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常松 之典(つねまつ ゆきのり、1915年11月14日 - … 常松 之典(つねまつ ゆきのり、1915年11月14日 - 1980年5月10日)は、日本の微生物学者。東京大学医科学研究所の教授として、主にトキソプラズマの研究で知られている。医学博士。東京大学名誉教授。 1915年11月14日東京に生まれる。父は東京帝国大学を卒業し三菱重工で活躍した造船技師の常松四郎である。武蔵高等学校に学び、水泳部に所属していた。東京帝国大学医学部を卒業し整形外科に入局するが、胸を患ったことで予防を志し伝染病研究所で研究の道に就いた。 もともと伝染病研究所の第7研究部において髄膜炎菌や淋菌の研究に携わっていたが、1952年ごろから部長である長谷川秀治が着手したトキソプラズマの研究の中核を担った。
高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1… 高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1985年6月30日)は、日本の物理学者。日本のコンピュータのパイオニア。理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。文化功労者。正四位勲二等旭日重光章に叙される。東京府豊多摩郡代々幡村(現・東京都渋谷区代々木)生まれ。 父の高橋穣は、心理学者・倫理学者で東北帝国大学教授や学習院大学教授を務めた。心理学者・元良勇次郎の孫。船舶工学者・元良誠三の従兄。 1937年に東京帝国大学(現・東京大学)理学部物理学科を卒業し、助手に就任。1942年に助教授に、1957年に教授に昇任した。 早くから電磁気学、特に回路論的思考を深く身につけ、分野にとらわれない自由な発想で数多の卓越した研究を行った。
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 19… 梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。 福井県小浜市生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学医学部卒業。卒業後、当時の東京帝国大学医学部細菌学教室、東京帝国大学付属伝染病研究所に勤務。1947年国立予防衛生研究所設立とともに初代抗生物質部長に就任。1954年以降は、東京大学応用微生物研究所教授(兼務)となる。 ペニシリンの国産化に尽力し、1956年、国産初の抗生物質カナマイシンを発見、精製。カナマイシンは、ストレプトマイシンの効きにくい耐性菌にも効果のある抗生物質として世界的に用いられた。当時の厚生大臣橋本龍伍の計らいにより、このカナマイシンの特許料を基金として、1959年財団法人微生物化学研究会を設立、理事長に就任。
三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 200… 三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 2006年3月13日)は、日本の西洋史学者・エッセイスト。元茨城大学教授、上智大学名誉教授。 東京府豊島師範学校附属小学校、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学西洋史卒業。 戦後新制成蹊高等学校教諭を経て、茨城大学助教授、1966年同大学教授、1970年上智大学教授、1980年同大学特別待遇教授、1985年退職、同大学名誉教授。ギリシア古代西洋史を専門とするが、『世界史こぼれ話』が角川文庫に収められて人気を博した。 没年91。葬儀は日本基督教団高輪教会、喪主は長男の三浦久利夫(くりお)。
太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - … 太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - 2007年1月19日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。九州芸術工科大学学長等をつとめた。 1912年、東京生まれ。誠之小学校を経て、1932年旧制武蔵高等学校を卒業。この頃から建築史に関心を深め、奈良・京都の古建築に親しんだ。1935年、卒業論文「東大寺南大門の研究」を提出して、東京帝国大学工学部建築学科を卒業した。 1937年、妙成寺国宝建造物修理事務所助手となり、1939年、法隆寺国宝保存工事事務所助手となる。1943年、東京帝国大学助教授に就任。1960年、東京大学教授。1957年、学位論文『中世建築の基礎的研究』を東京大学に提出して工学博士の学位を取得。
久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 20… 久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 2010年1月20日)は、日本の法制史学者。東京大学名誉教授。西洋法制史専攻。 栃木県出身。1931年に武蔵高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部入学。1934年に法律学科を卒業。助手を経て、1936年に助教授、1946年教授。1951年「サリカ法典」で日本学士院賞受賞。1954年「フランク時代におけるゲルマン法とローマ法」で東京大学法学博士。1965年東大法学部長。1972年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。1982年退職。日本学術会議会員、宗教法人審議会委員。
藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997… 藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997年1月31日)は、日本のドイツ語学者、東京外国語大学名誉教授。 東京都生まれ。1931年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学法学部入学、1935年同文学部独文科卒業、大学院進学、副手、1936年武蔵高校教授、1938年広島高等学校教授、1942年東京外国語学校教授、東京外国語大学助教授、1956年教授、1973年定年退官、麗澤大学教授、1982年退職。
磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
梅澤 純夫(うめざわ すみお、1909年11月22日 - 2… 梅澤 純夫(うめざわ すみお、1909年11月22日 - 2000年3月30日)は、日本の有機合成化学者。専門は抗生物質。慶應義塾大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、北海道帝国大学理学部卒業。北海道帝国大学助教授、藤原工業大学助教授を経て、1944年慶應義塾大学工学部(現理工学部)教授となる。 1944年「ペニシリン委員会」のメンバーとして、次弟の梅澤濱夫博士と共同で研究にあたり、日本初のペニシリン採取に成功。ペニシリン、ストレプトマイシン等の抗生物質の研究で世界的に知られる。また、梅澤濱夫らが発見した国産初の本格的抗生物質カナマイシンの化学構造の決定に寄与した。世界に先駆け、ストレプトマイシン(1974年)その他の数多くの抗生物質の全合成を達成し、日本の有機合成化学、抗生物質の研究をリードした。
岡本 舜三(おかもと しゅんぞう、1909年11月3日 - … 岡本 舜三(おかもと しゅんぞう、1909年11月3日 - 2004年4月14日)は、日本の応用力学者、文化功労者。埼玉大学第5代学長(1974年 - 1980年)。埼玉大学名誉教授。耐震工学の専門家。東京府出身。
太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 19… 太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、昭和・平成期の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。専門は中国詩学。文学博士。歌誌『潮音』主宰。妻(後妻)は歌人の太田絢子。青丘の娘は京都大学国語国文科卒の木村雅子(生母は満喜子)で『潮音』現主宰。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎(ひょうざぶろう)。太田水穂の兄・嘉曾次の三男で、父の没後に水穂・四賀光子夫妻の養子となる。当初は漢詩の創作から始まり、1928年(昭和3年)水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部中国文学科卒。東大大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。
田代 仁 は、日本の化学者。京都大学名誉教授、米国セラミッ… 田代 仁 は、日本の化学者。京都大学名誉教授、米国セラミックス学会フェロー。京都大学化学研究所所長や、窯業協会副会長を務め、勲二等旭日重光章を受章した。
三島 良績 は、日本の金属工学者、原子力工学者。東京大学原子… 三島 良績 は、日本の金属工学者、原子力工学者。東京大学原子力工学科教授として、特にベリリウム、ジルコニウム、チタンなど新金属合金の研究、原子炉燃料の被覆合金の研究に多くの実績を残し、日本の金属工学、原子力工学の草分けである。位階は正四位。父・三島徳七(磁性合金MK鋼の発明者、文化勲章受章者)、次男・三島良直(日本医療研究開発機構理事長、東京工業大学第19代学長)も金属工学研究者で、3代にわたる金属工学者の家系である。切手収集家としても知られ、金属工学の専門知識を生かした切手印刷技術の研究を通じて、造幣局の技術指導にあたった。大の野球愛好家で、自ら草野球投手として活動し、その方面の著作もある。
中野 義昭(なかの よしあき)は日本の電子工学者。豊田工業大… 中野 義昭(なかの よしあき)は日本の電子工学者。豊田工業大学学長。元・東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻および東京大学先端科学技術研究センター教授。工学博士。専門は半導体レーザ、半導体光制御デバイスなど。
中村 聡(なかむら さとし) は、日本の生物学者。東京工業大… 中村 聡(なかむら さとし) は、日本の生物学者。東京工業大学(のちの東京科学大学)副学長、沼津工業高等専門学校校長、日本化学会副会長などを歴任した。 武蔵中学校・高等学校を経て、1978年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部化学工学科卒業。1980年同大学大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程修了。指導教員は大倉一郎、慶伊富長。同年帝人研究員。1981年東京大学農学部受託研究員。1989年工学博士(東京工業大学)。 1990年東京工業大学助手。1993年同大学助教授。2002年同大学教授。2018年同大学副学長(国際広報)。2019年日本化学会副会長。2020年同大学名誉教授、沼津工業高等専門学校校長。