スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
江口 凜(えぐち りん、2004年3月8日 - )は、大阪府… 江口 凜(えぐち りん、2004年3月8日 - )は、大阪府生野区出身の、日本の女子柔道選手。階級は57kg級。身長163cm。握力は左右ともに42㎏。組み手は左組み。血液型はA型。得意技は寝技。好きな言葉は初志貫徹。尊敬する選手は松本薫と宇高菜絵。 柔道は5歳の時にニュージャパン柔道クラブで始めた。北京オリンピックの柔道競技を見てカッコいいと思い始めたという。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するも2回戦で敗れた。生野中学2年の時に全国中学校柔道大会の52kg級に出場するも3回戦で敗れたが、3年の時には決勝で大成中学の高橋安未を大外刈で破って優勝した。桐蔭学園高校へ進むと、1年の時には全日本カデ57kg級決勝で、国士舘高校2年の五十嵐日菜をGS含めて11分近い戦いの末に小内巻込の技ありで破って優勝した。
朝飛 真実(あさひ まみ、2001年7月13日 - )は、日… 朝飛 真実(あさひ まみ、2001年7月13日 - )は、日本の柔道選手である。階級は63キロ級。身長166cm。血液型はO型。神奈川県横浜市出身。既婚。組み手は左組み。得意技は内股。2歳年上である姉の朝飛七海は2017年のインターハイ70kg級で優勝している。2歳年下の弟である太陽も2014年の全国小学生学年別柔道大会45kg級で2位となった。 父親の朝飛大が全国有数の強豪として知られる朝飛道場の指導者だったこともあり、柔道は2歳の時に始めた。小学校5年の時には全国少年柔道大会の団体戦で2位だったが、全国小学生学年別柔道大会の40kg超級で優勝した。6年の時には45kg超級で優勝して大会2連覇を果たした。
村尾 三四郎(むらお さんしろう、2000年〈平成12年〉8… 村尾 三四郎(むらお さんしろう、2000年〈平成12年〉8月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の日本の柔道家。階級は90kg級。身長180cm。握力は左右58kg。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は内股、大外刈。名前になぞらえて「令和の三四郎」と称される。父親は大学講師・著述家の村尾英俊。[要出典] 日本人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれる。「三四郎」という名前は「生粋の日本人に育つように」との両親による願いから、「典型的な日本人の名前のイメージ」だった三四郎と名付けられた。ニューヨークで生まれるが、2歳の時に神奈川県の横浜へ移ってきた。5歳の時に茨城県へ引っ越すと、姉の影響で世界チャンピオンの岡田弘隆が指導するつくばユナイテッド柔道クラブで柔道を始めた。
関根 聖隆(せきね きよたか、1999年7月5日 - )は、… 関根 聖隆(せきね きよたか、1999年7月5日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手。階級は100 kg級。身長173 cm。血液型O型。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は3歳の時に港武館道場で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg超級の初戦で敗れた。兵庫県の姫路市立灘中学校へ進むと、2年の時に近代柔道杯で1年後輩の村尾三四郎などとともに活躍して2位になった。3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦90kg級で2位、団体戦で3位になった。マルちゃん杯では2位だった。神奈川県の桐蔭学園高等学校へ進むと、1年の時には全日本カデの90kg級で2位になった。2年の時には全日本カデの90kg超級準決勝で大成高校2年の東部直希に合技で敗れて3位だった。
嶺井 美穂(みねい みほ、1997年9月16日 - )は、日… 嶺井 美穂(みねい みほ、1997年9月16日 - )は、日本の女子柔道選手。埼玉県三郷市出身。階級は70kg級。身長163cm。血液型はAB型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は大外刈。現在は綜合警備保障に在籍している。2023年には島田姓となった。憧れの選手は57kg級の宇高菜絵とフィギュアスケートの浅田真央。 父親はインターハイの砲丸投で3位、母親は国体のやり投で2位になるなどスポーツ一家の下に生まれた。柔道は5歳の時に祖父に柔道向きの骨格をしていると勧められたことがきっかけで、三郷少年柔道クラブで始めた。その一方で、柔道以外に水泳や陸上競技、バレーボールなどにも取り組んでいた。小学校5年生の時には全国小学生学年別柔道大会40kg超級に出場したが、決勝トーナメント1回戦で敗れた。
内尾 真子(うちお まこ、1995年9月11日 - )は、愛… 内尾 真子(うちお まこ、1995年9月11日 - )は、愛知県大府市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は52kg級。身長155cm。血液型はA型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は大外刈。 柔道は7歳の時に始めた。所属していた大石道場では、後に48kg級の世界チャンピオンとなる近藤亜美と同期だった。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45kg超級で2位になった。 中学になると神奈川県にある相武館吉田道場に入門して寮生活を送ることになった。相原中学1年の近代柔道杯では決勝で大成中学と対戦すると、小学校時代のチームメイトであった近藤を技ありで破り、エースである1年先輩の田代未来とともに優勝に貢献することとなった。
山本 杏(やまもと あんず、1994年6月18日 - )は、… 山本 杏(やまもと あんず、1994年6月18日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の女子柔道家。身長158 cm。握力は右30 kg、左33 kg。バスト91 cm。リーチ161 cm。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は小内刈、袖釣込腰。階級は57 kg級と63 kg級。。 柔道は4歳の時に父親が指導者を務める朝飛道場で始めた。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45 kg級に出場すると、予選リーグで岡本理帆に一本勝ちするなどして決勝トーナメントに進むが、5位にとどまった。六角橋中学に進むが、全国中学校柔道大会には県予選で勝てず、結局1度も出場できずに終わった。3年の時は関東大会で優勝しながら、県予選では相原中学2年の内尾真子に敗れた。
安 昌林(アン チャンリム、ハングル : 안창림、 1994… 安 昌林(アン チャンリム、ハングル : 안창림、 1994年3月2日- )は、在日韓国人3世の柔道家。京都府京都市出身。階級は73kg級。身長168cm。 父方は曾祖父、母方は祖父の代に、それぞれ日本に移住した一家の子として生まれた。父親は空手道場を営み、柔道は6歳の時に父親の影響で始めた。京都市立八条中学校入学時、父親の友人である正村和也に師事し、空手道場に畳を敷いて猛特訓し、技術と知識を徹底的に学ぶ。3年の時に全国中学校柔道大会55kg級に出場するが初戦で敗れた。神奈川県にある桐蔭学園高校へ進むと、丸山城志郎と同級生になった。3年の時にインターハイ66kg級に出場するが、初戦で鹿児島情報高校3年の竪山将に判定で敗れた。
丸山 剛毅(まるやま ごうき、1992年4月5日 - )は、… 丸山 剛毅(まるやま ごうき、1992年4月5日 - )は、宮崎県宮崎市出身の、日本の柔道選手である。階級は81kg級。身長173cm。得意技は内股。現在はパーク24所属。父親はバルセロナオリンピックの柔道65kg級で7位となった丸山顕志。1つ年下の弟である丸山城志郎は2019年に世界選手権66㎏級で優勝した。 5歳の時に柔道を始めた。小学校6年の時に全国少年柔道大会の個人戦で5位、団体戦でも弟とともに活躍して3位になった。全日本選抜少年柔道大会小学生の部では個人戦で優勝すると、団体戦でも弟とともに活躍して優勝を飾った。相原中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦では3位だったものの個人戦90kg級では優勝を果たした。
髙上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - … 髙上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - )は、日本の柔道家。福岡県豊前市出身。階級は66kg級。身長168cm。得意技は背負投。現在は旭化成に所属している。血液型はB型。 柔道は6歳の時に始めた。田原中学3年の時には全国中学校柔道大会の60kg級で優勝した。桐蔭学園高校2年の時には全日本ジュニアで3位となった。3年になると階級を66kg級に上げてインターハイでは2位となった。日本体育大学へ進学後、1年の時には講道館杯で3位となり、2年の時には優勝を果たした。その後出場したグランドスラム・東京では世界ランキング143位ながら、北京オリンピック60kg級で優勝した崔敏浩をはじめ、世界ランキング3位のアリム・ガダノフや元世界チャンピオンでランキング2位のハシュバータル・ツァガンバータル等を次々と破る快進撃を見せて、決勝でもランキング1位のムサ・モグシコフ相手に先に技ありを取られるも逆転の一本勝ちを果たしたことにより、世界ランキング上位3名を悉く破っての優勝を飾ることとなった。
高上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - … 高上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - )は、福岡県豊前市出身の、日本の柔道選手である。階級は66kg級。身長168cm。得意技は背負投。現在は旭化成に所属している。
西山 雄希(にしやま ゆうき、1991年11月16日 - )… 西山 雄希(にしやま ゆうき、1991年11月16日 - )は、広島県東広島市出身の日本の柔道選手。階級は73kg級。身長170cm。得意技は小外刈。筑波大学卒。西山大希は兄にあたる。 柔道は6歳の時に始めた。全国中学校柔道大会で伊左次雄介に決勝で敗れ2位となった。桐蔭学園高等学校3年の時にはインターハイでも2位となった。その後、全日本ジュニアを制して、世界ジュニアでも優勝した。さらにシニアの大会である講道館杯でも3位となり、グランドスラム・東京では高校生ながら3位に入る健闘を見せた。2010年には、ワールドカップ・ウィーンでも3位になった。 2012年5月にはグランドスラム・モスクワに出場して、決勝で昨年の世界選手権で3位になったウズベキスタンのナフルズ・ユラコビロフを指導3で破りIJFグランプリシリーズで初優勝を飾った。
西山 大希(にしやま だいき、1990年11月20日 - )… 西山 大希(にしやま だいき、1990年11月20日 - )は、広島県東広島市出身の日本の柔道家。階級は100kg級。身長179cm。得意技は大外刈。73kg級の西山雄希は弟にあたる。2013年から新日鉄住金に所属している。 柔道は7歳の時に始めた。東広島市立西条中学の頃から全国レベルで活躍して、桐蔭学園高等学校2年の時にインターハイで3位になり、3年の時には2位となった。筑波大学に進学後、全日本ジュニアを制して世界ジュニアでは3位となった。さらにシニアの大会である講道館杯でも3位となった。 その後、グランドスラム・東京では、初戦で世界チャンピオンの李奎遠を破るも、決勝では高校、大学の先輩である小野卓志に敗れて2位に終わった。
大辻 康太(おおつじ こうた、1990年8月4日 - )は、… 大辻 康太(おおつじ こうた、1990年8月4日 - )は、兵庫県播磨町出身の、日本の柔道選手である。組み手は左組み。得意技は背負投。階級は90 kg級。 柔道は小学校2年の時に播磨町柔道倶楽部で始めた。二見中学から桐蔭学園高校へ進むと、3年の時にインターハイ73kg級に出場するも、3回戦で敗れた。なお、高校時代の同期には西山大希がいた。2009年に埼玉大学へ進学すると、4年の時には学生体重別で優勝を飾った。この際に、先々に攻める柔道スタイルから繰り出される大内刈や小内刈はスピードがあり、また、背負投や一本背負投に入るタイミングもうまいと評された。2013年には日本エースサポート所属となった。81kg級ながら関東予選で優勝を果たして全日本選手権に出場するものの、初戦で綜合警備保障の小林大輔に合技で敗れた。
長田 拓郎(おさだ たくろう、1989年7月6日 - )は、… 長田 拓郎(おさだ たくろう、1989年7月6日 - )は、日本の俳優・柔道家。 186cm、96kg。G-STAR.PRO所属。神奈川県出身。
粟野 靖浩(あわの やすひろ、1988年9月27日 - )は… 粟野 靖浩(あわの やすひろ、1988年9月27日 - )は、茨城県下妻市出身の、日本の柔道家である。階級は73kg級。身長168cm。得意技は背負投。 5歳の時に柔道を始める。桐蔭学園高時代は大きな実績を残していないが、筑波大学1年の時の講道館杯で優勝を果たした。その後国際大会でも一定の活躍をして、2010年のワールドマスターズでは、地元の世界チャンピオンである王己春を大外刈で破って、王の連勝記録を53で止めた。9月に東京で開催された世界選手権では、準々決勝で大学の先輩である秋本啓之に敗れるが、その後勝ち上がって3位となった。2011年には了徳寺学園所属となった。昨年に続く世界選手権代表にはなれなかったがユニバーシアード代表となった。
西潟 健太(にしがた けんた、1987年9月23日 - )は… 西潟 健太(にしがた けんた、1987年9月23日 - )は、新潟県北蒲原郡安田町出身の日本の柔道選手。階級は100 kg超級。身長193cm。体重130kg。組み手は左組み(両方の組み手が可能)。段位は四段。得意技は大外刈。現在は旭化成を退職し、プレデンシャル生命保険会社に在籍している。 柔道は6歳の時に安田町スポーツ少年団で始めた。安田中学から桐蔭学園高校に進学すると、2年の時には高校選手権団体戦で優勝した。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイ個人戦100kg級で2位になった。国体少年男子の部では神奈川県の優勝に貢献した。その後国士舘大学に進むと、1年の時には全日本ジュニアで3位となった。
秋本 啓之(あきもと ひろゆき、1986年1月31日 - )… 秋本 啓之(あきもと ひろゆき、1986年1月31日 - )は、日本の柔道家である。熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)出身。血液型はA型。階級は73kg級。得意技は背負投。柔道全日本代表コーチ。 下益城郡富合町(現・熊本市南区)の藤井道場、松橋中、桐蔭学園高校、筑波大学出身。父親は1978年嘉納治五郎杯東京国際柔道大会65kg級優勝、1980年講道館杯全国柔道体重別選手権大会65kg級優勝の秋本勝則。兄は1999年全日本ジュニア柔道体重別選手権大会73kg級優勝の秋本修平。妻は元バレーボール選手の大友愛。長女(継子)はバレーボール選手の秋本美空。他に大友との間に一男二女がいる。 柔道は5歳の時に始める。
高松 正裕(たかまつ まさひろ、1982年2月27日 - )… 高松 正裕(たかまつ まさひろ、1982年2月27日 - )は、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)出身の日本の元柔道家。身長170cm。階級は73kg級。得意技は左右どちらからでも繰り出せる背負投。現在は桐蔭学園高校の教員で柔道部監督を務める。 8歳の時に柔道を始め、上福岡第三中学3年の時には全国中学校柔道大会の65kg級を制した。 桐蔭学園高校に進むと、2年と3年の時にはインターハイを連覇した。さらに3年の時には講道館杯では勢いそのままに優勝を飾り、前年の鈴木桂治に次いで史上2人目の高校生チャンピオンになった。さらに世界ジュニアでも優勝して、若手のホープとして非常に期待される存在となった。 しかしながら、シニアではフランス国際で2連覇してアテネオリンピック代表に選ばれるも初戦で敗れた。
小野 卓志(おの たかし、1980年6月25日 - )は、茨… 小野 卓志(おの たかし、1980年6月25日 - )は、茨城県結城郡石下町(現・常総市)出身の柔道家。身長181cm。組み手は右組み。段位は六段。得意技は小外刈、内股。 弦巻中学校、桐蔭学園高等学校、筑波大学を経て学校法人了徳寺学園に就職した。2015年6月に了徳寺学園を退職すると、7月からは筑波大学の特任助教となった。 5歳の時に父親が指導者を務める石下町体育協会柔道部で柔道を始めた。アテネオリンピック100kg超級金メダリストである鈴木桂治とは同級生で、県内の大会などでは常に決勝を争っていた。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で鈴木とともに活躍して2位、個人戦でも3位になった。 中学は上京して柔道私塾の講道学舎に入塾すると、弦巻中学に通うこととなった。
生田 秀和(しょうだ ひでかず、1978年8月15日 - )… 生田 秀和(しょうだ ひでかず、1978年8月15日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長185cm。体重120kg。組み手は右組み。段位は六段。現在は綜合警備保障でコーチを務めている。また、2016年からは全日本の男子ジュニアコーチにも就任した。 小学校5年の時に床屋へ行ったら、神奈川県警に務める人物に体の大きさを見込まれて朝飛道場を紹介されたことがきっかけで柔道を始めた。栗田谷中学3年の時には全国中学校柔道大会78kg超級に出場すると決勝までオール一本勝ちの圧勝で勝ち進み、決勝では大宮中学の井上康生とのそれぞれ10年に1人の逸材と高く評価されていた超中学級同士による争いとなったものの、上四方固で敗れて2位に終わった。
野瀬 英豪(のせ えいごう、1978年7月7日 -)は埼玉県… 野瀬 英豪(のせ えいごう、1978年7月7日 -)は埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の日本の柔道家。現役時代は81kg級の選手。身長は177cm。得意技は内股、腕挫十字固。 父親はロサンゼルスオリンピック86kg級銅メダリストである野瀬清喜。大久保中学から桐蔭学園高校へ進んだ。 2年の時にハワイでの合宿に参加した際に、ロサンゼルスオリンピック78kg級銀メダリストであるイギリスのニール・アダムスに十字固を伝授された。それまでは寝技を一切やってこなかったが、十字固を身に付けたことで技の幅が広がったという。 3年の時には井上康生率いる東海大相模高校を神奈川県予選で破ると、インターハイでも決勝で国士舘高校を破って優勝を果たした。
廣川 充志(ひろかわ みつし、1977年11月20日 -)は… 廣川 充志(ひろかわ みつし、1977年11月20日 -)は、富山県高岡市出身の日本の柔道家。現役時代は81kg級及び90kg級の選手。身長は183cm。趣味はギターと将棋。現在は桐蔭横浜大学の講師で柔道部の監督。妻は桐蔭学園高校の女子柔道部監督の廣川真由美。 小杉南中学から桐蔭学園高校へ進むと、2年の時にインターハイの軽重量級で5位になった。一方で、団体戦では1つ年下の井上康生率いる東海大相模高校に後一歩のところで阻まれ続けて、インターハイ団体戦と高校選手権には出場することができなかった。 1996年には中央大学へ進むと、2年の時には全日本ジュニアの決勝で国士舘大学2年の斎藤制剛に敗れるも2位となった。
田中 秀昌(たなか ひでまさ)は、日本の柔道家。 神奈川県横… 田中 秀昌(たなか ひでまさ)は、日本の柔道家。 神奈川県横浜市に生まれ、4歳で柔道を始める。桐蔭学園高校を経て、埼玉大学に進学。大学時代に初めて全国大会への出場を果たす。大学卒業後は横浜市の教員として、2001年より市立奈良中学で体育教師を、2003年より同校柔道部顧問を務めた。 教員としての日常に忙殺され、田中曰く「自分の柔道の練習は月に2-3回」という環境ながらも現役生活も続け、2001年の講道館杯で3位入賞。翌02年11月の同大会では優勝を果たし自身初の全日本チャンピオンとなると、続く03年1月の嘉納杯と同年4月の全日本選抜体重別選手権でも3位入賞という好成績を残し、アテネオリンピックの73kg級の代表候補の1人となった。