舘中学に敗れて中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯)はならなかった。
小嶋 新太(こじま あらた、1975年4月24日 - )は、… 小嶋 新太(こじま あらた、1975年4月24日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は100kg級。身長180cm。 弦巻中学に入学して講道学舎の所属となると、3年の時には近代柔道杯とマルちゃん杯の団体戦で2位になった。全国中学校柔道大会には都予選で国士舘中学に敗れて出場できなかった。世田谷学園高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で3位、インターハイ団体戦では決勝で天理高校と対戦すると、大将戦で190cm、150kgの竹之下勝正に崩袈裟固で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の団体戦では1学年上の瀧本誠や小斎武志とともに活躍して優勝した。2年の時には金鷲旗とインターハイでも優勝して、5年ぶり3度目の高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。
瀧本 誠(たきもと まこと、1974年12月8日 - )は、… 瀧本 誠(たきもと まこと、1974年12月8日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。茨城県岩井市(現・坂東市)出身。柔道五段。2000年シドニーオリンピック柔道男子81kg級金メダリスト。 2000年シドニーオリンピックの際には、当時の柔道家では珍しい茶色に染めた髪、国歌斉唱時に手を胸に置く仕草などユニークなエピソードをマスコミに提供。「柔道界の異端児」とも評された。柔道家時代の得意技は、袖釣り込み腰、内股。 総合格闘技に転向・引退後、柔道指導者として活動している。 実家は青果店を経営。たまたま客に柔道の先生がいて誘われたのがきっかけで、6歳(小学1年)の時に柔道を始める。中学入学と同時に上京、講道学舎に入門(吉田善行、小斎武志、大山峻護らが同期)。
小齊武志(こざい たけし、1974年4月23日 - 2006… 小齊武志(こざい たけし、1974年4月23日 - 2006年11月8日)は、福岡県出身の柔道家(四段)、格闘家。 小学校で柔道を始め、講道学舎へ入門。瀧本誠、吉田善行、大山峻護らと同期となる。この由縁により、大山のセコンドにつくことも多かった。 世田谷学園高校の柔道部では、高校三冠を果たした。 福岡大学卒業後、NEXCO(東日本高速道路)柔道部に在籍。100kg級で井上康生、鈴木桂治らとしのぎを削った。 1998年1月24日、ロシア国際柔道の100kg級に出場し、3位入賞。準々決勝では日本デビュー前のエメリヤーエンコ・ヒョードルに一本勝ち。のちに「ヒョードルを倒した男」と呼ばれることとなった。
田辺 勝(たなべ まさる、1972年12月16日‐)は、高知… 田辺 勝(たなべ まさる、1972年12月16日‐)は、高知県出身の柔道選手。現役時代は86kg級の選手。現日本体育大学教授。日本体育大学男子柔道部監督。 小学校1年の時に柔道を始める。中学3年の時に全国中学校大会78kg級で3位に入る。高校からは上京して講道学舎に学ぶ。高校2年の時、インターハイ軽重量級で優勝する。続いて高校選手権の無差別では、86kg級の選手ながら決勝で重量級の真喜志慶治を破って優勝を飾る。さらに高校選手権では世田谷学園高校の団体戦優勝にも貢献して2冠を達成する。日体大進学後は、大学2年の時に世界ジュニアで優勝を果たす。しかし、86kg級は吉田秀彦、中村佳央、岡田弘隆等強豪揃いの階級だったこともあって、シニアの大会では上位に顔を出すものの優勝までには至らなかった。
鉄谷 竜三(てつや りゅうぞう、1972年4月22日 - )… 鉄谷 竜三(てつや りゅうぞう、1972年4月22日 - )は、熊本県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長170cm。 柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位になった。世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で1年先輩の松本昌広や阿武貴宏、同級生の田辺勝とともに活躍して優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で優勝するが、インターハイの団体戦では予選リーグで敗れて2年ぶり3度目の高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)はならなかった。全国高校選手権ではエースの田辺などとともに優勝を勝ち取った。
松本 昌広(まつもと まさひろ、1971年8月10日 - )… 松本 昌広(まつもと まさひろ、1971年8月10日 - )は、愛知県安城市出身の日本の柔道家。階級は95kg超級。身長178cm。体重120kg。 小学校2年の時に父親に勧められて杉山道場で柔道を始めた。4年と6年の時には県のチャンピオンとなった。テレビで見かけて憧れていた講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。2年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級では3位だったが、団体戦では1学年上の秀島大介などとともに活躍すると、決勝では代表戦で一本勝ちして優勝を飾った。3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で2位にとどまった。 世田谷学園高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で優勝するが、全国高校選手権では3位だった。
阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は… 阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は、山口県阿武郡福栄村(現萩市)出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長170cm。2歳年下の妹は世界選手権56kg級代表の阿武美和。5歳年下の妹はアテネオリンピック78kg級で優勝した阿武教子。 荻スポーツ少年団に所属していた小学校5年の時に全国少年柔道大会の個人戦無差別で3位になった。6年の時は2位となった。柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。 世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で3位だった。2年の時にはインターハイ団体戦決勝で東海大学付属福岡高等学校|東海大第五高校と対戦すると、相手エースの中村佳央に後袈裟固で敗れるなどしてチームは2位にとどまった。
秀島 大介(ひでしま だいすけ、1970年12月7日 - )… 秀島 大介(ひでしま だいすけ、1970年12月7日 - )は、日本の柔道家。福岡県・春日市出身。階級は71kg級。身長167cm。得意技は背負投。 小学校1年の時に地元のスポーツ少年団で柔道を始めた。その一方で、小学校4年の時にはリトルリーグで野球も始めた。小学校5年の時にはもっとレベルの高いところで柔道に取り組むために田村亮子や中村三兄弟(中村佳央、中村行成、中村兼三)などを輩出したことで知られる東福岡柔道教室に道場を移った。小学校6年の時に団体戦の少年少女練成大会で優勝したことがきっかけで、中学からは上京して講道学舎へ入門した。 講道学舎で指導を受けることになった吉村和郎は特に恐ろしい存在で、高校3年になるまでまともに言葉を交わすことさえできなかった。
吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、1969年9月3日 - )は、… 吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、1969年9月3日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。愛知県大府市出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。柔道七段。現在は吉田道場師範、パーク24柔道部総監督。 共長小学校-大府西中学校-講道学舎入門-世田谷区立弦巻中学校(中学3年時に転校) -世田谷学園高校-明治大学。その間、戦歴は1984年全中(-65kg級)準優勝、1987年インターハイ(軽重量級)優勝、1987、1988年全日本ジュニア(-78kg級)優勝、1988、1990年世界学生選手権(-78kg級)優勝など。 1991年から1997年まで新日鉄に所属。1992年バルセロナオリンピックに出場して初戦から決勝まですべて一本勝ちを収め、金メダルを獲得した。
石田 輝也(いしだ てるや、1968年5月25日 - )は愛… 石田 輝也(いしだ てるや、1968年5月25日 - )は愛知県大府市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長178cm。現在は大成高校の柔道部監督を務めている。 柔道は小学校1年の時に体が大きかったことから父親にすすめられて、オリンピック金メダリストとなる吉田秀彦や谷本歩実を生み出したことでも知られる大石道場で始めた。師範の大石康によれば、週2日の練習以外にも大石の下を訪ねて練習するような、誰よりも積極的な姿勢を見せる選手だったという。 2年の時に全国中学校柔道大会で敗れたことを契機に、もっと強くなりたいという思いから講道学舎に入塾することになった。弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg級で優勝すると、団体戦では2位になった。
古賀 稔彦(こが としひこ、1967年〈昭和42年〉11月2… 古賀 稔彦(こが としひこ、1967年〈昭和42年〉11月21日 - 2021年〈令和3年〉3月24日)は、日本の柔道家(講道館九段)、医学者。学位は博士(医学)(弘前大学・2012年)。 古賀塾・元塾長。元環太平洋大学・教授。元日本健康医療専門学校・校長。1988年ソウルオリンピック男子71kg級代表。1992年バルセロナオリンピックでは同階級で金メダルを獲得。1996年アトランタオリンピック男子78kg級でも銀メダルを獲得した。 佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)出身。 血液型はA型。身長169cm。兄も柔道家の古賀元博。古賀颯人は長男、古賀玄暉は二男。古賀ひよりは長女。 世田谷区立弦巻中学校、世田谷学園高等学校、日本体育大学卒業。
持田 達人(もちだ たつと、1965年4月3日 - )は、日… 持田 達人(もちだ たつと、1965年4月3日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。 現役時代は78kg級の選手。身長174 cm。 福岡県糸島郡志摩町(現・糸島市)出身。小学生の頃は町道場に籍を置いてはいたものの、主にラグビーをやっていてウィングとして活躍した。東京に柔道私塾・講道学舎が設立され、叔父の辰次が初代師範を務める事となると、生来より運動神経の良かった達人に白羽の矢が立ち、中学入学と同時に上京し講道学舎にて柔道を本格的に始める事となった。持田ら講道学舎の4期生はわずか6人だが、飛松秀樹や古賀元博(古賀稔彦の兄)ら小学生チャンピオンが3人おり、柔道未経験者で身長も150cmに満たない持田はゴミのように扱われた。
持田 治也(もちだ はるや、1965年3月20日 - )は、… 持田 治也(もちだ はるや、1965年3月20日 - )は、日本の柔道家。東京都中央区出身。現役当時の階級は-95kg級。現在は世田谷学園教諭(柔道部顧問)。 柔道私塾の財団法人日本柔道育英学会講道学舎を創設した横地治男の孫にあたることから、1977年7月1日、講道学舎竣工期から他の塾生とともに柔道に取り組んだ。 弦巻中学入学当時、同校に柔道部がなかった事から、5名の有志で柔道同好会を発足。 弦巻中柔道部発足当時の顧問は同校体育教諭であった野原明(現世田谷区スポーツ振興財団理事長)。 弦巻中学から世田谷高校(現:世田谷学園)へ進学すると、3年時には金鷲旗高校柔道大会で1年後輩となるバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の兄である古賀元博や世界選手権-78kg級で2位となる従兄弟の持田達人とともに活躍して初優勝を果たした。
松雪 博(まつゆき ひろし、1964年1月28日 - )は、… 松雪 博(まつゆき ひろし、1964年1月28日 - )は、佐賀県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級。身長170cm。 中学になると上京して、創設間もない柔道私塾の講道学舎へ入塾した。1年後輩には持田治也、2年後輩には持田達人、古賀元博などがいた。弦巻中学から世田谷学園高校に進むが、この当時全国大会で大きな実績は上げていない(1年後輩の持田が高校3年の時に金鷲旗で初めての高校タイトルを獲得した)。 1982年に日本大学へ入学すると、3年の時には正力国際の65kg級で優勝を飾った。4年の時には正力国際の団体戦準決勝で韓国の尹容勃に反則の対象となる体を捨てた脇固めを食らって反則勝ちになるも、左肘を負傷して団体戦決勝のソ連戦及び個人戦には出場できず2連覇はならなかった。
古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月2… 古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月25日 - 2025年1月24日)は、佐賀県三養基郡出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と71kg級。身長168cm。弟はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。 柔道は小学校3年の時に近所の友達の影響で弟の稔彦とともに始めた。小学校を卒業すると上京して柔道私塾の講道学舎へ入塾した。弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位となった。なお、講道学舎の厳しさを考慮して弟の入塾には断固反対していたが、弟は全く聞き入れず兄と同じ道を辿ることになった。講道学舎では東京オリンピック中量級金メダリストの岡野功より直立姿勢から投げ切る一本背負投を直々に伝授されて得意技にしていった。
友野 雅義(ともの まさよし)は、日本の柔道家である。 日本… 友野 雅義(ともの まさよし)は、日本の柔道家である。 日本体育大学体育学部武道学科、日体柔整専門学校卒業。1981年に柔道私塾の講道学舎と提携する世田谷学園高校柔道部の監督就任。1982年には金鷲旗で講道学舎創設者の孫にあたる持田治也やバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の兄である古賀元博、世界選手権の78kg級で2位となる持田達人などの活躍により初優勝を果たした。重量級選手が中心になっていた高校柔道界の団体戦において、軽量級や中量級主体の小兵軍団が全国優勝を果たしたことで一躍センセーションを巻き起こすことにもなった。 1985年には古賀稔彦らの活躍により高校選手権で初優勝、1986年には石田輝也や後にバルセロナオリンピック78kg級金メダリストとなる吉田秀彦らの活躍により高校柔道界で初となる高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。