スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐々木 俊輔(ささき しゅんすけ、1999年11月6日 - … 佐々木 俊輔(ささき しゅんすけ、1999年11月6日 - )は、東京都日野市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 小学校1年生の時に高幡イーグルスで野球を始め、中学時代は硬式野球のクラブチームである羽村シニアでプレーしていた。 帝京高等学校では主に内野手としてプレーした。3年夏の東東京大会では第1シードとして臨んだが、準々決勝で東海大高輪台にサヨナラ負けを喫した。3年間で甲子園大会出場はなかった。帝京高校時代は1学年先輩に郡拓也が在籍していた。 高校卒業後は東洋大学へ進学し、主に外野手としてプレー。1年春からリーグ戦に出場したが、打撃では思うように結果が出ず、控えや守備での出番が多かった。
郡 拓也(こおり たくや、1998年4月25日 - )は、東… 郡 拓也(こおり たくや、1998年4月25日 - )は、東京都三鷹市出身のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 三鷹市立南浦小学校時に連雀スパローズで兄と同様に野球をはじめ、三鷹市立第一中学校入学とともにシニアリーグの武蔵府中シニアに加入する。帝京高等学校進学後は、中堅手や二塁手やリリーフとして出場もあるが、捕手にコンバート。全国大会の出場はないが、高校3年時の東東京大会では同一回に二盗、三盗、本盗を続けて決める「パーフェクトスチール」を達成、その走塁が話題となった。帝京高校時代は2学年先輩に清水昇と田島洸成、1学年後輩に佐々木俊輔が在籍していた。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから7位指名を受け、契約金2000万円・年俸480万円(金額は推定)で契約した。
清水 昇(しみず のぼる、1996年10月15日 - )は、… 清水 昇(しみず のぼる、1996年10月15日 - )は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 日本プロ野球におけるシーズン最多ホールド記録保持者(50ホールド)。 足立区立江北小学校では少年野球のジュニアヤンガースに所属する。駿台学園中学校では軟式野球部に所属し、3年夏の第33回全国中学校軟式野球大会ベスト8。 帝京高等学校では1年秋からエースとなる。3年夏の東東京都大会では準々決勝で第86回選抜高等学校野球大会に出場した伊藤優輔擁する小山台高校に勝利。続く準決勝で一学年下のオコエ瑠偉ら擁する関東第一高校にも勝利し、決勝に進んだが大江竜聖ら擁する二松学舎大附高に敗れた。
田島 洸成(たじま こうせい、1996年7月13日 - )は… 田島 洸成(たじま こうせい、1996年7月13日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 帝京高等学校では2年生から遊撃手のレギュラーのつかみ、夏の東東京大会ではベスト4まで進む。しかし、同年秋に肉離れを起こし、3年春はベンチ外、夏も控えにとどまった。 大学進学を予定していたが、地元埼玉県にベースボール・チャレンジ・リーグの新球団・武蔵ヒートベアーズができることを知り、同球団へ入団。2015年、高卒1年目にして、遊撃手としての定位置を確保。打率は1割台に終わったが、63試合に出場した。 2015年度育成選手ドラフト会議で読売ジャイアンツで4巡目指名を受け、入団。
石川 亮(いしかわ りょう、1995年7月20日 - )は、… 石川 亮(いしかわ りょう、1995年7月20日 - )は、神奈川県川崎市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 川崎市立橘中学校在学時は中学硬式野球クラブの強豪である武蔵府中シニアに所属、3年時には主将としてチームを全国3位に導いた。 帝京高校入学後の2011年夏には第93回全国高等学校野球選手権大会東東京都大会に1年生ながらベンチ入りを果たすと同時に帝京高校野球部では史上初となる1年生での正捕手に抜擢、2学年上の伊藤拓郎投手とのバッテリーで東東京都大会を制覇し甲子園への出場を果たした。 優勝候補本命としての出場となった甲子園初戦は大谷翔平を擁する花巻東を乱打戦の末に破るが、2回戦の八幡商戦では9回土壇場まで3点をリードしていながら逆転満塁本塁打を喫し2回戦敗退となった。
伊藤 拓郎(いとう たくろう、1993年4月2日 - )は、… 伊藤 拓郎(いとう たくろう、1993年4月2日 - )は、徳島県阿南市生まれ、東京都練馬区出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(投手)。右投右打。 徳島県阿南市生まれ、東京都練馬区育ち。小学2年から野球を始めて、地元チームのツバメ野球部でプレーする。大泉西中では東練馬リトルシニアに所属、3年時にAAアジアチャレンジマッチ日本代表に選出される。 帝京高に進学すると、1年時春から公式戦に登板。背番号18でベンチ入りした第91回全国高等学校野球選手権大会の2回戦(初戦)・敦賀気比高戦の9回2死からリリーフとして登板し甲子園デビューを果たすと、最速147km/hを記録。続く3回戦の九州国際大附高戦では148km/hをマークして、大阪桐蔭の中田翔が2005年の夏に記録した1年生の最速記録を更新した。
山﨑 康晃(やまさき やすあき、1992年10月2日 - )… 山﨑 康晃(やまさき やすあき、1992年10月2日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 エイベックス・マネジメントとマネジメント契約を結んでいた。現在はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 実家が近所で幼い頃から家族ぐるみで親交のあった12歳上の森本稀哲に憧れ、小学2年生の頃に森本も所属した少年野球チームに入り野球を始める。 帝京高等学校では、2年時に第91回全国高等学校野球選手権大会、3年時に第82回選抜高等学校野球大会でいずれも準々決勝まで進出した。帝京高校では1学年上に原口文仁、2学年上には杉谷拳士と髙島祥平がいた。
原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は… 原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の元プロ野球選手(捕手・内野手 )。右投右打。野球講演家・野球解説者・野球評論家として活動。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 読売ジャイアンツ(巨人)の正捕手だった阿部慎之助への憧れが高じて、小学4年時に、軟式野球チームの寄居ビクトリーズ(現在のキングフィッシャーズ)で捕手として野球生活を始めた。埼玉県寄居町立城南中学校在学中には、寄居リトルシニア(現在の深谷彩北リトルシニア)で一塁手としてプレー。中学校からの卒業を機に、帝京高校(東京都板橋区)へ進学した。進学の決め手になったのは、中学3年時に世田谷西シニアとの試合で放った本塁打で、同チームの監督としてこの一打を目にした蓬萊昭彦(元・西武ライオンズ)が帝京高校硬式野球部監督(いずれも当時)の前田三夫に原口の入部を推薦したという。
杉谷 拳士(すぎや けんし、1991年2月4日 - )は、東… 杉谷 拳士(すぎや けんし、1991年2月4日 - )は、東京都練馬区出身のYouTuber、タレント、元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)、実業家。 父は元プロボクサーの杉谷満、伯父も元プロボクサーの杉谷実。 令和におけるNPB初の左右打席本塁打達成者。 練馬区立大泉第三小学校時代はツバメ野球部でプレーし、練馬区立大泉西中学校時代は東練馬シニアでプレーした。 杉谷の1歳上の兄・翔貴も進学していた帝京高校で1年生から正遊撃手を任され、甲子園には春夏通算で3度出場。 2006年夏の第88回選手権大会では準々決勝・智弁和歌山高校戦の大逆転した直後の9回裏に監督の前田三夫から度胸を買われ投手として緊急登板するも先頭打者に死球を与え、わずか1球で降板し敗戦投手となった(詳細は『第88回全国高等学校野球選手権大会智辯和歌山対帝京』を参照)。
髙島 祥平(たかしま しょうへい、1990年8月4日 - )… 髙島 祥平(たかしま しょうへい、1990年8月4日 - )は、埼玉県朝霞市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は中日ドラゴンズの打撃投手。 朝霞市立朝霞第二小学校時代は野球が嫌いで、2年生から6年生までアイスホッケーのクラブチーム「西武ホワイトベアーズ」でディフェンダーを担当。主将を務めた6年生の時には関東大会で優勝。東京都選抜チームにも選出され全国大会第3位。朝霞市立朝霞第二中学校では野球好きの父親に請われる形で軟式野球部に入部。Kボールの埼玉県選抜チーム「藤倉オールスターズ」(現・埼玉スーパースターズ)ではエースとして全国優勝。続くアジア大会では準優勝。 帝京高校進学後は1年夏からベンチ入り。
中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、… 中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、埼玉県朝霞市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校2年生の時に岡ファイターズという少年野球チームに所属し、野球を始めた。朝霞市立朝霞第二中学校では軟式野球部に所属し、髙島祥平とは中学時代から同じチームに所属していた関係がある。一つ下の学年であった。帝京高校入学時は内野手兼投手だったが、同級生に大田阿斗里(横浜ベイスターズに入団)や垣ヶ原達也(青山学院大学→日立製作所)といった好投手がおり、投手としての自分に限界を感じて野手を志したという。子どもの頃は埼玉西武ライオンズのファンだった。 帝京高等学校入学後1年夏からベンチ入り。
上野 大樹(うえの ひろき、1986年10月13日 - )は… 上野 大樹(うえの ひろき、1986年10月13日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。元プロ野球選手の上野貴久は実兄。 帝京高では1年夏に甲子園出場するが登板なし。東洋大学に進学。3年秋までは1勝止まりだったが、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会にて、最優秀投手賞に選ばれる。4年秋はMVP、最優秀投手の活躍で、明治神宮野球大会にも優勝して4冠に貢献。東都大学リーグ通算8勝3敗。 2008年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名され、12月19日に契約した。 2009年には、7月3日の対オリックス・バファローズ戦(千葉マリンスタジアム)に中継ぎ投手として一軍デビュー。
高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千… 高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 流山市立東小学校、流山市立東部中学校卒業。 帝京高校時代は松本高明、吉田圭らがチームメイト。自身はエースを務めたほか、高校通算12本塁打を記録するなど打撃も良く、登板しない際には三塁手としても出場していた。3年生時(2002年)には第84回全国選手権に出場し、最終的に準決勝まで勝ち進んだが、2回戦の光泉高校(滋賀県代表)戦以外はピリッとせず、伝令役の選手に「エースならしっかりしろ!」と一喝される一幕もあった。 青山学院大学では国際政治経済学部に在籍。山岸穣の卒業後にエースとなる。3年春から4年春にかけて同大学のリーグ3連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。
吉田 圭(よしだ けい、1984年7月4日 - )は、東京都… 吉田 圭(よしだ けい、1984年7月4日 - )は、東京都北区出身の元プロ野球選手(内野手)。広島東洋カープに所属していた。 帝京高校では1年秋から一塁手で出場、2年春から外野手。3年時に夏の甲子園でベスト4。また東東京大会準々決勝では芝浦工大高に対して9回1死までノーヒットノーラン。チームメートの松本高明と共に2002年ドラフト2巡目で広島東洋カープに投手として入団。高校通算18本塁打を放った打力も評価されていた。 しかし、左肩を痛め1年目は治療に専念するも、以前のような投球は出来なくなり、シーズン終了後にコーチから野手転向を勧められ、2年目以降は外野手で1軍定着を目指した。 2006年8月31日の巨人戦では一塁手として初スタメンを果たす。
松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )… 松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は広島東洋カープの広報担当者。 帝京高等学校では3年夏の東東京大会で打率.591とチーム最高打率を残す。地方大会では出塁した第一打席は必ず先制の生還を果たしていた。甲子園では1番バッターとして5試合4盗塁と活躍しベスト4。また1試合5残塁という珍記録を持っている(2回戦で、2安打2四球1敵失に加え3盗塁を決めるも、一度も生還できず)。これは個人最多残塁の大会タイ記録。 その後、同期の吉田圭とともに2002年ドラフト5巡目で広島東洋カープに入団した。 3年目の2005年に初の一軍昇格。 2006年はセ・パ交流戦で4割近い打率を残す。
上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は… 上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツに所属していた。実弟は千葉ロッテマリーンズに所属していた上野大樹。 中学時代は地元の軟式野球チームブラックキラーズに所属していた。帝京高時代は控え投手だったが、進学した東洋大学の野球部では1年生春から主戦投手になる。東都大学リーグ通算75試合登板し14勝28敗、防御率3.43、228奪三振。 大学卒業後の2005年はNTT東日本に入社、同社硬式野球部に所属。2006年の都市対抗では、予選で3勝、本戦で1勝をあげた。同年の大学生・社会人ドラフト会議で読売ジャイアンツから3巡目指名を受け入団(契約金1億円、年俸1500万円)。
森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )… 森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家、タレント、YouTuber。 1998年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。2006年から2008年にかけて3年連続でゴールデングラブ賞を受賞、2007年にはベストナインにも選ばれた。2011年には横浜ベイスターズへ、2014年には埼玉西武ライオンズへ移籍し、ライオンズ在籍中の2015年に現役を引退。2023年から北海道日本ハムファイターズの一軍外野守備走塁コーチを務める。 小学生の時、汎発性円形脱毛症にかかり、髪の毛が抜けてしまう。
金剛 弘樹(こんごう ひろき、1979年2月12日 - )は… 金剛 弘樹(こんごう ひろき、1979年2月12日 - )は、埼玉県入間市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。現在は立正大学硬式野球部で監督を務めている。 帝京高では、1995年夏の第77回全国高等学校野球選手権大会優勝も含めて3度出場。ただし控え投手のため試合出場は2試合で、途中から外野守備に就いたのみで登板機会はなかった。 立正大学に進学し、東都大学野球に加盟する同校野球部に入部すると150km/hをマークして一躍スカウトから注目されたが、2年生の時に右肘を故障して手術するなど戦列を離れると以降は救援に回ってプロ入りの機会を逃す。大学では3学年上に広田庄司がいて武田勝、吉見宏明と同期であった。
サブロクそうすけ(1976年2月8日 - )は、日本のお笑い… サブロクそうすけ(1976年2月8日 - )は、日本のお笑い芸人、元プロ野球選手(投手)。本名及び旧芸名は杉浦 双亮(すぎうら そうすけ)。2016年の1シーズン、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属した。選手としての登録名は「サブロク双亮」。ジモン軍団のメンバー。 太田プロダクション所属。山内崇とのコンビ、360°モンキーズ(2018年1月限りで解散)でボケを担当していた。 八丈島の出身で、埼玉県大宮市(現さいたま市)・東京都渋谷区で育つ。実家は寺院で、父親は僧侶だった。帝京高校から帝京大学に進学した。 下記、プロ野球選手の引退発表時に芸名の改名を発表。2017年12月10日から芸名を本名から「そうすけ」に改めた。
三澤 興一(みさわ こういち、1974年6月8日 - )は、… 三澤 興一(みさわ こういち、1974年6月8日 - )は、埼玉県入間郡大井町(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(投手)。2001年6月までの登録名は「三沢 興一」(読みは同じ)。 アトランタオリンピック野球の銀メダリスト。 帝京高校では1991年春夏、1992年春夏の4季連続甲子園出場を果たす。2年秋の明治神宮大会では決勝で松井秀喜を擁する星稜高校に敗れた。高校通算29本塁打を記録するなど3年時はエースで4番だった。 1992年の第64回選抜大会では4連投の末、決勝戦で東海大相模高校を3-2で破り、優勝を果たす。同年の第74回全国選手権では1回戦で尽誠学園高校に0-1で敗れ、春夏連覇の夢を絶たれる。
鹿野 浩司(しかの こうじ、1971年4月3日 - )は、東… 鹿野 浩司(しかの こうじ、1971年4月3日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。 サッカー選手の鹿野修平は息子。 帝京高校時代は、吉岡雄二らと共に3年次の1989年に春のセンバツ、夏の選手権と春夏連続で甲子園に出場。 夏の選手権では、2回戦の米子東高戦から準々決勝の海星高戦にかけて8打数連続安打を記録する。これは現在も水口栄二らと並んで大会最多連続安打記録である。決勝の仙台育英高戦では、延長10回に大越基から決勝2点適時打を放つなどして優勝に輝いた。 1989年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5巡目で指名され入団する。しかし、一軍出場の機会がないまま1994年限りで現役を引退。
芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は… 芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者、野球指導者。現在は帝京長岡高等学校の野球部監督。 帝京高校で高校野球大会に通算3回出場。3年時の1987年は、春夏の甲子園に共にエースとして出場。春の59回大会は、前年の秋の成績が芳しくなかったこともあってそれほど注目されていなかったが、2回戦で優勝候補の一角で、近畿大会王者の京都西を完封。準々決勝で野村弘、橋本清、立浪和義、片岡篤史らを擁するPL学園高校に延長11回、2-3でサヨナラ負け、2試合連続で好投したことで、一躍注目を浴びることとなった。夏の第69回選手権大会では2回戦・対東北高校戦でノーヒットノーランを達成(選手権大会史上20人目)するなど、3試合連続完封して準決勝に進出したが春夏連覇したPL学園に打ち込まれ、5-12で再び敗れた。
奈良原 浩(ならはら ひろし、1968年5月16日 - )は… 奈良原 浩(ならはら ひろし、1968年5月16日 - )は、埼玉県白岡市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 埼玉県白岡町でクリーニング店を営む家庭に生まれる。4歳の時に軟式野球のボールとグローブを買ってもらい、父と仕事の合間などにキャッチボールをするようになった。白岡市立篠津小学校ではスポーツ少年団で野球をし、篠津中学を経て帝京高校に進学。帝京では練習時間の2/3が守備練習に充てられ、監督の前田三夫による優れたノックで守備を鍛えられたという。1学年上に河田雄祐と小林昭則、1学年下に芝草宇宙がおり、チームは2年春の選抜大会で準優勝している。夏は東東京大会決勝で敗れて主将となった2年秋は東京都大会で優勝すると3年春も選抜大会に出場し、初戦で高知高校と対戦して自身は「1番・遊撃手」として2安打1盗塁の成績を残したが、チームは0対3で敗れている。
河田 雄祐(かわだ ゆうすけ、1967年12月22日 - )… 河田 雄祐(かわだ ゆうすけ、1967年12月22日 - )は、東京都練馬区出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。 帝京高3年時、第57回選抜大会に出場。主将、先頭打者としてチームを牽引し、準優勝に輝く。同級生に小林昭則(元ロッテオリオンズ)、1年後輩にプロでもチームメートとなる奈良原浩がいた。 1985年のプロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから3位指名を受けて入団。 1987年と1990年にウエスタン・リーグで盗塁王を獲得。同年にプロ入り5年目で一軍初出場を果たした。 1994年、プロ入り9年目にお立ち台に初めて立った。同年5月18日、読売ジャイアンツの槙原寛己が広島戦で完全試合を達成した試合では、9回表の先頭打者として代打で出場し、あわやヒットかというセンターフライに打ち取られている。
小林 昭則(こばやし あきのり、1967年8月5日 - )は… 小林 昭則(こばやし あきのり、1967年8月5日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2023年4月より藤井高等学校野球部監督を務めている。 帝京高では2年秋の都大会決勝で4番・秋元宏作を擁する国学院久我山高と延長13回の末に惜敗、1985年の春の選抜に出場。広島商業高、東海大五高、池田高を完封するなど順調に勝ち進む。しかし、決勝で伊野商業高の渡辺智男に本塁打を打たれた上に完封を喫し、準優勝にとどまった。春季関東大会では決勝で横浜高の相川英明に投げ勝って優勝。夏の東東京大会では、決勝まで進むが古賀道人擁する関東一高に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に河田雄祐、1年下に奈良原浩がいた。
伊東 昭光(いとう あきみつ、1963年4月2日 - )は、… 伊東 昭光(いとう あきみつ、1963年4月2日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・二軍監督。長男はサッカー選手の伊東駿多。 2014年から2015年まで東京ヤクルトスワローズの二軍監督を務め、現在は東京ヤクルトスワローズ編成部長。 ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 中学時代リトルリーグの全日本のエースとしてアメリカに遠征。帝京高校2年春(1980年)の第52回選抜高等学校野球大会では決勝戦まで勝ち進み、決勝戦では中西清起がエースの高知商業と対戦するが敗北して準優勝に終わる。優勝候補に挙げられた夏の東東京大会は準決勝まで進むも、早稲田実業との準決勝で1年生エースの荒木大輔に3安打で完封され、0対4で敗れて甲子園への出場を逃した。
吉岡 雄二 は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(内野手・外… 吉岡 雄二 は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、監督、コーチ。1995年から1997年までの登録名は「吉岡 佑弐」(読み同じ)。