スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
古井 康介(ふるい こうすけ、1995年(平成7年)5月25… 古井 康介(ふるい こうすけ、1995年(平成7年)5月25日 - )は、日本の政治家、実業家、社会起業家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。株式会社POTETO Media代表取締役社長。日本若者協議会理事。 1995年、富山県富山市生まれ。2008年秋のリーマン・ショックのあおりで父の飲食店が経営不振に陥り、部活の用具は買えず、光熱費を弟のバイト代でまかなうなど、弟2人を合わせ3人の子を抱える一家の生活は厳しくなったが、折よく始まった高校無償化と、進学先の高校の掲示板でたまたま見つけた奨学金制度に窮地を救われた。この経験により、「ひとりで乗り越えられない壁を乗り越えさせてくれるのが政治なんだろうな」と感じるとともに、遠い世界の話に思っていた政治が目の前の生活にかかわる大切なものだということを身をもって知ることとなり、後に政治をテーマにした事業を行う原体験となる。
村井 宗明(むらい むねあき、1973年(昭和48年)5月3… 村井 宗明(むらい むねあき、1973年(昭和48年)5月30日 - )は、日本の実業家、政治家、ITエンジニア。民主党所属の元衆議院議員(3期)。文部科学大臣政務官、衆議院災害対策特別委員長、民主党富山県連代表などを歴任。現在は、東武トップツアーズ CDO。政界引退後は、Yahoo、gumi、日本政策学校、LINE株式会社、全国心理業連合会等の顧問・役員等を務める。富山県上新川郡大山町(現・富山市)出身。 著書である「総理、増税よりも競り下げ方式を! 脱・お役所価格で 財政再建」で主張した歳出削減策。2010年(平成22年)4月12日に競り下げのマニフェスト修正案を民主党に提出し、7月4日に菅直人内閣はその試行を閣議決定した。
新田 八朗(にった はちろう、1958年〈昭和33年〉8月2… 新田 八朗(にった はちろう、1958年〈昭和33年〉8月27日 - )は、日本の政治家、実業家。富山県知事(公選第21・22代)。無所属。 日本海ガス代表取締役社長、日本海ガス絆ホールディングス代表取締役社長、富山経済同友会代表幹事、富山青年会議所理事長、国際青年会議所副会頭、日本青年会議所会頭を歴任した。 富山県富山市生まれ。祖父は元富山県知事である高辻武邦。父は元日本海ガス社長の新田嗣治朗。女性初の北海道知事を務めた高橋はるみ参議院議員は姉。米州開発銀行理事等を務めた高橋毅は義兄。 富山大学教育学部附属小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校を経て、1981年一橋大学経済学部卒業、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。
金子 慎 (かねこ しん、1955年〈昭和30年〉8月29日… 金子 慎 (かねこ しん、1955年〈昭和30年〉8月29日 - )は、日本の実業家、経営者。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役会長。 富山県出身。富山県立富山高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 金子は社長就任直後より、日本のアイドルグループ「ももいろクローバーZ」とコラボレーションした「ももクロ新幹線」を企画するなど、若者向けのイベントも積極的に実行し、若い社員の意見も取り入れることに積極的であった。それを発展させて、社長就任中頃に「推し旅アップデート」キャンペーンを展開するようになった。この「推し旅アップデート」キャンペーンは、アイドル以外にも、漫画やアニメの登場人物に対しての「推し旅」についての企画もなされている。
金井 豊(かない ゆたか、1954年〈昭和29年〉10月19… 金井 豊(かない ゆたか、1954年〈昭和29年〉10月19日 - )は、日本の経営者。北陸電力社長、会長を務めた。富山県出身。 富山県立富山高等学校理数科(85回)を経て、1977年に東京大学工学部産業機械工学科を卒業し、同年に北陸電力に入社した。2010年に常務、2013年に副社長を経て、2015年6月には社長に就任。志賀原子力発電所2号機の再稼働に向けて、安全審査を進展させ、2018年4月には、電力料金の値上げに踏み切った。2021年6月には会長に就任。第9代北陸経済連合会会長。
鹿熊 正一(かくま まさかず、1953年〈昭和28年〉5月1… 鹿熊 正一(かくま まさかず、1953年〈昭和28年〉5月13日 - )は、日本の政治家、会社役員。富山県議会議員(自由民主党)。自民党県議会議員会会長。 1953年、富山県下新川郡朝日町殿町に生まれる。1972年、富山県立富山高等学校卒業。1977年、東京大学法学部卒業。衆議院法制局に入る。1991年、富山県議会議員初当選。2010年、議長に就任した。 座右の銘は慎重敢為。スポーツ観戦、ゴルフ。 3つの重点施策は、「しなやかな地域経済の創出に努める」、「みんなが笑顔でいられる富山を目指す」、「生活・産業基盤並びに防災・減災基盤の整備に努める」。
犬島 伸一郎(いぬしま しんいちろう、1940年〈昭和15年… 犬島 伸一郎(いぬしま しんいちろう、1940年〈昭和15年〉3月26日 - )は、日本の経営者。北陸銀行頭取を務めた。 富山県出身。富山県立富山高等学校(70回)を経て、1963年に京都大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月には頭取に就任。2002年6月に特別顧問に就任し、2004年6月には特別参与に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 200… 久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。 歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月(いちかわ むつき)、小谷 夏(こたに なつ)、林 紫乃(はやし しの)など。兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。母方叔母に置塩壽。 当時の東京市杉並区阿佐谷生まれ。 父親は陸軍少将の久世弥三吉で転属により、小学校2年のとき北海道札幌市へ移り、終戦の年に両親の故郷・富山県富山市へ疎開し、その後高校卒業まで富山で育つ。富山市立西田地方小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現・TBSHD)入社。
木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9… 木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9日 - 1956年〈昭和31年〉12月10日)は、明治末から昭和期の内務官僚、実業家。官選富山県知事。 千葉県出身。従五位勲五等の官吏木間瀬柔三の五男として生まれる。富山中学校で中学1年に在学。第一高等学校を卒業。1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し宗教局属となる。 以後、三重県事務官、愛知県事務官、千葉県事務官・第二部長、茨城県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、同県事務官・内務部長、新潟県内務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1915年(大正4年)8月12日、富山県知事に就任。
6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)1… 6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)12月14日 - 1950年(昭和25年)7月8日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。富山県高岡市長。富山県多額納税者。幼名は清太郎。号・蒼石、杉雨。 新川県射水郡高岡上川原町(石川県、富山県射水郡高岡上川原町を経て現・高岡市川原本町)で、先代・太郎平の長男として生れ、1903年(明治36年)3月に家督を相続し、幼名を改め、6代太郎平を襲名した。富山県立富山中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業後、志願兵として従軍し陸軍歩兵中尉に任官する。日露戦争の功により功五級金鵄勲章および日独戦争の功により勲四等を叙勲される。
荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15… 荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15日 - 1956年〈昭和31年〉7月22日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・正村。 新川県射水郡高岡町源平町(現富山県高岡市)で、実業家・正村義平の三男として生まれ、1887年(明治20年)実業家・荒井荘蔵の養子となる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1897年(明治30年)専修大学卒。高岡市参事会員、富山県議、同議長、高岡商業会議所会頭、高岡紡績(株)常務取締役、高岡銀行、高岡商業銀行、高岡電燈、山又機業、オリエンタル写真工業各(株)取締役、北陸信託(株)、高岡信用組合各社長、日本米穀(株)高岡市場参与となる。
伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1… 伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1月23日〉- 1945年〈昭和20年〉1月25日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、富山県下新川郡泊町長。幼名・柳太郎。 越中国新川郡沼保村(富山県下新川郡泊町沼保を経て現朝日町沼保)で、温泉業・伊東次郎左衛門祐明の長男として生まれる。祐明の養子・祐寛の相続人となり1891年(明治24年)家督を相続した。岡田信之に師事し漢籍を修めた。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業し、上京して専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ。 家業の小川温泉の経営を行う。1912年(明治45年)の大洪水で小川温泉が多大な損害を受けたため、移転も検討されたが泊町での再建が決定され、1913年(大正2年)7月、小川温泉株式会社が設立され社長に就任した。
大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年… 大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年4月14日(安政5年3月1日)- 1940年(昭和15年)2月2日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、漢詩人。衆議院議員、富山県会議長。号・二水(にすい)、鹿陽(ろくよう)。 越中国射水郡掛開発村(富山県射水郡掛開発村大字掛開発村を経て現高岡市)で、町年寄・鷲塚屋七右衛門の息子として生まれた。1879年(明治12年)京都の草場船山に師事し漢文学を修めた。その後、東京で英学を学び、犬養毅らと交友した。 1881年(明治14年)帰郷して海内果から示唆を受け、高岡町片原横町に中等教育塾・越中義塾を設立して教育を行うが、1883年(明治16年)旧制富山中学校(現富山県立富山高等学校)が開校して生徒数が減少し、1884年(明治17年)に塾を閉じた。
田作 健一 (たさく けんいち) は日本の実業家。クリエイテ… 田作 健一 (たさく けんいち) は日本の実業家。クリエイティブフィナンシャルマーケティング株式会社(Creative Financial Marketing Co.,ltd.)の取締役マネジング・ディレクター。データベース・マーケティングの専門家。空間ディスプレイ・クリエイター。地域物産店舗「越中國富山縣陣屋」統括運営者。 富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)で事業金融やベンチャー企業の発掘などに携わった後、アメリカのPOSレジ・マーケティング会社であるカタリナマーケティングコーポレーション(Catalina Marketing Co.,ltd.)の日本法人のスタートアップに加わり、日本におけるビッグデータ解析の草創期において小売業・外食産業などの購買POSデータを独自の数理モデルと分析手法を用いて体系化した。