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清田 康之(きよた やすゆき、1955年 - 1997年7月… 清田 康之(きよた やすゆき、1955年 - 1997年7月23日)は、日本の自治・国土官僚。高知県総務部長、国土庁地方振興局総務課過疎対策室長などを務めた。 北海道出身。富山県立高岡高等学校から東京大学に入学。東大時代はボート部に所属。東大法学部第2類(公法コース)を卒業し、1978年 自治省に入省。 長崎県商工労働部観光課長時代にはハウステンボス誘致などを手がける。国土庁防災局企画課長補佐。1993年4月から高知県保健環境部長となり、その後は高知県総務部長。県の闇融資事件を苦労してキャッチしたが、それが県職員出身の山本卓副知事(後に背任で逮捕)らからの強い反発を招いた。 1997年4月から国土庁地方振興局総務課過疎対策室長。
二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - … 二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - )は、日本の官僚。元内閣官房副長官(事務担当)、元自治事務次官。 富山県出身。高岡高校を経て、東京大学法学部卒業後の1964年 自治省に入省。静岡県副知事、自治省財政局長などを経て、1999年自治省最後の事務次官に就任。2003年9月から第1次小泉内閣第2次改造内閣以降の小泉内閣で内閣官房副長官(事務担当)を務めた。2006年9月の安倍内閣発足、的場順三の起用に伴い退任するが、2007年9月発足した福田康夫内閣で再起用される。経験者の再起用は異例。 2008年9月発足の麻生内閣発足に伴い退任、財団法人自治総合センター理事長に復帰した。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
八嶋 三郎(やじま さぶろう、1906年1月3日 - 196… 八嶋 三郎(やじま さぶろう、1906年1月3日 - 1968年6月3日)は、日本の都市計画家、行政官僚。 内務省や厚生省、建設省で官僚として活動し、全国区画整理協会連合会会長、歴史的風土審議会委員、帝都高速度交通営団管理委員会委員、財団法人都市計画協会理事を歴任した。 富山県新湊町(現・射水市)に生まれる。旧制高岡中学校(現・富山県立高岡高等学校)から旧制第四高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に入学する。在学中高等文官試験に合格し、1930年に卒業後、内務省に勤める。福島県や岩手県、愛知県、兵庫県を転任し、1942年鹿児島県官房長となる。1943年に福島県経済部長に移る。ここまでは警察や経済部といった部署を歩んだ。
高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10… 高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10月1日 - 1963年(昭和38年)3月21日)は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日 - 1956年9月30日、2期)。孫に第6代北海道知事を経て参議院議員となった高橋はるみ、元日本海ガス・日本海ガス絆ホールディングス社長で、富山県知事の新田八朗がいる。 富山県出身。高岡市・高辻喜作の二男。旧制富山県立高岡中学校、旧制第二高等学校卒業。1922年、文官高等試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。山口県属。引揚援護院次長を経て、官選最後の大阪府知事(第35代・1947年3月11日 - 1947年4月12日)。
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968… 館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚・政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓・木津。 富山県高岡市出身。木津太郎平の二男として生まれ、後に館萩江の入夫となり改姓。富山県立高岡中学校、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、内務省に入り岐阜県属として内務部学務兵事課に配属された。1917年(大正6年)10月、文官高等試験に合格した。 1918年(大正7年)4月、岐阜県警部となる。以後、同県警視・警務課長兼工場課長、同県内務部産業課長、神奈川県外事課長、茨城県知事官房文書課長兼内務部社会課長、内閣書記官、内閣官房記録課長、同総務課長などを歴任。
河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月1… 河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月10日 - 昭和45年(1970年)5月14日)は、日本の農商務官僚、政治家、実業家。富山県高岡市名誉市民。
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年… 正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年〉4月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月9日)は、日本の警察官・内務官僚、実業家、政治家。読売新聞社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ放送会長、日本武道館会長などを歴任した。 読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、読売中興の祖として大正力(だいしょうりき)と呼ばれている。 読売ジャイアンツ(巨人)の初代オーナーとして、戦後の日本のプロ野球の発展に貢献したためにプロ野球の父と呼ばれる。日本テレビを創立し、テレビの普及や発展に貢献したためにテレビ放送の父と呼ばれる。また、原子力発電の推進にも貢献したために原子力の父とも呼ばれる。
河内 正孝(かわうち まさたか)は、日本の元郵政・総務官僚。… 河内 正孝(かわうち まさたか)は、日本の元郵政・総務官僚。総務省大臣官房総括審議官、KDDI総研代表取締役副社長、日本無線協会理事長等を経て、YRP研究開発推進協会会長。 富山県立高岡高等学校卒業後、1978年金沢大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了、郵政省入省。1981年アジア・太平洋電気通信共同体(APT)事務局員。1986年郵政省通信政策局国際企画課課長補佐。1997年郵政省電気通信局電気通信事業部電気通信技術システム課長。1999年郵政省放送行政局放送技術政策課長。2001年総務省情報通信政策局技術政策課長。2002年総務省総合通信基盤局電波部電波政策課長。2004年総務省信越総合通信局長。
屋敷 利紀(やしき としのり)は、日本の官僚、銀行家。金融庁… 屋敷 利紀(やしき としのり)は、日本の官僚、銀行家。金融庁総合政策局長。 富山県立高岡高等学校卒業後、京都大学文学部に進学。文学部へ進学した理由について「歴史学者を目指していた。文学部を選んだのもそのため」としている。巨漢として知られており、高校時代は柔道部に所属。大学入学時点で身長187.5cm、体重100kgを超える恵まれた体型もありアメリカンフットボール部から熱烈な勧誘を受けていたが断っていた。しかし、監督から両親への働き掛けもあり、屋敷はアメリカンフットボール部に入部し頭角を現す。4年時に主将に就任し、京都大学ギャングスターズの黄金期を築いた。アメリカンフットボールに打ち込むあまり学業が疎かになり屋敷は留年し、5年時にアメリカンフットボール部コーチを務めた。