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柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は… 柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は、日本の小説家、随筆家。文学同人誌『播火』主宰・編集長。〈播磨の黒田武士顕彰会〉理事。日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪二葉高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英語英文学科を卒業する。1987年、第1回神戸新聞文芸賞小説部門優秀賞を受賞する。1997年、『月柱』で第14回大阪女性文芸賞を、『藤村の海』で第3回小諸・藤村文学賞を受賞する。2009年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す運動の一環で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』を執筆する。同作品は、「官兵衛の生き方を通して、子どもたちに夢や希望を抱いてほしい」という思いから、わかりやすい言葉を選んで文章を書いたという。
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 201… 藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日)は、日本の作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。エッセイストの藤原咲子は長女。孫はベーシストの村井研次郎。旧姓両角。 長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供3人を連れ満州より引き揚げ、1946年帰国、心臓を患い寝たきりで、精神にも変調をきたしていたらしく、しばらくして新田も帰国したが、すぐには夫と分からない状態だったという。 帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。
平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年〈明治38年〉1… 平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年〈明治38年〉10月3日 - 1972年〈昭和47年〉2月17日)は、日本の小説家。本名タイ。 職を転々としながら、同棲、離別、検挙、生活破綻、中国大陸や朝鮮での放浪などを経て、その体験から『嘲る』『施療室にて』を発表。プロレタリア作家として出発した。戦後は反共姿勢を強め、晩年は難病に苦しんだが、社会や人生の不条理を逞しい筆致で描いた作品で知られた。没後日本芸術院賞・恩賜賞を受け、平林たい子文学賞が設定された。 現在の長野県諏訪市(旧諏訪郡中洲村)出身。平林家はもともと土地の名家であったが、祖父の事業失敗で貧しい農家に落ちていた。 1915年(大正4年)1月、父と弟と朝鮮へ出稼ぎに行く。
今井 邦子(いまい くにこ、1890年〈明治23年〉5月31… 今井 邦子(いまい くにこ、1890年〈明治23年〉5月31日 - 1948年〈昭和23年〉7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。山田邦子名で新聞記者もしていた。夫は立憲政友会衆議院議員の今井健彦。通産省事務次官を務めた両角良彦は甥にあたる。 明治23年(1890年)、徳島市に生まれる。父山田邦彦(1857年 - 1909年)は官吏であり、また和歌も詠んだ。当時は徳島県学務課長の任にあった。明治25年、2歳(1892年)のとき父母と離れ、父の郷里である長野県下諏訪町の祖父母のもとに預けられた。少女期より、文才に長け、当時、文学少女の憧れの的であった「女子文壇」にしばしば詩を投稿し、度重なる入賞をし、文才の閃きを見せていた。