スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002… 佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002年3月11日)は、日本の実業家。佐川急便株式会社の元社主(初代社長・会長)である。 新潟県中頸城郡板倉村(板倉町を経て、現在の上越市板倉区)の旧家に生まれる。有恒学舎に学んだのち、家業に従事した。1948年に建設業「佐川組」を設立し、建設会社の経営などを経て、1957年に自転車2台を使って妻と2人で運送業を創業した。中小企業の小口貨物に狙いを定めて得意先を開拓し、1966年に「佐川急便」株式会社に改組した。 日曜集配などの迅速な配達や運転手の集金担当など運送業の革命的な発想で高収益を上げ、各地の運送業者の吸収合併や新会社の設立で全国進出を図り、1977年に全国ネットワーク網を完成させた。
北島 忠治(きたじま ちゅうじ、1901年2月23日 - 1… 北島 忠治(きたじま ちゅうじ、1901年2月23日 - 1996年5月28日)は、日本のラグビー監督。通称忠さん、北島御大、北島先生。 新潟県東頸城郡安塚村(現在の上越市安塚区安塚町)出身。1929年から死去するまで67年にわたり明治大学ラグビー部監督を務めた。彼の作り上げた明大ラグビー部十訓のもと 「前へ」 と言い続けた彼の言葉は明治の代名詞になった。 喧嘩っ早く数校の学校を経て有恒学舎中を卒業、神楽坂の伯母を頼り上京。喧嘩癖はなおらず、一時は「坂の忠治」との異名をとった。1921年旧制明治大学専門部政治経済科に入学。 元は相撲部出身で、神楽坂の筑土八幡神社でよく練習をしていた。ラグビーの経験はそれまでなく、大学2年生の時にメンバーが足りないとの理由で助っ人を頼まれたことがきっかけで、相撲部からラグビー部に転部。
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2… 長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 明治28年(1895年)6月2日、新潟県頸城郡寺野村(現在の上越市板倉区)に三男三女の長男として生まれる。喜一は、明治35年(1902年)4月寺野村立久々野尋常高等小学校に入学、同41年(1908年)同校を卒業し、有恒学舎(現在の新潟県立有恒高等学校)に入学する。往復四里の道を通学、帰宅後は農業を手伝うなどの努力家であり、周囲からは大変な頑張り屋として知られていた。
清水 泰次(しみず たいじ、1890年3月19日 - 196… 清水 泰次(しみず たいじ、1890年3月19日 - 1960年4月13日)は、日本の東洋史学者。 明治23年(1890年)、新潟県に生まれる。東京大学文学部東洋史学科卒業。早稲田大学教授、東京文理科大学教授をつとめる。中国明代の社会経済史を専攻し、「明代土地経済史の研究」「中国近世社会経済史」などをあらわす。昭和35年(1960年)4月13日死去。享年70。