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土屋 由希子(つちや ゆきこ、1982年〈昭和57年〉8月2… 土屋 由希子(つちや ゆきこ、1982年〈昭和57年〉8月2日 - )は、日本の政治家。元湯河原町議会議員(2期)。地域政党ゆがわら代表。 神奈川県足柄下郡湯河原町生まれ。宮上幼稚園、湯河原町立吉浜小学校、湯河原町立湯河原中学校、神奈川県立小田原高等学校を経て中央大学理工学部卒業。大学では環境化学研究室に所属。土壌汚染の浄化作用について研究、卒論発表ではプレゼンテーション大賞を受賞。 大学在学中にダブルスクールで芸術を志し、卒業後は劇団ワハハ本舗で演出助手を務める。 様々な社会体験を経て、結婚、出産。子育てをするまで、まったく政治に興味がなかったが、子育てをきっかけに、自分が社会の弱者であることに気づき、弱者を助けるべき政治に関心を持つ。
守屋 輝彦(もりや てるひこ、1966年〈昭和41年〉11月… 守屋 輝彦(もりや てるひこ、1966年〈昭和41年〉11月9日 - )は、日本の政治家。元神奈川県小田原市長(1期)、元神奈川県議会議員(2期)。 神奈川県小田原市に守屋喜代松(のち小田原市議会議員)の次男として生まれる。小田原市立芦子小学校、小田原市立白山中学校、神奈川県立小田原高等学校、東京電機大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。 1992年(平成4年)、神奈川県庁入庁。都市計画課配属。2010年(平成22年)、退職。 2011年(平成23年)、神奈川県議会議員選挙に無所属で立候補し、初当選。2015年(平成27年)、自由民主党公認で立候補し、2期目の当選。
山神 裕(やまがみ ゆたか、1966年〈昭和41年〉7月13… 山神 裕(やまがみ ゆたか、1966年〈昭和41年〉7月13日 - )は、日本の政治家。神奈川県足柄上郡開成町長(第9代)。 神奈川県足柄上郡開成町生まれ。 開成町立開成幼稚園、開成町立開成小学校、開成町立文命中学校、神奈川県立小田原高等学校(野球部)を経て、1989年(平成元年)3月に慶應義塾大学商学部(慶應義塾体育会野球部)を卒業。大学野球部では捕手、同期に志村亮、堤辰佳、1学年上に鈴木哲、1学年下に大森剛がいた。 大学卒業後の同年4月、日本長期信用銀行に入行。1998年(平成10年)より、バンカーストラスト銀行、ドイツ銀行、BNPパリバ銀行といった外資系銀行に勤務した。 2018年(平成30年)9月、明治大学ガバナンス研究科を修了。
加藤 憲一(かとう けんいち、1964年〈昭和39年〉5月1… 加藤 憲一(かとう けんいち、1964年〈昭和39年〉5月11日 - )は、日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。 神奈川県小田原市出身。 0才で父親を、中学二年で母親を、共に病気で亡くしている。 私立小田原愛児園卒園。小田原市立芦子小学校、小田原市立城山中学校、神奈川県立小田原高等学校卒業。 1988年(昭和63年)3月、京都大学法学部卒業(ゼミは比較政治学)。同年、経営戦略コンサルティング会社に就職。1996年(平成8年)、自給自足を目指して独立。小田原市内にて林業、漁業、農業などを手がける。 2004年(平成16年)5月16日執行の小田原市長選挙に無所属で立候補するも、現職の小澤良明に敗れ、落選。
内藤 喜文(ないとう よしふみ、1959年〈昭和34年〉7月… 内藤 喜文(ないとう よしふみ、1959年〈昭和34年〉7月16日 - )は、日本の政治家。第8代神奈川県湯河原町長。 1959年7月16日、神奈川県湯河原町で誕生。 1978年(昭和53年)、神奈川県立小田原高等学校を卒業。 1983年(昭和58年)、東京理科大学工学部を卒業し、湯河原町役場に入庁。2013年(平成25年)、地域政策課長。2016年(平成28年)、政策グループ参事(旧部長級)。 2024年(令和6年)5月5日、湯河原町長冨田幸宏が、骨髄異形成症候群による造血幹細胞移植後の移植片対宿主病の検査入院中に死去。21日、内藤は湯河原町役場を退職。5月27日、冨田幸宏前町長死去に伴い実施される湯河原町長選挙への立候補を表明。
露木 順一(つゆき じゅんいち、1955年11月6日 ‐ )… 露木 順一(つゆき じゅんいち、1955年11月6日 ‐ )は、日本の政治家。元神奈川県足柄上郡開成町長(4期)。 父は元開成町長の露木甚造。 神奈川県足柄上郡開成町生まれ。開成町立開成小学校、開成町立文命中学校、神奈川県立小田原高等学校卒業。1979年3月、東京大学教育学部卒業。同年4月、日本放送協会(NHK)に報道記者として入局した。NHK記者時代はグリコ・森永事件や山口組分裂抗争の取材にあたる。1990年の金丸信(自由民主党)、田邊誠(日本社会党)らの北朝鮮訪問団にも随行した。1993年8月にNHKを退職。同月、かねてから交友のあった自民党の梶山静六衆議院議員事務所の政策顧問に就任。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に神奈川県第17区から無所属で出馬したが、自民党前職の河野洋平に敗れ、次点で落選。
小田 眞一(おだ しんいち、1953年10月26日 - )は… 小田 眞一(おだ しんいち、1953年10月26日 - )は、日本の政治家。神奈川県大井町長(1期)。元大井町議会議員(4期)。 神奈川県足柄上郡大井町生まれ。神奈川県立小田原高等学校、明治大学経営学部経営学科卒業。 2004年(平成16年)、大井町議会議員選挙に立候補し初当選。2016年(平成28年)に4選。議長を務めた。 2018年(平成30年)12月9日に行われた大井町長選挙に立候補し、元町議の鈴木武夫、元町議の諸星光浩らを破り初当選した。投票率は過去最低の48.37%を記録した。12月22日、町長就任。
加藤 修平(かとう しゅうへい、1949年〈昭和24年〉1月… 加藤 修平(かとう しゅうへい、1949年〈昭和24年〉1月28日 - )は、日本の政治家。神奈川県南足柄市長(4期目)。 神奈川県足柄上郡南足柄町(現南足柄市狩野)で長男として生まれる。 南足柄市立南足柄小学校、南足柄市立南足柄中学校、神奈川県立小田原高等学校を経て、日本大学法学部を卒業。卒業後1973年(昭和48年)4月、南足柄市役所に採用される。市役所では秘書課長、福祉健康部長、議会事務局長などを歴任した。 2009年度(平成21年度)の南足柄自治会長連絡協議会会長を務めた。 2011年(平成23年)4月30日、南足柄市長就任。落選を含めた選挙の結果は以下のとおり。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912… 内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912年1月8日 - 1986年3月16日)は、昭和期の政治家、文部官僚。文部大臣(第100代)、参議院議員(3期)。大妻女子大学学長。 神奈川県中郡西秦野村渋沢(現秦野市)に、葉タバコ農家を営む諸星喜之助の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現神奈川県立小田原高等学校)、東京高等師範学校を経て、1936年東京文理科大学英語英文科を卒業、文部省社会教育局に嘱託として入省する。また同年に内藤春子と結婚し、内藤家の養子となった。文部省入省後の1942年に高等文官試験に合格し、大臣官房文書課総務掛長となる。 戦後は省内随一の英語力を武器に、GHQとの折衝で活躍し頭角を顕した。
中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4… 中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4月6日 - 1998年 <平成10年> 9月18日)は日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。17代全国市長会会長。位階は従四位。 現在の神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学卒。足柄下郡片浦村会議員を経て、神奈川県会議員を連続6期、同議長なども歴任した。県議時代は自由民主党に所属した。 1969年に小田原市長に初当選。4期務めた。市長在職中は市民に「市長と話し合う会」の開催、市役所の日曜開庁、浄水場や清掃工場、給食センターなどの開設、小田原城跡の一部開放や公園化、「緑を豊かにする条例」の制定など数々の業績を上げた。1983年から全国市長会会長に就任した。
河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月1… 河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議員(5期)、衆議院議員(1期)、参議院議長(第11・12代)を歴任した。 神奈川県足柄下郡豊川村(現在の小田原市成田)に河野治平、タミ夫妻の三男として生まれる。河野一郎は兄、河野洋平は甥に当たる。 神奈川県立小田原中学校(現在の神奈川県立小田原高等学校)時代から長距離選手として活躍し、早稲田大学在学中は競走部(陸上競技部)に入り、兄一郎と共に箱根駅伝の選手として活躍、2度の総合優勝を経験した。第3回大会では区間2位の選手に10分37秒差をつけた。
河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2… 河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2日 - 1965年〈昭和40年〉7月8日)は、日本の政治家。副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。春秋会(河野派)会長、領袖。 新聞記者を経て1932年に政友会の代議士となり、戦後、自由党結成に参加。自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務め、日ソ国交回復交渉及び漁業交渉に尽力した。総理総裁を狙い、1964年、池田首相退陣後の総裁の座を佐藤栄作と争ったが敗れ、翌年急死した。
小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 19… 小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 1984年2月11日)は、日本の政治家・官僚。郵政大臣。 神奈川県足柄上郡酒田村(現・開成町)に、酒造業・小金仁左衛門の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、一高を経て、1922年東京帝国大学法学部を卒業、農商務省に入省する。特許局属。商工省鉱山局長、鉄鋼局長、燃料局長官を歴任した。 戦後の1949年第24回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から無所属で立候補し当選する(当選同期に佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・藤枝泉介・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・有田喜一など)。
鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月… 鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月8日 - 1975年〈昭和50年〉5月4日)は、日本の政治家。小田原市長(5期)。歌舞伎研究家 。位階は正五位。 現在の神奈川県小田原市出身。 1909年(明治42年)、神奈川県立第二中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)に入学。同級に終生の友となる牧野信一(のち小説家)がいた。早稲田大学英文科中退。早大時代、同人誌「金と銀」「象徴」などを主宰した。読売新聞、朝日新聞、歌舞伎座支配人、松竹系の役員を務めた。 1949年(昭和24年)に小田原市長に初当選し5期務めた。この間、全国市長会副会長、関東市長会会長、国保中央会理事などを務めた。1969年に市長を引退。