スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
常田 俊太郎(つねた しゅんたろう、1990年〈平成2年〉6… 常田 俊太郎(つねた しゅんたろう、1990年〈平成2年〉6月6日- )は、日本の実業家、ヴァイオリニスト。音楽プロジェクト「millennium parade」のメンバー。株式会社ユートニック共同創業者で、同社代表取締役。 1990年(平成2年)6月6日、長野県生まれ。伊那市立東部中学校、長野県伊那北高等学校、東京大学工学部システム創成学科卒業。 ピアノの先生だった母親にピアノを習わされるが1週間で断念。母親の影響で4歳の頃からヴァイオリンを始める。中学時代の後半からは、5時間から6時間の練習を毎日行う。北原よし子、元NHK交響楽団コンサートマスターの田中千香士に師事。長野県から東京都にも、レッスンのために3週間に一度通う。
小池 信也(こいけ しんや、1968年〈昭和43年〉12月2… 小池 信也(こいけ しんや、1968年〈昭和43年〉12月23日 - )は、日本の郵政・総務官僚、実業家。日本郵便株式会社代表取締役社長兼執行役員社長。 長野県出身。長野県伊那北高等学校を経て、1992年一橋大学経済学部卒業、郵政省(現総務省)入省。地域のためになる仕事がしたいという思いから入省を志した。大学及び入省同期に木村公彦(国家サイバー統括室統括官)がいる。 2007年に郵便事業株式会社のオペレーション本部オペレーション企画部担当部長に就任。その後、人事部担当部長、要員企画室長、総務・人事部担当部長などを歴任。2012年に日本郵便株式会社の人事制度企画部担当部長に就任。 その後、郵便事業総本部営業本部営業部企画役、ソリューション企画部企画役、郵便・物流事業企画部部長などを歴任。
唐澤 範行(からさわ のりゆき、1951年10月20日 - … 唐澤 範行(からさわ のりゆき、1951年10月20日 - )は、日本の実業家。長野県上伊那郡箕輪町出身。東京理科大学工学部卒業。アサヒフードアンドヘルスケア社長、アサヒグループ食品社長、学校法人東京理科大学理事長補佐を経て、2018年、公立大学法人公立諏訪東京理科大学初代理事長に就任。 アサヒスーパードライの海外製造拠点立ち上げを手掛ける。また、2015年にはアサヒグループの食品事業3社を統合したアサヒグループ食品の社長に就任し、新体制の礎を築いた。公立大学法人公立諏訪東京理科大学の元理事長である。
宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )… 宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )は、日本の経営者。竹中工務店社長、会長を務めた。長野県伊那市出身。 伊那北高等学校を経て、1971年に東京大学工学部都市工学科を卒業し、同年に竹中工務店に入社した。2003年3月に取締役に就任し、2007年3月に常務、2010年3月に専務、2012年3月に副社長を経て、2013年3月に社長に就任。2019年3月に会長に就任。
小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4… 小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4月23日 - )は、日本の政治家、実業家。 長野県宮田村長(3期)、宮田村副村長、ルビコン常務執行役員、ルビコン電子専務取締役、秋田ルビコン専務取締役、韓国信英取締役副社長などを歴任。 長野県上伊那郡宮田村大久保区出身。長野県伊那北高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、日本大学法学部法律学科を卒業。同年4月、窪田建設株式会社に入社。翌1969年(昭和44年)10月にルビコン株式会社に入社。ルビコン入社後、ルビコン総務部長、韓国信英取締役副社長、秋田ルビコン専務取締役、ルビコン電子専務取締役、ルビコン常務執行役員などを歴任。この他、宮田村消防団第3分団第2部部長、宮田村氏子総代会会長、宮田村大久保区長を務めた。
塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 202… 塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 2026年6月29日)は、日本の経営者。伊那食品工業最高顧問を務めた。 現在の長野県駒ヶ根市で6人兄弟の次男として生まれた。長野県伊那北高等学校2年次在学中に肺結核に罹患し中途退学、貧しい家庭環境の中で闘病生活を送る。地元の製材会社を経て、21歳の時に伊那化学寒天(現在の伊那食品工業)に入社、1983年に社長、2019年に最高顧問に就任した。零細企業から日本国内における寒天のトップメーカーに育て上げ、独自の経営哲学『年輪経営』は、財界に多大な影響を与えた。1996年に黄綬褒章 、2011年に旭日小綬章を受章した。 2026年6月29日、老衰のため伊那市の自宅で死去した。
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1… 向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 長野県上伊那郡中箕輪村(後の中箕輪町、現在の箕輪町)生まれ。旧制長野県伊那中学校(現長野県伊那北高等学校)を経て、早稲田大学附属高等工学校卒業。古河電工無線研究所研究課長を退職して、1940年東京市荏原区(現品川区)に「興亜工業社」(現KOA) を設立した。1955年伊那毎日新聞設立。1963年には建設省の専門委員、1964年興亜ソリッド社長、1967年には日本経済団体連合会常任理事を歴任した。1977年コーア会長に就任。 1962年紺綬褒章受章。1962年5月長野県箕輪町教育施設費のため100万円寄付により1963年2月2日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。