スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
笹川 吉康(ささがわ よしやす、2002年5月31日 - )… 笹川 吉康(ささがわ よしやす、2002年5月31日 - )は、神奈川県横浜市西区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 横浜市立西前小学校3年から明神台リトルグランパースで野球を始め、横浜市立西中学校時代は「中本牧シニア」に所属。 高校は横浜市立横浜商業高等学校に進学し、1年時から外野手兼投手を務めた。甲子園出場経験は無く、2年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権神奈川大会5回戦で、3番・先発投手兼中堅手として出場し、投手として1回1/3を無失点、打者として1安打1打点を挙げるが、神奈川県立相模原高等学校に3-4で敗れた。高校通算40本塁打。 2020年10月26日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスからドラフト2位で指名され、11月13日、横浜市内にて入団交渉を行い、契約金6000万円、年俸600万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月10日、入団発表会見が行われた。
小沼 慶多(おぬま けいた、1987年7月22日 - )は、… 小沼 慶多(おぬま けいた、1987年7月22日 - )は、神奈川県伊勢原市出身の元高校野球指導者、元高校教師。2020年にはベースボール・チャレンジ・リーグの神奈川フューチャードリームス球団職員を務めた。2024年現在は藍師として活動している。 実家は桜台にある小沼酒店で、幼い頃は両親と配達に行くのが好きだった。小学2年生のとき、兄の影響で地元の少年野球チームに参加。伊勢原市立伊勢原中学校の野球部では主将を務めた。卒業後は横浜市立横浜商業高等学校に進学。硬式野球部では捕手としてプレーし、間曽晃平(BCリーグ・新潟元投手、松本大学コーチ)とバッテリーを組んだ。 高校卒業後は神奈川大学人間科学部人間科学科スポーツ健康コースに入学。
山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )… 山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。 現役時代は読売ジャイアンツに所属し、セントラル・リーグ新人王を受賞。NPB最多タイ記録となる最優秀中継ぎ投手を3回獲得している。2014年にNPB史上初となる200ホールドを達成。2008年から2016年までの9年連続60登板はプロ野球記録であり、この9年で5度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献した。 横浜市立池上小学校1年時に少年野球を始める。横浜市立菅田中学校では軟式野球部に所属。3年時にはエースとして全日本少年軟式野球大会ベスト4進出。 横浜商業高校3年夏にはエースとして全国高等学校野球選手権神奈川大会ベスト8に進出。
長坂 健冶(ながさか けんじ、1977年10月29日 - )… 長坂 健冶(ながさか けんじ、1977年10月29日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。本名は健治だが、2005年に登録名を健冶へ変更(さんずいの「治」からにすいの「冶」へ変更)。 横浜市立横浜商業高等学校から横浜商科大学へ進み、2年春と4年春はベストナイン。日本IBM野洲に入社。鉄砲肩で有名、特に中村泰広とバッテリーを組み、滋賀県の社会人野球ではほぼ無敵の強さを誇っていた。 2001年秋に行われた大阪近鉄バファローズと日本IBM野洲とのプロアマ交流戦で、当時ウエスタン・リーグ2年連続盗塁王だった森谷昭仁の盗塁を2回刺し、二軍ベンチとネット裏のスカウトを驚かせた。近鉄は、予定にはなかったが急遽長坂をドラフト指名リストに入れ、長坂は同年のドラフト会議で近鉄から8巡目指名を受けた。
武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は、神… 武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 横浜商高では1990年に夏の甲子園に出場し、2回戦の日大東北戦ではランニング本塁打を記録するなど、チームのベスト8進出に貢献した。創価大学で1年秋に首位打者、最多打点で最優秀新人、MVPとなる。盗塁王1回、ベストナイン3回。1995年のドラフトで近鉄に3位指名され、入団。 2年目の1997年、オープン戦で振るわなかったために開幕一軍はならなかったが、開幕8試合目から1番でスタメン出場するようになり、遊撃手のレギュラーとしても定着、大村直之がスタメンに入った後は2・9番併用、8月から再び1番に入る。
河原 隆一(かわはら りゅういち、1971年8月10日 - … 河原 隆一(かわはら りゅういち、1971年8月10日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズの編成部スカウティングディレクター兼アマスカウトグループグループリーダー。 小学2年の時に野球を始める。 横浜商業高時代は、2年秋に県大会優勝、関東大会ベスト4で1989年に行われた第61回選抜高等学校野球大会に出場。準決勝で種田仁(後々同僚となる)、元木大介率いる上宮高に敗れ、ベスト4。 高校卒業後は関東学院大学に進学。大学4年時の1993年の大学選手権(第42回大会)で、エース河原擁する関東学院は久留米大、佛教大、明治大、東北福祉大すべてを完封して勝ち上がったものの、決勝戦で小久保裕紀主将の青山学院大と戦い1-3で敗れ準優勝に終わった。
中村 大伸(なかむら だいしん、1966年2月11日 - )… 中村 大伸(なかむら だいしん、1966年2月11日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元社会人野球選手(外野手)。左投左打。 1996年アトランタオリンピック野球日本代表主将。 小学校4年の時に「永田オックス」で野球を始め、横浜市立永田中学校時代に投手から外野手に転向。 横浜市立横浜商業高等学校では2年春からベンチ入りし、2年秋からエース三浦将明擁するチームの主力となる。3年春(1983年)には第55回選抜高等学校野球大会では5番センターで出場、水野雄仁 擁する池田高に敗れ、準優勝を果たした。 春夏連続出場した夏の第65回全国高等学校野球選手権大会でも5番センターで、決勝戦で桑田真澄、清原和博のKKコンビ擁するPL学園高に敗れ、惜しくも春夏連続準優勝となった。
三浦 将明(みうら まさあき、1965年9月17日 - )は… 三浦 将明(みうら まさあき、1965年9月17日 - )は、神奈川県川崎市幸区出身の元プロ野球選手(投手)。甲子園ではエースとして春夏ともに準優勝に導いた。 川崎市立御幸中学校在学時は、同校軟式野球部に所属し投手として活躍した。 高校は県内および東京の私学校から熱心な誘いを受けるも、地元神奈川の強豪である公立の伝統校、Y校こと横浜商業高に入学。 1981年秋の新チームから、1年生ながら長身から投げ下ろす速球と縦に割れる大きなカーブを武器に主戦投手としてチームを牽引。旧くからのライバル校である横浜高を筆頭に桐蔭学園高や東海大相模高、法政二高や日大高など数多の強豪私学がひしめく秋季神奈川県大会を制する。
荒井 幸雄(あらい ゆきお、1964年10月13日 - )は… 荒井 幸雄(あらい ゆきお、1964年10月13日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。 愛称は同姓のタレント・荒井注にちなみ「チューさん」。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 横浜市立六浦中学校から横浜商業高校に進学。中堅手として1982年の春の選抜に出場。2年生エース三浦将明を擁し準決勝に進出するが、この大会に優勝したPL学園の榎田健一郎投手に抑えられ、2-3xで9回サヨナラ負け。高校通算43本塁打を記録している。 卒業後は社会人野球の日本石油に所属、1984年ロサンゼルスオリンピック野球日本代表では四番に座り金メダル獲得に貢献した。同年の日本・キューバ国際野球大会でも日本代表に選出されている。
宮城 弘明(みやぎ ひろあき、1962年6月16日 - )は… 宮城 弘明(みやぎ ひろあき、1962年6月16日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)、政治活動家。 横浜市でラーメン店を営む家庭に生まれ、野球好きの父によって左投げに矯正される。鶴見中学校3年生の時に2人のプロ野球選手から三振を奪い、10校以上の野球部から勧誘を受けて横浜商業高へ進学。 高校進学後は基礎体力作りに努め、高校2年生の1979年には、夏の県大会決勝で横浜高の愛甲猛との投げ合いを制し、同校を41年ぶりの夏の選手権出場へ導いた。しかし試合後に左肩に激痛を感じ、香川伸行とともに大会を代表する選手に挙げられていた本大会では、変化球主体の投球で準決勝まで勝ち進むも、石井毅、嶋田宗彦のバッテリーを擁する箕島高に惜敗。
中島 浩人(なかじま ひろと、1960年4月11日 - )は… 中島 浩人(なかじま ひろと、1960年4月11日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 横浜商業高では前年に続いて1978年の夏の県大会決勝に進出。横浜高の1年生・愛甲猛投手と投げ合うが3-5で敗退。甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は、社会人野球の日本鋼管に入社。1982年の都市対抗野球に日産自動車の補強選手として出場し、準決勝では住友金属を相手にリードされた終盤に登板したが敗れる。同年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受けるが、これを保留したままチームに残留し、翌1983年の都市対抗野球に出場。自身は救援で1試合に投げて、チームは準々決勝まで進出するが東芝に敗退。
片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神… 片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区釜利谷町出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜商業高校では、エースとして1964年の夏の甲子園神奈川県予選の準決勝に進出するが、鎌倉学園の林千代作中堅手に本塁打を喫し敗退。 高校卒業後は、神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは3度の優勝に貢献。1966年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、延長11回、日大に敗れた。大学同期に村越稔捕手がいる。1968年には秋季にリーグ最優秀選手となり、明治維新百年記念明治神宮野球大会に神奈川五大学選抜チームの一員として出場。1回戦で久玉清人をリリーフし、村越とバッテリーを組んで登板するが、関西六大学選抜に敗退した。
小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - … 小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - 1965年4月23日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手。ポジションは、主に内野手・外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した。 横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。 卒業後の1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の対東京巨人軍戦に初先発するが、この試合で14与四球を記録、これは野茂英雄に1992年に並ばれ、1994年に16個で抜かれるまで日本プロ野球記録であった。なお、この試合では押し出しは与えず完投し4失点(3自責点)で切り抜けている。この年の投手としての登板は5試合に留まるが、左翼手や一塁手を務めて82試合に出場。
岡本 三男(おかもと みつお、1921年3月15日 - 没年… 岡本 三男(おかもと みつお、1921年3月15日 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。 1950年に創設された西日本パイレーツへ入団。 球団消滅に伴って1951年に大洋ホエールズへ移籍。1952年引退。
河野 安通志(こうの あつし、1884年〈明治17年〉3月3… 河野 安通志(こうの あつし、1884年〈明治17年〉3月31日 - 1946年〈昭和21年〉1月12日)は、石川県大聖寺町(現:加賀市)出身のアマチュア野球選手(投手)。日本初のプロ野球チーム創設者。 父は河野通理で、加賀藩士。妻の河野いゑは飛田穂洲(忠順)の妹。 1897年(明治30年)一家は横浜に転居し、野球に親しむようになる。旧制横浜商業学校在学中は野球に熱中しすぎたためか中退した。転校した明治学院には4年に編入し、わずか半年ほど在籍しただけだが、この時期に安部磯雄と出会い、彼のキリスト教精神に共鳴した。東京高等商業学校を目指していたが、1903年(明治36年)に早稲田大学商科入学。早大入学後、創設して3年目の野球部に入部し、ここでまたも野球部部長の安部に偶々出会う。