スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
常田 大希(つねた だいき、1992年5月15日 - )は、… 常田 大希(つねた だいき、1992年5月15日 - )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー。ロックバンドKing Gnu、音楽家集団MILLENNIUM PARADEのメンバー、クリエイティブレーベルPERIMETRON主宰者。 長野県伊那市で生まれる。 東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に進学するが、「社会と結びついた音楽をしたい」という理由で中退。 小澤征爾が主催する小澤国際室内楽アカデミーにチェロ奏者として在籍していたことがある。 2013年、「Srv.Vinci」(サーヴァ・ヴィンチ)という名義で独自の音楽活動を開始。ソロプロジェクトに近い構成であったが、メンバーチェンジ等を経てバンドとしての活動が主体になってきたことにより、2017年に「King Gnu」に改名。
常田 俊太郎(つねた しゅんたろう、1990年〈平成2年〉6… 常田 俊太郎(つねた しゅんたろう、1990年〈平成2年〉6月6日- )は、日本の実業家、ヴァイオリニスト。音楽プロジェクト「millennium parade」のメンバー。株式会社ユートニック共同創業者で、同社代表取締役。 1990年(平成2年)6月6日、長野県生まれ。伊那市立東部中学校、長野県伊那北高等学校、東京大学工学部システム創成学科卒業。 ピアノの先生だった母親にピアノを習わされるが1週間で断念。母親の影響で4歳の頃からヴァイオリンを始める。中学時代の後半からは、5時間から6時間の練習を毎日行う。北原よし子、元NHK交響楽団コンサートマスターの田中千香士に師事。長野県から東京都にも、レッスンのために3週間に一度通う。
新谷 志保美(しんや しほみ、1979年8月10日 - )は… 新谷 志保美(しんや しほみ、1979年8月10日 - )は、日本の女子スピードスケート選手である。筑波大学体育専門学群卒業。156cm、51kg。現姓は神津。 長野県上伊那郡宮田村出身。兄は長野県の中学校教師で社会科を教えている。小学二年生のとき、父が経営するクラブでスケートを始める。1995年の全国中学校スケート大会で500m・1000mの2冠を達成。 多くのスポーツ名門校からの誘いを蹴り、スポーツ界では無名だった地元進学校の長野県伊那北高等学校に進学。1996・97年の高校総体500mで連覇。 筑波大学進学後も学生スプリント2年連続完全制覇など学生タイトルを総なめにする。卒業後、竹村製作所へ入社。
春日 郁朗(かすが いくろう、1977年5月2日 - )は日… 春日 郁朗(かすが いくろう、1977年5月2日 - )は日本の工学者(都市工学)。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻水環境制御研究室准教授。長野県伊那市出身。
北原 健二(きたはら けんじ、1976年5月10日 - )は… 北原 健二(きたはら けんじ、1976年5月10日 - )は、長野県伊那市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、MF。現在は習志野市で中学校体育教諭を行なっている。
寄藤 文平(よりふじ ぶんぺい、1973年7月21日 - )… 寄藤 文平(よりふじ ぶんぺい、1973年7月21日 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター。 長野県箕輪町生まれ。子供の頃はどちらかというと引いた子供だった。 中学までは教師や新聞記者に憧れていて、絵の道は考えていなかったが図工には自信があった。父の知り合いで早稲田大学出身の報知新聞の記者がいたことから自分も同じ道を進もうとするも勉強ができず、高校では勉学より水彩画にのめり込み、2年生の夏休みに父の勧めで美術大学を目指すために予備校に通った。 長野県伊那北高等学校卒業後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科へ進学。絵のジャンルは何でもよかったが、教わった先生がグラフィックデザイナーだったためデザイン学科を選び、その頃からグラフィックデザイナーを目指すようになる。
田畑 幸嗣(たばた ゆきつぐ、1972年 - )は、日本の考… 田畑 幸嗣(たばた ゆきつぐ、1972年 - )は、日本の考古学者。専門は東南アジア考古学。早稲田大学文学学術院教授。カンボジア王国友好勲章受章。 長野県生まれ。長野県伊那北高等学校を経て、1995年国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。1999年国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。2004年上智大学大学院外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程満期退学。2005年博士(地域研究)、日本学術振興会特別研究員。2011年サハメトレイ勲章受章。同年東南アジア考古学会奨励賞受賞。2014年早稲田大学文学学術院准教授。2019年早稲田大学文学学術院教授。
宮下 信顕(みやした のぶあき、1972年 - )は、日本の… 宮下 信顕(みやした のぶあき、1972年 - )は、日本の建築家。一級建築士。 長野県出身。エムアールスタジオ株式会社一級建築士事務所代表。シカゴアテナエウム国際建築賞、AIAアメリカ建築家協会環太平洋建築デザイン賞、レッド・ドット・デザイン賞、iFデザイン賞、A' Design Award、シカゴ・グッド・デザイン賞、アジアデザイン賞、日本建築学会作品選奨など受賞歴多数 叔父2人がアトリエ系の建築家であったことから幼少の頃から建築に接し、自然と建築家への道を志すようになる。東京理科大学建築学科在学中より多数の設計競技・アイデアコンペに応募し、その入賞実績が数十件に及んだことから「コンペキラー」として名を馳せる(彰国社:建築学生のハローワークに『伝説のコンペキラー』として登場)。
馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日 - )は、… 馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日 - )は、日本のパラアイスホッケー選手、パラ・パワーリフティング選手。2010年バンクーバーパラリンピックアイススレッジホッケー銀メダリスト。長野県生まれ。 上伊那郡辰野町出身。辰野西小学校、辰野中学校、長野県伊那北高等学校、1997年に駒澤大学法学部卒業。 幼少から剣道や杖道など武道に励む。大学3年生のときアルバイト先での測量作業中、6万6000ボルトの特別高圧の送電線に接触する事故に遭い、下半身に障がいを負い、車いす生活となる。一命は取り留めたものの2~3週間意識が戻らず、3回の植皮手術とリハビリで丸1年入院した。 大学卒業後、長野県内の企業セイコーエプソンに就職。
池上 正喜(いけがみ まさき、1970年〈昭和45年〉3月2… 池上 正喜(いけがみ まさき、1970年〈昭和45年〉3月24日 - )は、日本の外交官。長野県出身。 在ロシア日本国大使館公使、外務省大臣官房審議官などを経て、2025年から在英国日本国大使館特命全権公使を務める。
小池 信也(こいけ しんや、1968年〈昭和43年〉12月2… 小池 信也(こいけ しんや、1968年〈昭和43年〉12月23日 - )は、日本の郵政・総務官僚、実業家。日本郵便株式会社代表取締役社長兼執行役員社長。 長野県出身。長野県伊那北高等学校を経て、1992年一橋大学経済学部卒業、郵政省(現総務省)入省。地域のためになる仕事がしたいという思いから入省を志した。大学及び入省同期に木村公彦(国家サイバー統括室統括官)がいる。 2007年に郵便事業株式会社のオペレーション本部オペレーション企画部担当部長に就任。その後、人事部担当部長、要員企画室長、総務・人事部担当部長などを歴任。2012年に日本郵便株式会社の人事制度企画部担当部長に就任。 その後、郵便事業総本部営業本部営業部企画役、ソリューション企画部企画役、郵便・物流事業企画部部長などを歴任。
斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - … 斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - )は、長野県伊那市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズのチーム運営球団職員。 小学4年の時に野球を始める。伊那北高では1年秋から登板するも県大会ベスト8が最高で甲子園に出場はできなかった。首都大学野球の日体大に進学。1年上に有倉雅史がいた。4年秋の明治神宮大会では初戦完封勝利。リーグ通算成績は6勝4敗。 その後、日立製作所では都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場、諸積兼司との活躍で1993年の東京スポニチ大会優勝に貢献した同年のプロ野球ドラフト会議前に逆指名制度を利用してヤクルトスワローズを逆指名し、同会議で2位指名を受けて入団。
岩下 哲典(いわした てつのり、 1962年9月 - )は… 岩下 哲典(いわした てつのり、 1962年9月 - )は、日本の歴史学者。専門は幕末維新史(情報活動史)。東洋大学文学部史学科・大学院文学研究科史学専攻教授。 1962年長野県塩尻市北小野生まれ。1981年長野県伊那北高等学校卒業。1985年青山学院大学文学部史学科卒業。1994年青山学院大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位修得満期退学。徳川黎明会総務部学芸員、日本学術振興会特別研究員、徳川林政史研究所研究員、青山学院大学非常勤講師、都留文科大学非常勤講師などを経て、2003年明海大学助教授、2005年教授。2001年3月、青山学院大学にて、博士論文「幕末日本の情報活動 : 「開国」の情報史」により、博士 (歴史学)を取得。
堀内 朗(ほりうち あきら、1960年(昭和35年)11月2… 堀内 朗(ほりうち あきら、1960年(昭和35年)11月29日 - )は、日本の内科医。専門は消化器、消化器内視鏡。昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)消化器病センター長。 長野県上伊那郡飯島町出身。長野県伊那北高等学校、信州大学医学部卒。同大助手、アメリカ合衆国への留学などを経て、1999年(平成11年)に昭和伊南総合病院に着任。当時は胃がんが多かったが、苦しさを理由に内視鏡検査を嫌う患者を目の当たりにし、「医療側の配慮が足りなかった」と患者の負担軽減策を模索。細径スコープでの検査などを経て全身、麻酔薬の使用や、検査時に発見したポリープを同時に除去する方法を導入し、「駒ヶ根方式」として知られ、全国から患者や視察が集まるようになった。
伊藤 祐三(いとう ゆうぞう、1960年(昭和35年)8月5… 伊藤 祐三(いとう ゆうぞう、1960年(昭和35年)8月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。長野県駒ヶ根市長(2期)。 長野県伊那市生まれ。駒ヶ根市立赤穂小学校、駒ヶ根市立赤穂中学校、長野県伊那北高等学校、中央大学法学部卒業。 1984年(昭和59年)、毎日新聞社に入社。和歌山支局、鳥取支局、大阪本社社会部、同経済部で勤務した。1993年(平成5年)、共同通信社に転職。論説委員を務めた。 2019年(令和元年)6月末、共同通信社を退社。同年8月30日、任期満了に伴う駒ヶ根市長選挙に立候補する意向を表明。中学高校時代の同級生を中心に「応援団」を設け、草の根の運動を展開した。 2020年(令和2年)1月26日に行われた市長選挙に立候補。
馬場公彦(ばば きみひこ、1958年 - )は、日本の編集者… 馬場公彦(ばば きみひこ、1958年 - )は、日本の編集者、中国学者。 長野県伊那市出身。長野県伊那北高等学校、北海道大学文学部卒業、北海道大学大学院東洋哲学研究科修了。35年間岩波書店の編集者を務め、2013年岩波現代全書創刊時の編集長。2010年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程満期修了、「戦後日本論壇における中国論の変遷1945-1972 総合雑誌関連記事の歴年推移をたどって」で学術博士。 1983-1988年株式会社東方書店、1989-2019年株式会社岩波書店、2019年から北京大学外国語学院外教(外国人教師)として日本語を教える。2015年から中国伝媒大学(北京)新聞伝播学部・伝播研究院国際伝播研究センター名誉教授。
伊藤 寛(いとう ひろし、1956年 - )は、日本の建築家… 伊藤 寛(いとう ひろし、1956年 - )は、日本の建築家。京都造形芸術大学大学院教授。伊藤寛アトリエを主宰。神奈川大学、武蔵野美術大学非常勤講師。日本建築家協会神奈川副代表。 1956年(昭和31年)、長野県上伊那郡生まれ。1975年(昭和50年)、長野県伊那北高等学校卒業。1979年(昭和54年)、神奈川大学工学部建築学科卒業。1984年(昭和59年)まで建築設計事務所に勤務後、ミラノ工科大学に留学。帰国後早稲田大学大学院に進学、1988年(昭和63年)に大学院修士課程修了。同年、伊藤寛アトリエを開設。 1989年(平成元年)、世界デザイン博覧会「建築YATAI」国際コンペ金賞。2002年(平成14年)、青森市北国型集合住宅国際コンペ審査員特別賞。
白鳥 孝(しろとり たかし、1955年(昭和30年)5月25… 白鳥 孝(しろとり たかし、1955年(昭和30年)5月25日 - )は、日本の政治家。長野県伊那市長(4期)。 長野県伊那市西箕輪中条生まれ。長野県伊那北高等学校、立教大学社会学部卒業後、1979年4月信英蓄電器箔株式会社入社。 2004年(平成16年)2月、旧伊那市の収入役に就任。2006年(平成18年)3月31日、旧伊那市と高遠町と長谷村が合併して、新制の伊那市が発足。同年5月、現伊那市の収入役に就任。2007年(平成19年)4月、副市長に就任。2010年(平成22年)2月、副市長を辞任。同年4月25日の伊那市長選挙に出馬し初当選。同月30日、市長就任。2014年4月の市長選で再選。 2018年4月の市長選で3選。
白鳥 政徳(しろとり まさのり、1954年8月17日 - )… 白鳥 政徳(しろとり まさのり、1954年8月17日 - )は、日本の政治家。長野県箕輪町長(3期)。 長野県箕輪町福与鹿垣生まれ。1973年(昭和48年)3月、長野県伊那北高等学校卒業。1980年(昭和55年)3月、中央大学法学部法律学科卒業。1980年(昭和55年)4月、長野県庁に入庁。長野県立病院機構本部事務局長、松本地方事務所長などを歴任。 2014年(平成26年)8月31日、退職。同年11月16日に行われた箕輪町長選挙に立候補し、元県議の清水洋を破り初当選を果たした。11月29日、町長就任。 2018年(平成30年)、無投票により再選。
唐澤 範行(からさわ のりゆき、1951年10月20日 - … 唐澤 範行(からさわ のりゆき、1951年10月20日 - )は、日本の実業家。長野県上伊那郡箕輪町出身。東京理科大学工学部卒業。アサヒフードアンドヘルスケア社長、アサヒグループ食品社長、学校法人東京理科大学理事長補佐を経て、2018年、公立大学法人公立諏訪東京理科大学初代理事長に就任。 アサヒスーパードライの海外製造拠点立ち上げを手掛ける。また、2015年にはアサヒグループの食品事業3社を統合したアサヒグループ食品の社長に就任し、新体制の礎を築いた。公立大学法人公立諏訪東京理科大学の元理事長である。
西村 与志木(にしむら よしき、1950年5月5日 - )は… 西村 与志木(にしむら よしき、1950年5月5日 - )は、日本のテレビプロデューサー。NHK職員。2013年10月時点の役職は、NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー。 日本映画テレビプロデューサー協会 副会長、日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム 理事も務める(どちらも2014年2月現在)。 長野県上伊那郡美和村(現・伊那市長谷溝口)生まれ。長野県伊那北高等学校21回卒業。1976年に東京大学文学部(西洋史学科)卒業、NHKへ入局。高松局を経て、番組制作局ドラマ部へ。 大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年)に演出で携わった後、アメリカ総局特派員としてロサンゼルスに派遣され、3年にわたり映画制作を学ぶ。
杉本 幸治(すぎもと こうじ、1949年(昭和24年)8月1… 杉本 幸治(すぎもと こうじ、1949年(昭和24年)8月14日 - )は、日本の政治家。元長野県駒ヶ根市長(3期)。 長野県上伊那郡赤穂町(現・駒ヶ根市)上穂町生まれ。駒ヶ根市立赤穂小学校、駒ヶ根市立赤穂中学校卒業。1968年(昭和43年)3月、長野県伊那北高等学校卒業。同年4月、長野県庁に入庁。2003年(平成15年)4月1日、教育次長に就任。同年12月19日、教育次長を退職。 2004年(平成16年)1月25日に行われた駒ヶ根市長選挙に出馬し落選。 2008年(平成20年)1月20日に行われた駒ヶ根市長選挙に出馬し初当選。2012年(平成24年)、無投票で再選。2016年(平成28年)、無投票で3選。
伊藤 伊那男(いとう いなお、1949年 - 2025年11… 伊藤 伊那男(いとう いなお、1949年 - 2025年11月14日)は、長野県伊那地方の出身の俳人。出身地をそのまま俳号にした。本名正徳。 長野県駒ヶ根市生まれ。長野県伊那北高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後に野村證券に入社。その後退社し、オリックス勤務、金融会社経営を経て、53歳で脱サラ。神田神保町で、「銀漢亭」という居酒屋を経営(2020年5月閉店)。 俳句は取引先の職場句会をきっかけに始め、1982年、「春耕」に入会、皆川盤水に師事。1990年春耕賞受賞。1998年、句集『銀漢』により第22回俳人協会新人賞。2011年、「春耕」の僚誌として「銀漢」を創刊・主宰。2018年、句集『然々と』により第58回俳人協会賞。
鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県… 鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 伊那北高等学校では、1966年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、エース吉江喜一を擁する塚原高に完封負け。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。1969年春季リーグで8年振りに優勝を飾る。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄、同期の今井恒夫が好投、早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。ベストナイン(一塁手)に2回選出されている。大学同期に外野手の辻哲也らがいる。
宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )… 宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )は、日本の経営者。竹中工務店社長、会長を務めた。長野県伊那市出身。 伊那北高等学校を経て、1971年に東京大学工学部都市工学科を卒業し、同年に竹中工務店に入社した。2003年3月に取締役に就任し、2007年3月に常務、2010年3月に専務、2012年3月に副社長を経て、2013年3月に社長に就任。2019年3月に会長に就任。
小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4… 小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4月23日 - )は、日本の政治家、実業家。 長野県宮田村長(3期)、宮田村副村長、ルビコン常務執行役員、ルビコン電子専務取締役、秋田ルビコン専務取締役、韓国信英取締役副社長などを歴任。 長野県上伊那郡宮田村大久保区出身。長野県伊那北高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、日本大学法学部法律学科を卒業。同年4月、窪田建設株式会社に入社。翌1969年(昭和44年)10月にルビコン株式会社に入社。ルビコン入社後、ルビコン総務部長、韓国信英取締役副社長、秋田ルビコン専務取締役、ルビコン電子専務取締役、ルビコン常務執行役員などを歴任。この他、宮田村消防団第3分団第2部部長、宮田村氏子総代会会長、宮田村大久保区長を務めた。
浦野 東洋一(うらの とよかず、1943年 - )は、日本の… 浦野 東洋一(うらの とよかず、1943年 - )は、日本の教育学者。元帝京大学教育学部長、東京大学名誉教授。専門分野は、教育行政学・教育法制論・学校経営論。 長野県上伊那郡箕輪町出身。1961年に長野県伊那北高等学校、1965年に東京大学教育学部教育行政学科を卒業し、1970年に東京大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学して、北海道教育大学の助手となった。1977年に助教授に昇任した後、1981年に東京大学教育学部へ移った。2003年に東京大学を退職して帝京大学文学部教授に転じ、東京大学から名誉教授の称号を贈られ、また、日本教育行政学会から功労賞を贈られた。帝京大学では教育学部創設に尽力し、同学部長に就任した。
那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、… 那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、日本の弁護士、元最高裁判所判事(2006年5月25日 - 2012年2月10日)。あさひ法律事務所顧問。 また、伊那市ふるさと大使も務める。
伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年〈昭和16年〉10月… 伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年〈昭和16年〉10月23日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(9期)、国土庁長官(第29代)、衆議院国家基本政策委員長、外務委員長、法務委員長、文教委員長等を歴任した。三男は立憲民主党所属の衆議院議員である伊藤俊輔。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)生まれ。長野県伊那北高等学校、1964年法政大学法学部卒業。在学中は法政大学弁論部に所属した。オハイオ州立大学への語学留学を経て、神田外語学院講師を務める。その後、伊那毎日新聞創業者で自由民主党衆議院議員の向山一人の伝手で1969年、向山が経営する興亜電工に入社し、向山の個人秘書を務める。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に旧東京7区から無所属で立候補したが、立候補者9人中得票数8位で落選。
河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 … 河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 - )は、日本のジャーナリスト。『愛と死をみつめて』の筆者でもある。 大阪府大阪市に生まれる。太平洋戦争中、長野県伊那市に疎開した。自身は「長野の農家の息子」と称し、畑仕事は小学生時から嫌々ながら手伝わされたという。 長野県伊那北高等学校卒業後、浪人中に大阪大学医学部附属病院に入院する。中央大学商学部に進学後、3年生の時に実体験をもとにした『愛と死をみつめて』を出版し、150万部を超えるベストセラーとなった。のちに大学は中退した。 1965年(昭和40年)、ジャーナリストを目指して、東京写真専門学校報道写真科に入る。 その後、フリーカメラマン、自動車専門誌記者を経て、1976年(昭和51年)、経済界 (出版社)に入社。
牧田 政彦(まきた まさひこ、1940年1月13日 - )は… 牧田 政彦(まきた まさひこ、1940年1月13日 - )は長野県出身の元プロ野球選手。左投左打。 長野県伊那北高等学校から1958年に阪急ブレーブスに入団。初登板の西鉄ライオンズ戦で初勝利を挙げ、1963年には初の完投勝利を記録したが、翌1964年に河野旭輝との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍、こちらでは勝利を記録することなく1966年限りで退団した。
後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 202… 後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 2025年11月22日)は、日本の映画監督。長野県伊那市出身、飯島町在住。 長野県伊那北高等学校を経て、1962年立教大学社会学部卒業。新世紀映画株式会社入社。山本薩夫監督の助監督として、『戦争と人間』、『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『あゝ野麦峠』などに就く。1978年に『こむぎいろの天使-雀(すずめ)と少年』(青銅プロダクション)で監督デビューする。その後、活動拠点をふるさとである信州伊那谷(飯島町)に置き、動物と人間のふれあいをテーマにした作品や、時に美しく時に厳しい自然をテーマに「生きる」ということを人間に問いかけるような作品を多く手がけている。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 202… 塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 2026年6月29日)は、日本の経営者。伊那食品工業最高顧問を務めた。 現在の長野県駒ヶ根市で6人兄弟の次男として生まれた。長野県伊那北高等学校2年次在学中に肺結核に罹患し中途退学、貧しい家庭環境の中で闘病生活を送る。地元の製材会社を経て、21歳の時に伊那化学寒天(現在の伊那食品工業)に入社、1983年に社長、2019年に最高顧問に就任した。零細企業から日本国内における寒天のトップメーカーに育て上げ、独自の経営哲学『年輪経営』は、財界に多大な影響を与えた。1996年に黄綬褒章 、2011年に旭日小綬章を受章した。 2026年6月29日、老衰のため伊那市の自宅で死去した。
野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日… 野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日 - 2024年〈令和6年〉12月12日)は、日本の技術士、工学博士、政治家。元参議院議員(3期)、元法務大臣(第72・73代)。「沢」の戸籍上の記載は「澤」。日韓トンネル研究会会長。 長野県上伊那郡辰野町出身。東京大学工学部土木工学科を卒業後、日本国有鉄道に入社し、大阪鉄道管理局施設部長、長野鉄道管理局長、本社施設局長を歴任。一貫して技術畑を歩む。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で出馬し、初当選。当選後、北海道開発政務次官を出発点に、参議院では外務委員長、決算委員長を歴任。2002年10月18日、参議院憲法調査会会長に就任。
曽倉 岑(そくら たけし、1933年 - )は、日本の文学者… 曽倉 岑(そくら たけし、1933年 - )は、日本の文学者。日本文学、上代文学。専門は万葉集研究。青山学院大学名誉教授。
宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月… 宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月10日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。 厚生大臣(第81代)、環境庁長官(第31代)、防衛庁長官(第51代)、衆議院議員(8期)を歴任した。 長男は第68代農林水産大臣の宮下一郎。 長野県上伊那郡伊那里村(現伊那市長谷市野瀬)の農家に生まれる。旧制伊那中学(現伊那北高等学校)から陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、第二次世界大戦敗戦により旧制松本高等学校に入学。1953年に東京大学法学部(東洋政治思想史:丸山ゼミ)を卒業し、大蔵省に入省する。入省同期に、吉野良彦(元大蔵次官、主計局長)、津島雄二、水野繁(元国税庁長官)、大場智満(元財務官)、宮本保孝(元理財局長、銀行局長)らがいる。
竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月… 竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2023年〈令和5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、東京都議会議員(1期)、文京区議会議員(1期)を歴任。位階は正三位。 1967年から1986年まで公明党委員長を務め、言論出版妨害事件では中心となって動いた。1972年7月に独自のルートで中国の周恩来首相と会談し、同年9月の日中国交正常化の橋渡しを行った(竹入メモ)。 のちに、創価学会から除名された。詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 長野県上伊那郡辰野町に生まれ、北佐久郡軽井沢町で育つ。 陸軍航空士官学校在校中に敗戦を迎えた。旧制伊那中学を経て、国鉄(現:JR東日本)に勤務。
北沢 正啓(きたざわ まさひろ、1925年(大正14年)1月… 北沢 正啓(きたざわ まさひろ、1925年(大正14年)1月1日 - 2007年(平成19年)9月21日)は、日本の法学者。専門は会社法。学位は法学博士(東京大学)。名古屋大学名誉教授、中京大学名誉教授。中京大学元学長。叙正四位・授勲勲二等瑞宝章。弁護士。鈴木竹雄門下。弟子に浜田道代など。 著書などでは、略字も使われているが、「北澤正啓」が正しい[要出典]。 鈴木竹雄門下で、平出慶道によれば鈴木の最初の弟子にあたる(ジュリストの『座談会 鈴木竹雄先生の人間と学問』(有斐閣、1996)による)。 戦後まもなく商法に導入された株主代表訴訟制度につき、いち早くアメリカの制度を紹介する論文「アメリカ会社法における株主代表訴訟」を発表し、日本の株主代表訴訟制度研究における先駆的な論文と位置づけられている。
芦部 信喜(あしべ のぶよし、1923年〈大正12年〉9月1… 芦部 信喜(あしべ のぶよし、1923年〈大正12年〉9月17日 - 1999年〈平成11年〉6月12日)は、日本の法学者。専門は憲法学。学位は法学博士(東京大学・1962年)。憲法学の権威とされる。宮澤俊義門下。弟子に横田耕一、高橋和之、戸松秀典、戸波江二、野坂泰司、日比野勤、長谷部恭男など。 1990年日本学士院会員、1993年文化功労者。1986年から1992年まで日本公法学会理事長。護憲派憲法学者団体の全国憲法研究会代表、国際人権法学会理事長等も歴任。著書『憲法』(岩波書店)は代表的な著作であり、累計100万部を超えるロングセラーとなっている。称号は東京大学名誉教授。軍在籍時の階級は陸軍少尉。
酒井 高男(さかい たかお、1921年6月28日 - 202… 酒井 高男(さかい たかお、1921年6月28日 - 2022年4月25日)は、日本の機械工学者、東北大学名誉教授。 おもちゃ工学で知られた。 長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1944年東北帝国大学工学部航空工学科卒。同特別研究生。1949年東北大学工学部機械工学科助教授、1957年東北大学工学博士。1961年工学部機械工学科教授、1985年定年退官、名誉教授、山形大学工学部教授。1996年勲三等旭日中綬章受勲。1998年東北大学機械系同窓会会長。
辰野 千寿(たつの ちとし、1920年(大正9年)5月31日… 辰野 千寿(たつの ちとし、1920年(大正9年)5月31日 - 2016年(平成28年)1月20日)は、日本の教育心理学者、筑波大学・上越教育大学名誉教授。 長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1944年東京文理科大学心理学科卒、愛知青年師範学校教授、1948年東京文理科大学助手、1955年東京教育大学助教授、1961年「学習における禁止及び促進の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得、1967年教授、1973年筑波大学副学長、1976年辞任、1978年上越教育大学学長、1990年退官、勲三等旭日中綬章受勲。応用教育研究所長、学校教育研究所理事長。
原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 -… 原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 - 2008年(平成20年)8月14日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)卒業後、応召。朝鮮半島から南方戦線に転じ、フィリピンで収容所生活を送った後、復員。昭和22年(1947年)西箕輪村役場に入り、伊那市発足後、農林課長、総務課長を経て、同45年(1970年)収入役、同53年(1978年)助役となり、同61年(1986年)伊那市長選挙に当選した。平成元年(1989年)勲四等瑞宝章受章。
横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月2… 横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月20日 - 1986年〈昭和61年〉3月8日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。旧姓は伊藤。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。旧制伊那中学(現長野県伊那北高等学校)、松本高等学校文科乙類を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒。 大河内一男にマルクス主義経済学を学ぶ。社団法人銀行調査会事務局調査課、全国金融調査会調査部調査課勤務、1946年東大経済学部助教授、1955年教授、1961年「重農主義分析」で経済学博士。1978年定年退官、名誉教授、1982年駒澤大学教授。日本科学者会議の設立に参加した。
八木 健三(やぎ けんぞう、1914年9月5日 - 2008… 八木 健三(やぎ けんぞう、1914年9月5日 - 2008年7月18日)は、日本の岩石学者。自然保護運動家。北海道大学、東北大学名誉教授。父は長野県地学会初代会長の八木貞助。 長野県長野市生まれ。旧制伊那中学、旧制八高を経て、1938年東北帝国大学理学部岩石鉱物学科卒業。同年母校助手、1951年同大学教授を経て、1962年-1978年北海道大学理学部地質学鉱物学科教授、1978年-1988年北星学園大学教授。 1949年に理学博士(東北大学)「樺太、北海道に於ける特殊なる岩漿分化現象の研究」。日本学術会議会員として発展途上国との学術交流に尽力した。
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1… 向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 長野県上伊那郡中箕輪村(後の中箕輪町、現在の箕輪町)生まれ。旧制長野県伊那中学校(現長野県伊那北高等学校)を経て、早稲田大学附属高等工学校卒業。古河電工無線研究所研究課長を退職して、1940年東京市荏原区(現品川区)に「興亜工業社」(現KOA) を設立した。1955年伊那毎日新聞設立。1963年には建設省の専門委員、1964年興亜ソリッド社長、1967年には日本経済団体連合会常任理事を歴任した。1977年コーア会長に就任。 1962年紺綬褒章受章。1962年5月長野県箕輪町教育施設費のため100万円寄付により1963年2月2日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。
戸枝 弘(とえだ ひろし、1914年 - 1992年1月25… 戸枝 弘(とえだ ひろし、1914年 - 1992年1月25日)は、昭和時代日本の詩人、歌人、作詞家。長野県出身。別名義に戸枝 ひろしや並木 ひろし、野中 ゆきみがある。 1914年(大正3年)、長野県上伊那郡南向村(現在の中川村)に生まれる。旧制伊那中学校在学中は万葉集やアララギ叢書を愛読していた。横浜専門学校を卒業、帰郷した後は会社嘱託の傍ら著述業に入り1951年(昭和26年)の歌会始で入選を果たす。 1960年(昭和35年)より、中川村から伊那市へ転居した。 1963年(昭和38年)1月、同年の歌会始で岡山県から応募のあった入選作が前年に「野中ゆきみ」名義で雑誌に掲載された短歌の盗作であると主張し、宮内庁が入選者に事情を聴いたところ応募者は盗作の嫌疑を否定したものの賞を辞退することとなった(昭和38年歌会始盗作事件)。
下島 連(しもじま むらじ、1908年5月20日 - 198… 下島 連(しもじま むらじ、1908年5月20日 - 1986年10月18日)は、日本の英文学者、翻訳家。亜細亜大学教授。芥川龍之介の主治医であった下島勲の甥(後に養子)。 長野県上伊那郡中沢村(現・駒ヶ根市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1932年、京都帝国大学文学部英文科を卒業し、同年東京帝国大学英文科大学院に入学するが、翌年中途退学。その後すぐに文芸春秋社に入社。『文芸日本』誌の編集長を経て、1955年から1967年にかけて『アメリカーナ』誌(後に『日米フォーラム』誌に改題)の編集長を務める。 1967年、亜細亜大学に非常勤講師に就任。1971年より同学教養部教授。
原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日… 原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日 - 1974年(昭和49年))は、昭和期の政治家。長野県上伊那郡西箕輪村長、伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1934年(昭和9年)東北帝国大学を卒業。東筑摩郡入山部実業公民学校教諭に就任。その後、渡満し炭鉱会社に勤めた。 1945年(昭和20年)西箕輪村嘱託となり、戦後の農地問題に取り組む。1951年(昭和26年)西箕輪村長に就任。1955年(昭和30年)合併後の伊那市議会議員となり初代議長を務めた。 1958年(昭和33年)4月、伊那市長選挙に当選し、1966年(昭和41年)4月まで2期務めた。
月野 ぽぽな(つきの ぽぽな)は、日本の俳人。本名、木川実千… 月野 ぽぽな(つきの ぽぽな)は、日本の俳人。本名、木川実千代(きがわ みちよ、旧姓日野)。アメリカ合衆国ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人(終刊まで)、「海原」同人(2018年9月より)。現代俳句協会会員。星の島句会(旧称「ニューヨーク句会」)代表。夫はピアニストの木川貴幸。 長野県に生まれる。長野県伊那北高等学校、信州大学教育学部卒業。教員を経て渡米。2004年俳句結社「海程」に入会、金子兜太に師事。2008年第43回海程新人賞受賞。2009年豆の木賞受賞、2010年「ハミング」で第28回現代俳句新人賞受賞、海外日系人協会主催の第8回海外日系文芸祭海外日系新聞放送協会会長賞受賞、2011年北米伊藤園俳句グランプリ優秀賞受賞。