スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
水谷 修(みずたに おさむ、1956年(昭和31年)5月8日… 水谷 修(みずたに おさむ、1956年(昭和31年)5月8日 - )は、日本の教育者、元高等学校教諭であり、児童福祉運動家、ならびに教育評論家。水谷青少年問題研究所所長。一般社団法人グリーフケアパートナー理事。一般社団法人災害防止研究所理事。 神奈川県横浜市出身。幼少期を山形県南陽市で過ごす。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、上智大学文学部哲学科卒業。 高等学校教員時代に夜の繁華街をパトロールする活動を始め、繁華街をさまよう少年少女たちと向き合い「夜回り先生」と呼ばれる。 公明党の支持を表明している。 「夜回り先生」(サンクチュアリ・パブリッシング)が原作の映画。なお、水谷修の全著作中、同社から出版された「夜回り先生」及び「夜回り先生と夜眠れない子供たち」が韓国語に翻訳されている。
青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1… 青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、文芸評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒。同大学大学院修士課程修了。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属。会員に生島治郎、高井有一、富島健夫がいた。生島は神奈川県立横浜第二中学校(横浜翠嵐高等学校の前身)以来の友人でもある。 新聞記者として東京タイムズ社に勤務、学芸部長を務めた。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。
赤塚 行雄(あかつか ゆきお、1930年9月24日-2015… 赤塚 行雄(あかつか ゆきお、1930年9月24日-2015年3月29日)は、日本の評論家。中部大学名誉教授。専門は、文学、犯罪、青年問題など。
武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 201… 武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 2010年9月2日)は、日本の文芸評論家、全学連初代委員長。 神奈川県横浜市出身。横浜第二中学校、府立高等学校を経て東京大学文学部西洋史学科中退。東京大学在学中の1948年に全日本学生自治会総連合(全学連)結成に参画し、初代委員長に就任した。層としての学生運動論を唱え、学生は労働者階級の指導を受けなくとも、階級闘争の主体たり得ると主張[要出典]。1950年、日本共産党の50年分裂の際、同党統一委員会に属して除名される。1952年、新日本文学会(中野重治書記長、花田清輝編集長)に加入し、常勤編集部員となり、文芸評論活動を始める。戦争責任などで古い世代を批判する急先鋒にたつ。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。