スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大森 美香(おおもり みか、1972年〈昭和47年〉3月6日… 大森 美香(おおもり みか、1972年〈昭和47年〉3月6日 - )は、日本の脚本家、演出家、小説家、映画監督。福岡県築上郡築城町(現・築上町)出身。 映画やドラマや芝居が好きな母親に影響を受け中学の頃は、演劇部に入部した。神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。青山学院女子短期大学芸術学科卒業。短大卒業後、名古屋テレビ放送に入社。東京本部で一般職として経理、秘書業務等を担当。24歳で退社。在職中から受講していたマスコミセミナーの講師であったフジテレビの山田良明編成局制作室第一制作部企画担当部長(当時)に掛け合い、フジテレビの契約ADの職を得る。AD休職中に書き上げた脚本を山田に持ち込み、1998年『美少女H』・第12話「十七歳の記録」で脚本家・演出家デビュー。
光岡 史朗(みつおか しろう、1949年〈昭和24年〉10月… 光岡 史朗(みつおか しろう、1949年〈昭和24年〉10月 - 2015年〈平成27年〉9月9日)は、日本のコピーライター・作家。 1949年生まれ。神奈川県出身。県立横浜翠嵐高校卒。高校時代から文学に親しむが、1967年高校3年のとき「10.8羽田事件」にショックを受け、急速に政治運動、マルクス主義に興味を抱く。明治大学に入学するが、その入学式の次の日から学生自治会室に入りびたる。 サークルは社会主義研究会。そこはブント=社学同の拠点サークルのひとつであった。そして1年生の後期から法学部委員長として活動し。ほとんど学生会館に泊り込みで、アジビラをつくり、立て看板を描き、毎朝校門でビラ撒きをする生活をおくる。
秋元 征紘(あきもと ゆきひろ、1944年〈昭和19年〉 -… 秋元 征紘(あきもと ゆきひろ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の実業家、作家。ワイ・エイ・パートナーズ(株)代表取締役、ジャイロ経営塾代表。株式会社ナイキジャパン元代表取締役社長。ゲラン株式会社元取締役会長・代表取締役社長。上智大学経済学部卒業、シドニー大学経済学部修士課程。神奈川県横浜市出身。 著書に「金の社員・銀の社員・銅の社員」「こうして私は外資4社のトップになった」「『ジャイロ経営』が社員のやる気に火をつける?パッション・カンパニー」がある。 1944年(昭和19年)神奈川県横浜市生まれ。上智大学経済学部を卒業、シドニー大学経済学部修士課程を修める。 1970年(昭和45年)日本精工(株)入社、2年後にニューヨークに3年駐在、トロントに5年駐在。
生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 20… 生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 2003年3月2日)は、日本の小説家。本名は小泉 太郎(こいずみ たろう)。早川書房の編集者から作家に転じ、『追いつめる』で直木賞を受賞した。日本に正統ハードボイルドを移植した功労者の一人。 上海生まれ。1945年2月に長崎に引き揚げ、6月に母の郷里・金沢に移る。そのため、被爆を免れた。その後、父が横浜で職を持ったため横浜に転居した。 転居に伴い神奈川県立横浜第二中学校3年に編入した。学制改革により翌年(1948年)には神奈川県立横浜第二高校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)へと改組された同校で4年間学ぶ。同期に青木雨彦と宮原昭夫がいた。
宮原 昭夫(みやはら あきお、1932年8月5日 - )は、… 宮原 昭夫(みやはら あきお、1932年8月5日 - )は、日本の小説家。1972年に第67回芥川賞を受賞した。 神奈川県横浜市生まれ。中学3年から神奈川県立横浜翠嵐高等学校にかけての同期に青木雨彦と生島治郎がいた(ただし宮原は高校在学中に胸を患って数年間休学している)。早稲田大学第一文学部露文科卒業。同人誌「木靴」に参加し、太宰治の門弟として知られる小山清に師事した。 1963年、『ごったがえしの時点』を出版。1966年、「石のニンフ達」で文学界新人賞を受賞して文壇デビューし、第56回芥川賞候補に挙がる。以後「やわらかい兇器」「待っている時間」でも同賞候補に挙がり、1972年、「誰かが触った」で第67回芥川賞受賞を果たした。
山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 19… 山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。日本社会党と日本共産党に双方に入党し、共産党では志田派として中核自衛隊にも参加したが、後に両党から除名された。 1925年横浜市に生まれる。横浜第二中学校卒業後、1942年東京美術学校油画科入学、1943年第一高等学校文科入学、1944年旅順高等学校入学。旅順高等学校での学生生活が関東軍指揮下であることに反発し、朝鮮人の友人三人とともに脱走し、満州、朝鮮半島を南下し、日本本土に戻る。戦時下には太宰治に私淑し、1942、3年頃太宰の自宅を訪問し面会。 長野県で終戦を迎え、第一次日本アナキスト連盟に参加。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。