スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 文康(さとう ふみやす、英: Fumiyasu Sat… 佐藤 文康(さとう ふみやす、英: Fumiyasu Sato、1949年11月19日 - 1983年5月1日)は、東京都出身のレーシングドライバー。慶應義塾大学卒。 オートスポーツなどレース雑誌では富士ロングディスタンスシリーズでの活躍から「耐久王」や「耐久のフミヤス」との愛称で呼ばれた。 慶應義塾幼稚舎から中・高・大学と過ごした生粋の慶應ボーイで、水泳部選手として活動し基礎的な身体持久力を持っていた。 1967年11月3日に富士スピードウェイで行われた「富士スピードフェスティバル」のミニカーレースクラスにホンダ・N360で出場し、18歳でレースデビュー。1968年もN360で富士を走りこんだ。
南條 史生(なんじょう ふみお、1949年4月21日 - )… 南條 史生(なんじょう ふみお、1949年4月21日 - )は、日本の美術評論家、キュレーター。東京都出身。森美術館特別顧問。アーツ前橋特別館長。 1949年、東京都生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1972年に慶應義塾大学経済学部を卒業。三井銀行に入行するも、1年後に退職。1976年、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。 国際交流基金勤務(1978年~1986年)、ICAナゴヤ・ディレクター(1986年~1990年)、ナンジョウアンドアソシエイツ(現:エヌ・アンド・エー株式会社)(1990年~2002年)を経て、2002年4月森美術館副館長。2006年11月同館長就任(2019年12月末で特別顧問に退く)。
渡辺 有三(わたなべ ゆうぞう、1949年3月30日 - 2… 渡辺 有三(わたなべ ゆうぞう、1949年3月30日 - 2014年1月2日)は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー。ポニーキャニオン元常務。 1949年に東京都港区赤坂で生まれる。横浜市長および元貴族院議員・平沼亮三の孫にあたる。また俳優の石坂浩二とは従弟に当たる(渡辺の母と石坂の父が兄弟)。 慶應義塾幼稚舎から慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部を卒業。 慶應義塾大学入学と同時に加山雄三&ザ・ランチャーズにベーシストとして参加。若大将シリーズ『南太平洋の若大将』の撮影を兼ねた武道館ライブが新生ランチャーズの事実上のデビューとなる。以後、日劇東宝スターパレード、加山雄三全国縦断コンサートなどライブの他、加山のレコーディングの参加、若大将シリーズ(『リオの若大将』など)への出演など、当時のグループサウンズとは一線を画し、全員が慶大生らしい雰囲気であった。
三宅 恵介(みやけ けいすけ、1949年2月5日 - )は、… 三宅 恵介(みやけ けいすけ、1949年2月5日 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー。
伊藤 哲雄(いとう てつお、1949年〈昭和24年〉2月4日… 伊藤 哲雄(いとう てつお、1949年〈昭和24年〉2月4日 - )は、日本の元外交官、神戸大学特命教授(経済学研究科)。カザフスタン駐箚特命全権大使、ハンガリー駐箚特命全権大使などを歴任した。 山形県山形市出身。1965年(昭和40年)山形大学教育学部附属中学校(現山形大学附属中学校)を卒業。1968年(昭和43年)AFS留学でアメリカに渡り、ミネソタ州エヴェレス高等学校を卒業した。翌1969年(昭和44年)慶應義塾高等学校を経て、1973年(昭和48年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、外務省に入省する。
近藤 誠(こんどう まこと、1948年〈昭和23年〉10月2… 近藤 誠(こんどう まこと、1948年〈昭和23年〉10月24日 - 2022年〈令和4年〉8月13日)は、日本の医師。 慶應義塾の一貫教育校(中・高)、大学医学部を経て癌の放射線治療の専門家となるが、医師人生後半は独自理論が医療界で受け入れられず慶應義塾大学医学部専任講師のまま実質的に医師人生を終え、医師以外の活動を活発させるべく近藤誠がん研究所と称した組織を自己設立し一人所長となった。 近藤の主張は、「がんの手術は寿命を縮めるだけ」「抗がん剤は効かない」「検診は無意味」「がんは本物とがんもどきに分かれる」「がんの臨床試験には不正がある」というもので、がんの標準治療の完全な否定であった。オプジーボでも抗がん剤でも、それらの投薬によって治ったと証明された症例は世界中で一例もなく、オプジーボの効果は製薬会社により捏造されたものだと主張した。
山本 泰人(やまもと たいと、1948年(昭和23年)9月4… 山本 泰人(やまもと たいと、1948年(昭和23年)9月4日 ‐ )は、日本の政治家。東京都中央区長(2期)。 東京都中央区出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部経済学科(山本登国際経済学ゼミ)卒業後、第一勧業銀行勤務を経て、1974年12月に家業の山本海苔店に入社。1992年7月より同社の代表取締役副社長を務めた。 2019年1月23日、矢田美英中央区長からの後継指名を受け、同年4月の中央区長選挙に立候補を表明。4月21日の投開票の結果、新人5人の混戦を制し、初当選。70歳での政界転身となった。 ※当日有権者数:128,000人 最終投票率:44.04%(前回比:1.60pts) 2023年2月8日、中央区長選挙に立候補を表明。
数原 英一郎(すはら えいいちろう、1948年7月19日 -… 数原 英一郎(すはら えいいちろう、1948年7月19日 - )は、日本の実業家で、三菱鉛筆の社長である。
横河 健(よこがわ けん、1948年7月9日 - )は、日本… 横河 健(よこがわ けん、1948年7月9日 - )は、日本の建築家。横河設計工房を主宰。武蔵野美術大学建築学科客員教授。元日本大学教授。 1948年、東京都渋谷区生まれ。 祖父は建築家で横河グループ創業者の横河民輔。伯父は建築家で横河ブリッジ・横河電機の社長を務めた横河時介。父は横河電機社長を務め、同社の中興の祖といわれる横河正三。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学法学部への内部推薦が内定していたが美大に進学したかったため辞退。 1972年、日本大学芸術学部美術学科卒業。1970年から1971年まで交換留学生としてワシントン州立大学に留学。 1972年から1976年まで、黒川雅之建築設計事務所に勤務。
濱田 秀伯(はまだ ひでみち、1948年3月10日 - )は… 濱田 秀伯(はまだ ひでみち、1948年3月10日 - )は、日本の医学者、精神科医。学位は医学博士(慶應義塾大学・1978年)。浜田と表記されることもあるが戸籍上、濵田である。 1948年、東京都生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1972年、慶應義塾大学医学部卒業。1978年、慶應義塾大学より医学博士を授与された。1979年〜83年、パリ大学付属サンタンヌ病院へ、フランス政府給費留学生として留学。 帰国後、慶應義塾大学医学部精神神経科助教、専任講師、准教授、客員教授、群馬病院院長をつとめる。現在、日本精神医学史学会理事長。一般社団法人日本うつ病センター(JDC)精神療法センター長。
平岡 英介(ひらおか えいすけ、1948年3月3日 - )は… 平岡 英介(ひらおか えいすけ、1948年3月3日 - )は、日本オリンピック委員会(JOC)専務理事、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本ローイング協会理事。2019年、旭日小綬章受章。 丸天物流グループの複数企業で、代表取締役も務める。 東京都出身。慶應義塾高等学校を経て1970年に慶應義塾大学を卒業。大学時代はボート競技の選手で、早慶レガッタにも毎年出場した(ミドルクルーや舳手)。 JOCでは総務委員会副委員長、財務専門委員会委員長、法務専門委員会副委員長などを務めてきた。 スポーツ庁のスポーツ未来開拓会議オブザーバーなどでもある。 2023年2月現在、慶應義塾体育会端艇部の三田会(OB OG会)である、三田漕艇倶楽部の会長を務めている。
三宅 占二(みやけ せんじ、1948年1月26日 - )は… 三宅 占二(みやけ せんじ、1948年1月26日 - )は、日本の実業家。元キリンホールディングス代表取締役社長。 1948年、東京都生まれ。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1970年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、キリンビール株式会社に入社。1988年に大阪支社営業第2部長となる。1993年、ハイネケン・ジャパン株式会社(現:ハイネケン・キリン株式会社)取締役副社長を務める。2007年キリンビール株式会社代表取締役社長に就任。2009年キリンホールディングス株式会社代表取締役副社長を経て、2010年よりキリンホールディングス代表取締役社長となる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
渡辺幸男(わたなべ ゆきお、1948年 - )は、日本の経済… 渡辺幸男(わたなべ ゆきお、1948年 - )は、日本の経済学者。慶應義塾大学経済学部教授。日本中小企業学会会長。専攻は中小企業論、工業経済論。 この節の出典は『渡辺幸男教授 略歴・著作目録』による。 1948年3月、神奈川県川崎市に生まれる。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、博士課程単位取得退学。国内産業集積の構造変化、中国浙江省温州市を中心とした産業発展などの研究に取り組む。
吉田 照哉(よしだ てるや、1947年11月12日 - )は… 吉田 照哉(よしだ てるや、1947年11月12日 - )は、日本の実業家。 日本を代表する競走馬生産牧場として知られる社台ファームの代表を務める。 社台グループ創始者吉田善哉の長男。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。高校大学ともに馬術部に所属。竹田恒和は馬術部の同期である。1972年、フォンテンブローファーム場長として渡米。中央競馬においては父の勝負服(黄、黒縦縞、赤袖)の服飾を受け継いでいる。 弟にノーザンファーム代表及び社台スタリオンステーション代表取締役吉田勝己、追分ファーム代表及び社台スタリオンステーション専務取締役吉田晴哉がいる。さらに母の吉田和子、妻の吉田千津も馬主、息子の吉田哲哉は社台レースホース代表という競馬一家である。
竹田 恆和(たけだ つねかず、1947年(昭和22年)11月… 竹田 恆和(たけだ つねかず、1947年(昭和22年)11月1日 - )は、旧皇族竹田宮恒徳王の三男。称号 (現学位)は政治学士[要出典]。日本オリンピック委員会(JOC)会長(8期)。国際オリンピック委員会委員。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。国際馬術連盟名誉副会長(終身)、日本馬術連盟副会長。ミュンヘンオリンピック・モントリオールオリンピック馬術日本代表。旅行会社のエルティーケーライゼビューロージャパン株式会社(東京都知事登録第3-4798号)代表取締役社長。東京都出身。
藤﨑 一郎(ふじさき いちろう、1947年7月10日 - )… 藤﨑 一郎(ふじさき いちろう、1947年7月10日 - )は、日本の外交官。上智大学特別招聘教授・国際戦略顧問、一般社団法人日米協会会長(第9代)、公益財団法人世界平和研究所(IIPS)副理事長、一般社団法人日本外交協会理事。藤崎 一郎(ふじさき いちろう)と表記されることもある。
向井 万起男(むかい まきお、1947年(昭和22年)6月2… 向井 万起男(むかい まきお、1947年(昭和22年)6月24日 - )は、日本の医学者(医学博士)、エッセイスト。専門は病理学。日本人初の女性飛行士、向井千秋の夫として知られる。
草野 厚(くさの あつし、1947年6月10日 - )は、日… 草野 厚(くさの あつし、1947年6月10日 - )は、日本の政治学者、慶應義塾大学総合政策学部名誉教授。専門は戦後日本外交論、政策過程論、国際関係論、国際協力政策論(ODA)。
鬼頭 宏(きとう ひろし、1947年3月2日 - )は、日本… 鬼頭 宏(きとう ひろし、1947年3月2日 - )は、日本の経済学者(日本経済史・歴史人口学)。学位は経済学修士(慶應義塾大学・1971年)。 慶應義塾高等学校教諭、上智大学経済学部教授、上智大学大学院経済学研究科経済学専攻主任、上智大学経済学部経済学科学科長、上智大学地球環境研究所所長、上智大学研究機構常設研究部門部門長、静岡県立大学学長(第6代)、静岡県立大学短期大学部学長(第6代)などを歴任した。 1947年3月、静岡県駿東郡長泉町生まれ。慶應義塾大学経済学部にて学んだ。斎藤修、友部謙一らとともに速水融の弟子である。1969年3月、慶應義塾大学卒業、そのまま、慶應義塾大学大学院経済学研究科に進学、1971年3月、同修士課程を修了、経済学修士の学位を取得。
遠藤 乙彦(えんどう おとひこ、1947年2月1日 - )は… 遠藤 乙彦(えんどう おとひこ、1947年2月1日 - )は、日本の政治家、外交官。グローバルビジネス戦略総合研究所代表取締役社長兼所長。 衆議院議員(6期)、通商産業政務次官、財務副大臣、公明党幹事長代理、公明党特別顧問(外交・安全保障担当)などを歴任。
吉田 忠裕(よしだ ただひろ、1947年1月5日 - )は、… 吉田 忠裕(よしだ ただひろ、1947年1月5日 - )は、日本の経営者。YKK元社長・元会長。富山県魚津市出身。創業者吉田忠雄の長男。ただ、血縁的には吉田忠雄の甥であることが分かっている。 千代田区立九段中学校、慶應義塾高等学校を経て、1969年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、1972年に吉田産業(現在のYKK)に入社。1978年に取締役に就任し、1980年に専務、1985年に副社長を経て、1993年7月に社長に就任。1999年6月には会長も兼任。2011年6月から2018年6月までに会長を務めた。2024年、旭日重光章受章。
山田 良明(やまだ よしあき、1946年12月18日 - )… 山田 良明(やまだ よしあき、1946年12月18日 - )は、ドラマを手がけるテレビプロデューサー。共同テレビジョン取締役相談役、フジクリエイティブコーポレーション(FCC)取締役、バスク取締役。
竹下 亘(たけした わたる、1946年11月3日 - )は、… 竹下 亘(たけした わたる、1946年11月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、自由民主党島根県支部連合会会長。現在は自民党国対委員長。
安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう、1946年〈昭和21年… 安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう、1946年〈昭和21年〉8月29日 - )は、日本の情報科学者、認知科学者。学位は工学博士(慶應義塾大学・1974年)、博士(哲学)(慶應義塾大学・2019年)。慶應義塾大学名誉教授、慶應義塾学事顧問、公益社団法人日本工学アカデミー会長、公益財団法人大川情報通信基金理事長、一般財団法人交詢社理事長、玉川大学脳科学研究所客員教授。 慶應義塾大学理工学部長、慶應義塾大学大学院理工学研究科委員長、慶應義塾長などを経て、独立行政法人日本学術振興会理事長、文部科学省中央教育審議会会長、文部科学省の特別の機関日本ユネスコ国内委員会会長、文部科学省科学技術・学術審議会委員、日本学術会議会員、情報処理学会会長、日本認知科学会会長、日本私立大学連盟会長、全国大学体育連合会長、環太平洋大学協会会長、Global Research Council議長などを務めた。
麻生 泰(あそう ゆたか、1946年〈昭和21年〉8月28日… 麻生 泰(あそう ゆたか、1946年〈昭和21年〉8月28日 - )は、日本の実業家。株式会社麻生代表取締役会長、麻生セメント株式会社代表取締役会長、慶應義塾連合三田會11代目会長、福岡雙葉学園理事長、学校法人麻生塾前理事長 現塾長、九州経済連合会名誉会長。一般財団法人東京メトロポリタンオペラ財団参与、福岡地域戦略推進協議会会長。元2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事、九州IR推進協議会会長。 1946年、衆議院議員で実業家の麻生太賀吉の三男として福岡県飯塚市に生まれる。 松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1969年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。
西田 憲正(にしだ のりまさ、1946年8月25日 - )は… 西田 憲正(にしだ のりまさ、1946年8月25日 - )は、富山県出身の日本の実業家。大手ビジネスホテルチェーン株式会社東横イン創業者であり初代代表取締役社長、同社取締役会会長を経た後、2008年9月、同社取締役会会長を退任した。現在は、関連会社の東横インホテル企画開発、株式会社東横インアーキテクトの代表取締役、および、韓国現地法人「東横インコリア」の代表理事。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、日本大学商学部卒業後、1969年に大冷工業に入社。1972年には家業の聖徳電気工事に転職し、1979年には同社の代表取締役に就任した。 1986年2月、友人に任され、東京・蒲田にビジネスホテル東横インの第1号店をオープンした。
土屋嶢(つちや たかし、1946年(昭和21年)8月9日 -… 土屋嶢(つちや たかし、1946年(昭和21年)8月9日 - )は、日本の銀行家。大垣共立銀行頭取。大垣商工会議所名誉顧問。2008年(平成20年)藍綬褒章。
高橋 信之(たかはし のぶゆき、1946年(昭和21年)7月… 高橋 信之(たかはし のぶゆき、1946年(昭和21年)7月15日 - )は、日本の音楽プロデューサーである。男性。ミュージシャンの高橋幸宏は実弟、ファッションデザイナーの伊藤美恵は実姉。 東京都出身。トキワ松学園小学校卒業。 慶應義塾普通部では中学3年の謝恩会に成毛滋らとバンドを組み、慶應義塾高等学校(日吉)に進学後の1962年にザ・フィンガーズを結成し、慶應義塾大学在学中の1966年に「勝ち抜きエレキ合戦」でグランドチャンピオンになりプロデビュー。 1969年にバンドを解散した後はプロデューサー業となる。 1972年にヒットしたバズ(BUZZ)の日産スカイラインのCM曲『ケンとメリー〜愛と風のように〜』や、NHK「みんなのうた」で放送されたガロの『そして君は』、山口百恵のグリコアーモンドチョコレートのCM曲など数多くの楽曲を作曲・プロデュースした。
百田 義浩(ももた よしひろ、1946年3月15日 - 20… 百田 義浩(ももた よしひろ、1946年3月15日 - 2000年11月22日)は、日本のリングアナウンサー・プロレスラー。 全日本プロ・レスリング取締役、プロレスリング・ノア取締役を歴任した。 日本のプロレス界の礎を作った力道山の長男であり、百田光雄の実兄。娘はプロレスリング・ノアで広報兼通訳をしている。甥の百田力もプロレスラーである。 慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。大学生時代に力道山が刺殺され、父の遺志を継ぎ、力道山が運営し藤猛を擁していた「リキ・ボクシングジム」のオーナーとなる。 1972年にジャイアント馬場が設立した全日本プロレスに取締役として参画し、リングアナウンサーとしても活動した。
小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12… 小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、文部科学大臣(第7代)、参議院憲法審査会会長(初代)、自由民主党参議院幹事長などを歴任した。 1990年代前半は、一貫して羽田孜の側近であった[要出典]。1993年に自民党を離党し、羽田が率いる新生党に入党する[要出典]。その後も羽田に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、羽田が菅直人元厚生大臣率いる旧民主党への合流を進めたことに反発[要出典]。民主党には合流せず、無所属の期間を経て、自民党に復党した。 2008年自由民主党総裁選挙では石破茂の選挙責任者を務めた。
大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月… 大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月8日 - 2018年〈平成30年〉10月16日)は、日本の法学者。専門は国際法学。学位は、博士(法学)(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文「人権、国家、文明:普遍主義的人権観から文際的人権観へ」)。東京大学名誉教授。元明治大学法学部特任教授。 山形県山形市出身。寿虎屋酒造9代目社長大沼勘四郎の次男として生まれる。 東京大学法学部在学中の1968年、国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格、司法試験第二次試験合格。1969年6月、東京大学法学部公法コース卒業。1970年3月、東京大学法学部政治コース卒業。 1970年4月 - 1973年10月、東京大学法学部助手、1973年11月 - 1984年6月、同大学法学部助教授、1984年7月 - 1991年3月、同大学法学部教授、1991年4月 - 2009年3月、同大学大学院法学政治学研究科教授。
菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )… 菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、実業家。 テレビ番組制作会社・ハウフルス代表取締役社長、フルハウス取締役。 東京都大田区出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部卒業。 大学時代、アルバイトで『11PM』(日本テレビ)のアシスタントディレクターを務める。卒業後は就職せず、放送作家として企画構成や知人の広告代理店を手伝っていたが、1973年5月にPR代理店フルハウスを関口晃弘、原伸次とともに設立した。1978年にはフルハウスの番組制作部門として「フルハウステレビプロデュース(フルハウスTVP、1991年にハウフルスに社名変更)」を分社設立し、菅原は社長業と並行してテレビディレクターとして活動した。
大野 義夫(おおの よしお、1946年 - )は、日本の工学… 大野 義夫(おおの よしお、1946年 - )は、日本の工学者、慶應義塾大学名誉教授、工学博士。前慶應義塾高等学校校長。 東京都出身。慶應義塾大学工学部管理工学科卒業(1968年)、同大学大学院修士課程工学研究科管理工学専攻修了(1970年)、同大学大学院博士課程理工学研究科管理工学専攻修了(1973年)。1986年慶應義塾大学より工学博士の学位を取得、論文名は 「A smoothing algorithm of polygonal curves and polyhedral surfaces(折れ線や多面体のための平滑化アルゴリズム)」。 慶應義塾大学理工学部情報工学科教授、慶應義塾高等学校校長を歴任。
西岡 一正(にしおか かずまさ 1946年 - )は、アビー… 西岡 一正(にしおか かずまさ 1946年 - )は、アビームコンサルティング前社長。1981年にアビームコンサルティングの起源である等松トウシュロスコンサルティングを設立以来、2009年の退任まで社長を務めた。兵庫県出身。「米国流ではなく、地域ごとの価値観を大事にする」「多様な個性を尊重する」といった、多様性を重んじる価値観を持っている(詳細は外部リンク参照)。
中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)1… 中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)11月28日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(6期)、自民党群馬県連会長。父は元内閣総理大臣の中曽根康弘。
太田 誠一(おおた せいいち、1945年〈昭和20年〉10月… 太田 誠一(おおた せいいち、1945年〈昭和20年〉10月30日 - 2024年〈令和6年〉12月4日)は、日本の政治家、経済学者。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。自由民主党所属で衆議院議員(8期)を務め、小渕内閣で総務庁長官、福田康夫改造内閣で農林水産大臣をそれぞれ歴任した。 財務行政に詳しく、大蔵政務次官(竹下改造内閣)、衆議院大蔵委員長、自民党財政部会長などを務めたほか、宏池会会長代行、自民党人権問題調査会会長なども歴任した。 福岡県福岡市出身(広島県生まれ)。父は元博多大丸会長の太田清之助。 太田家は、江戸期に遠賀から博多に出て、油屋で財を築いた初代清蔵以来、当主は清蔵を襲名している。
戸張 捷(とばり しょう、1945年10月19日 - )は、… 戸張 捷(とばり しょう、1945年10月19日 - )は、日本のゴルフトーナメントプロデューサー、ゴルフキャスター。東京都港区出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。株式会社ランダムアソシエイツ代表。日本ゴルフ協会常務理事。テレ朝チャンネル放送番組審議会委員。 東京都港区高輪生まれ。父の影響で慶應義塾高校1年生の時にゴルフを始め、高校・大学とゴルフ部に所属した。大学卒業後の1968年、住友ゴム工業に入社した。その5年後の1973年にゴルフトーナメントをプロデュースする目的で同社子会社として設立されたダンロップスポーツエンタープライズの設立に携わる。 1986年から1989年までリクルートの役員も務め、岩手県の同社関連のゴルフ場開設にも尽力した。
大谷 信義(おおたに のぶよし、1945年6月18日 - 2… 大谷 信義(おおたに のぶよし、1945年6月18日 - 2025年12月10日)は、日本の実業家。松竹株式会社取締役会長、元代表取締役社長。同社創業者の孫。 松竹創業者のひとり大谷竹次郎の孫。同社社長大谷隆三の長男として生まれる。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業後、松竹入社。取締役、歌舞伎座代表取締役社長を経て、1998年1月19日の取締役会において、松竹社長の奥山融と息子で専務の奥山和由を緊急動議により解任し、社長の座に就いた。 好きな言葉は「和を以て貴しとなす」。 日本映画製作者連盟・映画産業団体連合会・日本演劇興行協会・日本映画テレビプロデューサー協会・全国間税会総連合会の会長も歴任した。
小嶋 光信(こじま みつのぶ、1945年〈昭和20年〉4月4… 小嶋 光信(こじま みつのぶ、1945年〈昭和20年〉4月4日 - )は、日本の実業家。両備グループ代表として地方における路線バスや鉄道の再建を積極的に手がけ、地方公共交通の「救世主 」や「再生請負人」とも呼ばれている。 東京都の麻布で実業家の家に生まれ、子供の頃から実業家を志していた。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。大学在学中はキャンパス内での貸しロッカーや家庭教師の派遣事業などを手がけていた。また所属していたグライダー部でトレーラーを牽引するための大型免許を取得した。 1968年(昭和43年)に三井銀行入行。入行1年半で与信担当となり、様々な会社の経営現場に立ち会う。
山科 誠(やましな まこと、1945年2月24日 - )は、… 山科 誠(やましな まこと、1945年2月24日 - )は、日本の実業家、小説家[要出典]。元日本BS放送社長。元バンダイ社長。柔道3段。[要出典]現在は2003年に設立した株式会社Long Tail Live Stationの代表取締役CEOである。[要出典]2017年4月、旭日中綬章を受章。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 バンダイ創業者、山科直治の長男として石川県金沢市に生まれ2歳で上京。慶應義塾大学経済学部卒。文筆家志望で家業のおもちゃ会社を継ぐ気はなく、直治も「自分が作った会社だからと言って、息子に継がせるようなことはしない」と公言していた。文筆家を断念し[要出典]、1967年に出版社である小学館に入社。
岡野 光喜(おかの みつよし、1945年(昭和20年)2月5… 岡野 光喜(おかの みつよし、1945年(昭和20年)2月5日 - )は、日本の銀行家。スルガ銀行頭取、会長を歴任した。 静岡県出身。スルガ銀行創業家に生まれ、曾祖父である岡野喜太郎は同行初代頭取、父は同行第三代頭取を務めた岡野喜一郎。2016年7月に死去した実弟である岡野喜之助は同行副社長兼COOを務めた。 慶應義塾大学卒業後、富士銀勤務を経て入行。1985年当時には、地銀業界で最年少となる40歳でトップに就任。個人向けリテール業務への推進に舵を切り、頭取の呼称を社長に変えた。2016年6月、世代交代を鮮明にし若返りを図るため会長に退いたが、今後も経営を支えて行くとしていた。 2018年9月7日、シェアハウスオーナーへの融資に端を発する不正融資問題の調査において、最も責任が重いと第三者委員会の報告書において指摘されたことを受けて、代表取締役会長CEOを引責辞任した。
宇賀山 徹(うがやま とおる、1945年 - )は、神奈川県… 宇賀山 徹(うがやま とおる、1945年 - )は、神奈川県出身のアマチュア野球選手(一塁手)。 慶應義塾高等学校では左翼手として1963年夏の甲子園県予選決勝に進む。エース井上健仁(東映)を擁する横浜高と対戦。接戦となるが佐野勝稔に適時打を喫するなど3-5で敗退、甲子園出場はならなかった。 卒業後は慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。同期のエース藤原真を擁し1967年春季リーグで優勝、直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で中大の宮本幸信に抑えられ準優勝にとどまる。同年秋季リーグでは打率.424で首位打者を獲得した。ベストナインに2回選出される。 大学卒業後は日本鋼管に入社。
桜井 淑敏(さくらい よしとし、英: Yoshitoshi … 桜井 淑敏(さくらい よしとし、英: Yoshitoshi Sakurai、1944年11月7日 - 2023年10月20日)は、日本の自動車技術者。東京都出身。株式会社レーシング・クラブ・インターナショナル(RCI)社長、桜井文化経済研究所代表、エイム株式会社会長。 1960年に慶應義塾普通部、1963年に慶應義塾高等学校、1967年に慶應義塾大学工学部を卒業後、本田技研工業(ホンダ)に入社。1970年代にはCVCCエンジンの開発に携わった他、後藤治らと共にシティ用のターボエンジンの開発などを手がける。 1984年9月、それまで桜井は研究所でエンジン開発部門のマネージメントをしており、F1エンジンもその中の一つのプロジェクトだったため知ってはいたが直接の関わりは無かった。
岸井 成格(きしい しげただ、1944年〈昭和19年〉9月2… 岸井 成格(きしい しげただ、1944年〈昭和19年〉9月22日 - 2018年〈平成30年〉5月15日)は、日本の政治部記者で、毎日新聞社特別編集委員、元毎日新聞社主筆である。父は毎日新聞社政治部長や衆議院議員を務めた岸井寿郎。血液型はA型。 東京都出身。慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校を経て1967年に慶應義塾大学法学部法律学科卒業。同年4月、毎日新聞社に記者として入社。西部本社熊本支局を経て、1970年、東京本社政治部に異動。首相官邸、文部省、防衛庁、自民党、野党各記者クラブを担当する。1980年、人事にて東京本社 外信部に異動。1981年からワシントン特派員となり、1984年に帰国、東京本社出版局のサンデー毎日編集部へ異動となる。
和田 充夫(わだ みつお、1944年6月27日 - )は、日… 和田 充夫(わだ みつお、1944年6月27日 - )は、日本の経営学者。慶應義塾大学名誉教授。リレーションシップ・マーケティングが専門。 東京都生まれ。1963年慶應義塾高等学校卒業。1967年慶應義塾大学経済学部卒業。1972年米国ミシガン州立大学より経営学修士(MBA)の学位を取得。 1972年米国ペンシルベニア州立大学経営学部博士課程入学、研究助手、教育助手。1977年同大学より経営学博士(Ph.D.)の学位を取得。同年慶應義塾大学専任講師。 1980年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授。のち教授。2000年日本消費者行動研究学会会長。2006年名誉教授、関西学院大学商学部教授。2013年退職。
北城 恪太郎(きたしろ かくたろう、1944年4月21日 -… 北城 恪太郎(きたしろ かくたろう、1944年4月21日 - )は、日本の実業家。学位は工学士(慶應義塾大学・1967年)、および工学修士(カリフォルニア大学バークレー校・1972年)。日本アイ・ビー・エム1967年入社、1986年取締役、1993年代表取締役社長、1999年IBMアジア・パシフィック・プレジデント兼日本アイ・ビー・エム代表取締役会長、2012年より相談役、2017年より名誉相談役。 2003年から経済同友会代表幹事, 2007年より終身幹事。2010年より学校法人国際基督教大学理事長、NPO法人大学経営協会副理事長。文部科学省中央教育審議会委員など兼務。
高橋 治之(たかはし はるゆき、1944年(昭和19年)4月… 高橋 治之(たかはし はるゆき、1944年(昭和19年)4月6日 - )は、日本の実業家。電通元顧問・専務。株式会社コモンズ代表取締役会長。元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。高橋治則(故人。元イ・アイ・イグループ社長)は実弟。 東京都生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後の1967年、電通に入社。また、1980年に設立された慶應高校同窓会の第4代会長を務め、2022年10月時点から2024年1月現在、同窓会評議員を務めている。 電通時代は、1977年に”サッカーの王様”ペレの引退試合を日本で実施することを社内で耳にし、自ら名乗りを挙げ無事成功させた。
奥野 信亮(おくの しんすけ、1944年3月5日 - )は、… 奥野 信亮(おくの しんすけ、1944年3月5日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、法務大臣政務官、法務副大臣、衆議院法務委員長、総務副大臣、自由民主党法務部会長、自由民主党奈良県連会長を歴任。父は衆議院議員の奥野誠亮、弟は経済学者の奥野正寛。 東京都出身。内務官僚だった奥野誠亮と母・宏子の間に長男として生まれる。1962年3月、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学工学部管理工学科2年生の1963年11月、父親が衆院選に立候補し初当選した。1966年3月、慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同年4月、日産自動車株式会社に入社。 1996年1月、日産自動車取締役に就任。1999年6月、日産グループの株式会社バンテックの代表取締役社長に就任。
ヒサ クニヒコ(1944年2月3日 - )は、日本の漫画家、… ヒサ クニヒコ(1944年2月3日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、恐竜研究家。本名、久 邦彦(読み同じ)。東京都出身。神奈川県横浜市在住。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。息子は漫画家の久正人、義弟(妹の夫)はイラストレーターの小林弘隆。 1972年に『戦争 漫画太平洋戦史』で第18回文藝春秋漫画賞受賞。2018年に『世界恐竜発見地図』で第65回産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞。 恐竜研究家としても有名で、恐竜関係の本を多数執筆している他、博物館等での講演会講師として活動している。過去には、鉄道関連の書物も著している。趣味でプラモデルを多数所持しており、タミヤのプラモデル「恐竜世界シリーズ」の監修を手がけ、同シリーズには恐竜と同スケール(1/35)のヒサのフィギュアが付属する。
前田 富士男(まえだ ふじお、1944年 - )は、日本の美… 前田 富士男(まえだ ふじお、1944年 - )は、日本の美術史学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は西洋近代美術史、ゲーテ自然科学、芸術学。 神奈川県出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学工学部管理工学科、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程単位取得退学。神奈川県立近代美術館学芸課、ボン大学留学 (DAAD)、北里大学教養部助教授から慶應義塾大学文学部助教授、教授。慶應義塾大学アート・センター所長、日本学術会議会員(20・21期)、大学評価・学位授与機構運営委員ほかを歴任。2009年退職後、中部大学人文学部教授、同大学国際人間学研究所所長、同大学民族資料博物館客員教授、文部科学省独立行政法人評価委員会(国立美術館部会長) 。