スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
長沢 駿(ながさわ しゅん、1988年8月25日 - )は、… 長沢 駿(ながさわ しゅん、1988年8月25日 - )は、静岡県静岡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションはフォワード(センターフォワード)。 小学生の頃から長身フォワードとして頭角を現し選抜チーム清水FCのストライカーであった。地元の清水エスパルスジュニアユースに入団し、ジュニアユース時代にはフォワードではなくボランチとしてプレーした。ユースの2年時、Jユースサハラカップ2005で優勝し自身は得点王に輝いた。 2007年にトップ昇格するも2010年までの4年間はほとんど出場機会を得られなかった。2011年、ロアッソ熊本に期限付き移籍しリーグ戦8得点を記録。その後は2012年に京都サンガF.C.、2013年に松本山雅FCへ期限付き移籍し出場機会を積んだ。
枝本 雄一郎(えだもと ゆういちろう、1988年8月6日 -… 枝本 雄一郎(えだもと ゆういちろう、1988年8月6日 - )は、神奈川県藤沢市出身のプロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。フォワード(FW)。 小学校1年でサッカーを始め、少年団やクラブを転々とする。小学校6年の時に広山晴士と出会い、広山が監督を務めるエスポルチ藤沢へ入団、中学校3年までプレーした。中学校卒業後は静岡学園高校に進学。3年時に全国高校選手権に出場し、ベスト8まで勝ち進んだ。 近畿大学を経て、2011年にザスパ草津U-23へ入団。2年間アルバイトをしながらプレーを続けた。 2013年より、トップチームのザスパクサツ群馬へ昇格。公式戦出場はなく、シーズン終了後に1年で退団した。
國吉 貴博(くによし たかひろ、1988年5月28日 - )… 國吉 貴博(くによし たかひろ、1988年5月28日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 埼玉県川越市に生まれ、5歳の頃に栃木県黒磯市へ引っ越す。東那須野中学校を卒業後、静岡学園高校に進学。2,3年時に高円宮杯全日本ユースサッカー選手権大会ベスト16を2度経験。第85回全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選で大会史上初となるMVP、得点王、アシスト王、ベストイレブンを独占。全国大会でも初戦の佐賀東高校戦で2アシスト、3回戦の青森山田高校戦では決勝点をアシストし、チームのベスト8入りに貢献した。杉浦恭平とは、高校の同級生である。
山本 真希(やまもと まさき、1987年8月24日 - )は… 山本 真希(やまもと まさき、1987年8月24日 - )は、静岡県島田市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 ジュニアユースから清水エスパルスで育った選手。ユース在籍中の2005年に17歳7カ月13日 でトップデビューを果たした。この記録は、市川大祐の保持していた17歳9ヶ月を約2ヶ月塗り替える清水史上最年少出場記録で、J1全体でも歴代9位の記録であった(記録はいずれも当時)。 各年代の代表で10番を背負い続けており、2005 FIFAワールドユース選手権は飛び級ながら最終候補まで残った。エースとして期待された2007年のFIFA U-20ワールドカップでも2大会連続で最終候補まで残ったが、清水での出場機会が乏しく、ポジションが重なる梅崎司、田中亜土夢、柏木陽介らの台頭もあり、最終選考で外れた。
杉山 力裕(すぎやま りきひろ、1987年5月1日 - )は… 杉山 力裕(すぎやま りきひろ、1987年5月1日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 静岡に生まれ、両親の名前から1文字ずつ取って命名された。3歳の時に父親が亡くなり、以後は母親に育てられた。小学生時代は麻機サッカースポーツ少年団に所属していた。この頃の憧れの選手は地元清水エスパルス所属のシジマール・アントニオ・マルチンスで、自宅にポスターを貼っていた他、髪型までまねたと語っている。キューズフットボールクラブを経て2003年に静岡学園高等学校に入学、3年時には主将も務めた。 2005年に川崎フロンターレへ入団。入団から数年は控えとしての日々が続いていたが、2009年9月3日にナビスコカップ準決勝の横浜F・マリノス戦で正GKの川島永嗣が日本代表の遠征で不在だったこともあり公式戦デビューを果たした。
先崎 勝也(せんざき かつや、1987年4月9日 - )は、… 先崎 勝也(せんざき かつや、1987年4月9日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。ポジションは、MF、DF。
中村 友亮(なかむら ゆうすけ、1986年10月6日 - )… 中村 友亮(なかむら ゆうすけ、1986年10月6日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、現フットサル選手。サッカーでのポジションはミッドフィールダー、フットサルでのポジションはアラ。しながわシティ所属。2014年からフットサル日本代表。 154cmと小柄ではあるが瞬発力やテクニックに秀で、ドリブル突破を持ち味としている。2014-15シーズンのFリーグ登録選手中もっとも身長の低い選手である。 サッカー推薦ではなく一般入学で静岡学園高等学校に入学し、3年間親元を離れて寮生活をした。入学当初はA・B・Cと3チームある中で最下級のCチームだったが、1年冬にはAチームに昇格し、2年次には右ウイングのレギュラーとして全日本ユース選手権で準優勝し、サッカー静岡県選抜にも選出された。
加門 亮兵(かもん りょうへい、1986年9月22日 - )… 加門 亮兵(かもん りょうへい、1986年9月22日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。 代表選手も一目おく卓越した技術力と優雅さで観る者を魅了したMF。国内外での選手キャリアを活かし、育成年代の指導者として複数回リーグ戦優勝を果たすなど、育成年代の選手を成長させる力と指導力には定評がある。 地元大阪でサッカーを始め小学4年時ガンバ大阪ジュニアへ入団。その後、ガンバ大阪ジュニアユースへ昇格し才能ひしめくライバル達と共に成長。本田圭佑、家長昭博、東口順昭らとは同期で一学年下には安田理大などがいた。その後静岡学園高校を進路に選んだ。この頃から女性ファンも多く追っかけがいたという噂がある。
小林 祐三(こばやし ゆうぞう、1985年11月15日 - … 小林 祐三(こばやし ゆうぞう、1985年11月15日 - )は、東京都羽村市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。 東京都羽村市に生まれ五歳からサッカーを始める。中学時に祖父母の住む埼玉県熊谷市に転居、上里FCに入団する。そこではクラブチームの埼玉県選抜に選ばれブラジル遠征に参加した。各年代の日本代表に招集される。静岡学園高校所属の2003年には2005 FIFAワールドユース選手権オランダ大会に向けたU-18日本代表に選出され、アジア1次予選、2004年アジア最終予選、そして2005年ワールドユース本大会にレギュラーとして出場する。本大会では本田圭佑とボランチを組むこともあった。
飯塚 渉(いいづか わたる、1985年7月31日 - )は、… 飯塚 渉(いいづか わたる、1985年7月31日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
松下幸平(まつした こうへい、1985年7月24日 - )は… 松下幸平(まつした こうへい、1985年7月24日 - )は、石川県松任市(現白山市)出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左SB)。
山本 海人(やまもと かいと、1985年7月10日 - )は… 山本 海人(やまもと かいと、1985年7月10日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身の元サッカー選手。ポジションはGK。元日本代表。 清水エスパルスのアカデミー出身。2004年に清水のトップチームに昇格し、入団後の4年間はリーグ戦出場は1試合のみであったが、2008年7月20日に行われたJ1第18節新潟戦(東北電力ビッグスワンスタジアム)において、正GKの西部洋平が負傷したことに伴い先発出場し、完封勝利に貢献した。この後は正GKとしてシーズン終了まで起用され、苦戦が続いた2008年シーズン前半戦とはうってかわり、後半戦のみで勝点首位となったクラブの躍進に貢献した。ただし、オフには左ひざ半月板の内視鏡手術を受けた。
横山 拓也(よこやま たくや、1985年6月29日 - )は… 横山 拓也(よこやま たくや、1985年6月29日 - )は、静岡県出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 浦和レッズ入団当時から、得点能力の高いFWとして期待され、デビュー戦でアシスト、海外遠征のボカ・ジュニアーズ戦でゴールを決めるなど、チームの期待は高かった。2005年こそそこそこ出場機会があったものの、2006年になるとまったく試合に出られず、モンテディオ山形へレンタル移籍を決断する。 山形では、チームトップタイの8ゴールをあげたが、それ以上に警告14(チームトップ、J2リーグ2位タイ)がネックとなり、12月早々に山形からレンタル移籍満了が言い渡され、さらに浦和・中村修三GM(当時)からも「横山は浦和に戻らない」と明言されてしまう。
杉山 浩太(すぎやま こうた、1985年1月24日 - )は… 杉山 浩太(すぎやま こうた、1985年1月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 清水のジュニアユース出身。2003年にトップチーム昇格。早くから才能を評価される一方で、持病の気管支炎に苦しむ。 2008年から2シーズンの間、柏へ期限付き移籍。同年より食事療法に取り組んだことで喘息の症状が改善。2009年は開幕前のちばぎんカップでMVPを獲得。大谷秀和の離脱もあり、先発出場した試合ではゲームキャプテンを任されることもあった。 2010年から清水に復帰するが、2月の鹿児島キャンプで右膝半月板を負傷。手術とリハビリでシーズンの大半を欠場した。2011年は11月16日の天皇杯3回戦で清水復帰後初ゴールを挙げた。
安藤 淳(あんどう じゅん、1984年10月8日 - )は、… 安藤 淳(あんどう じゅん、1984年10月8日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF、MF。 関西大学在籍時の2006年、京都パープルサンガの特別指定選手となる。2007年に京都に入団。元々はボランチを務めていたが、大木武が監督に就任した2011年からは中盤に加えてセンターバックやサイドバックまでこなすユーティリティープレイヤーとして開花した。2013年より主将に抜擢される。 2014年よりセレッソ大阪に完全移籍。しかし出場機会が少なく、2015年6月に松本山雅FCへの完全移籍が発表された。2017年シーズン末、松本山雅FCより契約期間の満了が発表。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した 2018年、愛媛FCへ完全移籍。
谷澤 達也(やざわ たつや、1984年10月3日 - )は、… 谷澤 達也(やざわ たつや、1984年10月3日 - )は、静岡県志太郡大井川町(現・焼津市)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 元々野球好きであったが、親の負担を考え、3歳年上の兄を追って小学4年生からサッカーを始めた。中学時代はEWS・FCに所属し、同学年の成岡翔とともに、1年生から主力として活躍した。2000年に静岡学園高校へ進学。2、3年次に全国高校サッカー選手権に出場し、2年次にはベスト16へ進出。高校の1学年上には永田充、同学年には安藤淳、1学年下には、小林祐三、松下幸平、横山拓也、2学年下には狩野健太で、谷澤が背負った背番号10は狩野へと引き継がれた。 2003年に高校を卒業し、Jリーグ・柏レイソルへ入団。
山本 朝陽(やまもと あさひ、1983年11月8日 - )は… 山本 朝陽(やまもと あさひ、1983年11月8日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 大学卒業後アルテ高崎に入団するが、レギュラーに定着できず退団。2008年にはシンガポールのチームのトライアウトを受けている。 2009年1月に香港四海流浪のトライアウトに合格、2月2日のリーグ戦対愉園戦に出場した。2008-09シーズン終了後同じく香港1部リーグの晨曦に移籍した。
永田 充(ながた みつる、1983年4月6日 - )は元プロ… 永田 充(ながた みつる、1983年4月6日 - )は元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。元日本代表。 静岡県清水市(現:静岡市)出身。静岡学園高校では3年時に第80回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。 2002年に柏レイソルとプロ契約。2年目の2003年からセンターバックのレギュラーに定着し、2003 FIFAワールドユース選手権にU-20日本代表のメンバーとして参加。その後、20歳にしてA代表に初選出された(出場はなし)。 2005年3月19日のナビスコ杯、対FC東京戦において、相手FWのルーカスとの接触により負傷。左膝前十字靭帯断裂で全治8ヶ月の重傷を負い、シーズンの大半を棒に振った。
櫻田 和樹(さくらだ かずき、1982年8月1日 - )は、… 櫻田 和樹(さくらだ かずき、1982年8月1日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 2005年に静岡産業大学からザスパ草津に加入。シーズン当初はサテライト暮らしが続いたが、シーズン終盤にトップに昇格し、その後レギュラーとして、7試合に出場する。 2006年シーズンはケガで出遅れるものの、16節のヴィッセル神戸戦でアクシデントにより急遽出場すると、ボランチとしてゲームを作るだけではなく、セットプレーでの危機を防ぐなど活躍し、勝利に貢献する(後に、櫻田は「自分が出た試合で勝ったことがなかったので、勝ててホッとした」と語っている)。シーズン通して14試合に出場し、1アシストを残す。
納谷 伊織(なや いおり、1982年7月11日 - )は、静… 納谷 伊織(なや いおり、1982年7月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはMF。 三浦知良、三浦泰年のいとことして知られる。 父が代表を務める静岡城内FCでサッカーを始め、静岡学園高等学校、国士舘大学へと進学した。 卒業後はいとこの三浦知良に倣って渡伯し、キンゼ・ジ・ジャウーでサッカーを始めた後、数クラブを転々とした。 2007年にはJ1リーグに昇格した横浜FCのトライアルに参加するも契約はならなかった。翌年に日本フットボールリーグ所属のFC琉球に加入した。 2009年に静岡FCに移籍するも、同年限りでクラブが合併のために消滅した。 翌2010年に香港プレミアリーグの大中足球会に加入した。
菅原 太郎(すがはら たろう、1981年6月14日 - )は… 菅原 太郎(すがはら たろう、1981年6月14日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。JFA A級ジェネラルライセンス所持。 静岡学園高校卒業後、同校サッカー部監督井田勝通の勧めによりブラジルのミラソウFCに入団。翌年複数クラブの誘いから柏レイソルに入団。 2014年に引退し、2015年にブラウブリッツ秋田のアシスタントコーチに就任。 2018年7月、ブラウブリッツ秋田との契約が解除された。 2019年、奈良クラブのコーチに就任。 2020年、J.FC MIYAZAKIの監督に就任した。 2024年シーズンよりY.S.C.C.横浜のヘッドコーチ就任を発表。
渡辺 誠(わたなべ まこと、1980年9月25日 - )は、… 渡辺 誠(わたなべ まこと、1980年9月25日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
小池 良平(こいけ りょうへい、1980年8月24日 - )… 小池 良平(こいけ りょうへい、1980年8月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高校を卒業後、1999年にJ2リーグの大分トリニータに入団。5月22日のサガン鳥栖戦で途中出場でデビューした。しかし、その後は出場機会が無く、2000年のシーズン終了後に退団した。
和田 雄三(わだ ゆうぞう、1980年5月2日 - )は、静… 和田 雄三(わだ ゆうぞう、1980年5月2日 - )は、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手である。現役時代のポジションは左サイドのミッドフィールダー、ディフェンダー。静岡学園高等学校出身。現在は清水エスパルスのサッカー指導者である。 清水エスパルスユース在籍中の1998年に第2種登録選手として1998年5月16日ナビスコカップ・コンサドーレ札幌戦でトップデビューを果たし、この年のリーグ戦で13試合に出場した。ユースの同期には市川大祐、平松康平、谷川烈がいる。 清水で試合出場がなくなり、2000年にJ2・大分トリニータに期限付き移籍、2001年に完全移籍した。現役最後となった2003年シーズンは期限付き移籍でヴァンフォーレ甲府でプレーした。
大石 鉄也(おおいし てつや、1979年11月26日 - )… 大石 鉄也(おおいし てつや、1979年11月26日 - )は静岡県出身の元プロサッカー選手。 静岡学園高校から1998年に川崎フロンターレに加入。川崎が提携していたブラジルのグレミオへの留学を加入1年目に経験した。2002年、期限付き移籍でヴァンフォーレ甲府に加わり、同年のJ2リーグ戦で29試合に出場した。期限付き移籍期間を延長して2003年も甲府に在籍。2004年に川崎に復帰したが、公式戦出場のないまま同シーズン限りで契約満了となった。 現役引退後はコナミスポーツクラブに入社し、スポーツ施設の運営とサッカー指導に携わる。 2017年に右肘をトミージョン手術をした経験を持つ。
南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神… 南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神奈川県川崎市生まれ、東京都杉並区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 中学時代は読売ジュニアユースに所属、高校は静岡学園高校に進み1995年度の全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献した。1997年にはまだ高校生ながらU-20日本代表に選出、ワールドユースでも正GKとして活躍し、将来を大いに期待された。 1998年、柏レイソルに加入。すぐさま土肥洋一から定位置を奪うと、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出された。1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに2大会連続で出場。
坂本 紘司(さかもと こうじ、1978年12月3日 - )は… 坂本 紘司(さかもと こうじ、1978年12月3日 - )は日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 静岡学園高校三年生の秋、高校選手権静岡予選で挙げた13得点の記録は未だに破られていない。全国大会では準決勝まで進むが、中村俊輔がいた桐光学園にPK戦の末敗れた。大会後の日本高校選抜では北嶋秀朗と2トップを組んだ。セゾンFC・静岡学園高の同期に倉貫一毅がいる。 高校卒業後はジュビロ磐田に入団したが、出場機会に恵まれないまま2000年に湘南ベルマーレに移籍した。 元々はフォワードの選手であり、湘南移籍後もオフェンシブなポジションで出場していたが、2006年よりボランチで出場するようになり、2007年は前年に主将として出場していた佐藤悠介が東京ヴェルディ1969に移籍したこともあり、ボランチに固定されることとなった。
倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )… 倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 滋賀県大津市立南郷中学校卒業。中学時代は父である岩谷篤人(のち野洲高校コーチ、現セゾンFC総監督)が当時監督を務めていた地元の強豪クラブ・セゾンFCでプレーし、「『監督の息子やから試合に出てる』と思われたくない」と練習に打ち込んだ。静岡学園高校卒業後、1997年にジュビロ磐田へ入団したが、磐田在籍中の公式戦の出場は無かった。 坂本紘司とは、セゾン、静学、磐田でのチームメイトであり、現在でも親交は厚い。試合後には「紘司には顔では負けるがプレーで勝ちたい」とコメントしている(2007年第2ターム対戦にて)。
山崎 哲也(やまざき てつや、1978年7月25日 - )は… 山崎 哲也(やまざき てつや、1978年7月25日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー指導者・元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 実兄は東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍していた元プロ野球選手の山崎隆広。 静岡学園高校から1997年にモンテディオ山形に加入。1999年に大分トリニータに移籍し、契約満了となる2004年まで6年に渡ってプレー。2005年からはセレッソ大阪に移籍したが、3年目の2007年は公式戦出場無しに終わり、シーズン終了後に契約満了によりC大阪を退団した。 2008年、古巣・大分に4年振りに復帰。翌2009年は当初は選手としての契約更新がされていたが、同年1月31日に本人の希望により現役を引退し、大分のアシスタントコーチに就任。
岡本 三代(おかもと みよ、1978年7月1日 - )は、高… 岡本 三代(おかもと みよ、1978年7月1日 - )は、高知県高知市出身の元女子サッカー選手・指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。静岡学園高等学校卒業。現在はサッカータイ王国女子代表とU-20サッカータイ王国女子代表の監督を兼任。 中学校在学中に鈴与清水FCラブリーレディースよりスカウトされ、1994年に入団。1995年度よりレギュラーとして試合に出るようになったが、1998年度シーズン終了後、所属する鈴与清水がL・リーグより脱退、退団して地元である高知県に戻り、県内の女子サッカークラブであるベーネグルッポでプレーした。 2001年に岡山湯郷Belleに入団。翌2002年に中国女子サッカー選手権優勝と第24回全日本女子サッカー選手権大会を経験した。
内藤 修弘(ないとう のぶひろ、1978年5月25日 - )… 内藤 修弘(ないとう のぶひろ、1978年5月25日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高校を卒業後、1997年にJリーグの清水エスパルスに入団。3月26日、Jリーグカップ・ジェフユナイテッド市原戦でデビューした。しかし、その後は出場機会が無く、1999年のシーズン終了後に退団した。
飯塚 浩記(いいづか ひろき、1978年4月4日 - )は、… 飯塚 浩記(いいづか ひろき、1978年4月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 高校時代は静岡学園高校でプレーし、2年次の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では優勝(鹿児島実業高校との両校優勝)した。高校を卒業した1997年に、同級生の山崎哲也と共に、ジャパンフットボールリーグのモンテディオ山形に加入。クラブは、1997年に5位、1998年に3位の成績を残し、1999年に新しくできたJリーグ・ディビジョン2に加盟。飯塚は1999年にJ2で5試合に出場し、1999年の終わりに引退した。
塩川 岳人(しおかわ たけと、1977年12月17日 - )… 塩川 岳人(しおかわ たけと、1977年12月17日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(両サイド)。 両サイドのMFをこなす選手であるが、元々はFWの選手であり、大分トリニータ時代はFWとして出場していた。さらに、チームによってはDFとしての起用もあるが、スピードを生かしたサイド攻撃を期待されるプレースタイルは変わりがない。横浜では試合出場数は少なかったが、シーズン中の徳島移籍までの2シーズンで選手会長を務めた。 また、山形で初めてプロ選手として指導を受けた石崎信弘とは同時に大分に移籍した。その後、塩川は石崎を離れて川崎に移籍したが、2001年途中には石崎が川崎監督に就任し、合計で7シーズンにわたって石崎の下でプレーしている。
深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )… 深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手。 静岡学園高等学校卒業。1996年に横浜マリノス(1998年から横浜F・マリノス)に入団。その年の8月からJリーグ海外留学制度の適用を受けてアルゼンチンのCAリーベル・プレートで1年間技術研修を受け、1997年6月に横浜Mへ復帰。その後1999年1月から半年、スペインのテネリフェに留学した後、三たび横浜F・マリノスに復帰するが、横浜FMではスタメンに定着できず、リーグ戦は13試合出場3ゴールに留まる。 2000年6月よりアルビレックス新潟に期限付き移籍で加入し、翌年も期間を延長し、2002年より完全移籍。
森川 拓巳(もりかわ たくみ、1977年7月11日 - )は… 森川 拓巳(もりかわ たくみ、1977年7月11日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 静岡学園高等学校時代からDFとしてサッカーを続け、同高校3年時に出場した1995年度の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、同学年の石井俊也や2学年下の南雄太とともに活躍し、準決勝では東福岡高等学校にPK戦で勝利し、決勝では鹿児島実業と引き分けて両校優勝に輝いた。 1996年、高校卒業と同時にJリーグの柏レイソルに入団。同年にリーグ戦初出場を記録し、公式戦出場がなかった2年目の1997年にはシーズンオフにブラジルへの3ヵ月留学へ派遣 されるなど、若手DFとしてクラブから期待され、翌1998年にはリーグ戦の半数以上に当たる20試合に出場するまでの成長を見せた。
桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、… 桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 1995年の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、南雄太、石井俊也、塩川岳人、森川拓巳らと共に全国優勝を果たした。 卒業後横浜フリューゲルスに入団。程なくアルゼンチンのクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタにサッカー留学を行った。帰国した翌年の1999年元日の天皇杯優勝を最後にチームは消滅。1999年はコンサドーレ札幌と契約したが、旧フリューゲルス選手の中では契約先が最後に決まった選手である。 現在は㈱ラベッタの代表として、サッカースクールの運営・コーチ・全国各地で行われるサッカークリニックなどサッカーの普及活動を行っている。
久保山 由清(くぼやま よしきよ、1976年7月21日 - … 久保山 由清(くぼやま よしきよ、1976年7月21日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 横浜フリューゲルス入団当初はトップ下として活躍。ジーニョが出場停止時に背番号10を背負うなど、クラブから期待された選手であった。 後にFWとして起用され、頭角を現し始めた1998年にクラブが消滅するという決定が下される。横浜Fの最後の試合となった天皇杯決勝清水エスパルス戦で持ち前の反転の速さを生かし芸術的なターンで戸田和幸を翻弄しゴールを決めている。 クラブ消滅に伴い、1999年に清水エスパルスに移籍。チーム最多の年間12得点を挙げ2ndステージ優勝に大きく貢献。
向島 満(むこうじま みつる、1976年5月5日 - )は、… 向島 満(むこうじま みつる、1976年5月5日 - )は、静岡県藤枝市出身のサッカー選手でポジションはDF。元清水エスパルスの向島建は従兄弟。 1995年に名古屋グランパスエイトに入団。1998年に本田技研に移籍。2006シーズンをもって引退となった。現役引退後は最終所属クラブであった本田技研工業で社業に勤めている。
栗田 泰次郎(くりた たいじろう、旧姓:石黒、1975年3月… 栗田 泰次郎(くりた たいじろう、旧姓:石黒、1975年3月3日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手である。ポジションはMF。 1993年に静岡学園高から鹿島アントラーズに入団。その後、京都パープルサンガ、コンサドーレ札幌、清水エスパルス、横浜FCを経て2002年に水戸ホーリーホックに加入。 水戸では主にボランチの選手として活躍したが、2005年に戦力外通告を受けた。一度は引退を表明するものの、現役続行を希望し、2006年からFC琉球でプレーすることとなった。3シーズンプレーしたの後、2008年をもって引退した。
松山 大地(まつやま だいち、1974年1月11日 - )は… 松山 大地(まつやま だいち、1974年1月11日 - )は、北海道出身の元サッカー選手(ミッドフィールダー)である。
増田 忠俊(ますだ ただとし、1973年12月25日 - )… 増田 忠俊(ますだ ただとし、1973年12月25日 - )は、静岡県庵原郡蒲原町(現 静岡市清水区蒲原)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。PRISM所属。 1992年に静岡学園高校から創立直後の鹿島アントラーズに加入。1994年からトップチームで出場するようになり、ドリブルや二列目からの飛び出し等、チャンスメーカーとして活躍。多くのタイトル獲得に貢献した。また1998年には日本代表に選出され、2月19日のオーストラリア戦で代表デビューを飾った。また3月4日のダイナスティカップの香港選抜戦に出場、前半40分に得点を決めている(相手が選抜チームのため、国際Aマッチ得点とは認められず)。
今藤 幸治(こんどう こうじ、1972年4月28日 - 20… 今藤 幸治(こんどう こうじ、1972年4月28日 - 2003年4月17日)は、愛知県刈谷市出身のサッカー選手。ポジションはDF、ミッドフィールダー。元日本代表。 刈谷市出身であり、刈谷市立依佐美中学校を卒業。静岡学園高校から1991年に松下電器産業サッカー部に入部。その後ガンバ大阪の選手として活躍し、背番号固定制になる前年の1996年にはJでただ一人、当時GKしか付けることのできなかった1を除き、スタメンのフィールドプレーヤーが付けることが可能であった全ての背番号2〜11を付けたことがある。ファルカン監督時代にはガンバの選手としては初の日本代表にも選出され、1994年の5月22日のオーストラリア戦でガンバ所属の選手として初めて日本代表に出場した。
鈴井 智彦(すずい ともひこ、1972年1月6日 - )は、… 鈴井 智彦(すずい ともひこ、1972年1月6日 - )は、愛知県刈谷市出身のサッカー指導者。JFA 公認A級コーチ。 サッカー名門校の東海大学で選手としてプレー。現役時代はフォワードやサイドバックなどのポジションを経験し、大学では田坂和昭と同期だった。大学卒業後はサッカー専門誌のサッカーダイジェストに編集部員として採用され、金子達仁や戸塚啓の指導を受けた。1996年にサッカーダイジェストを辞め、フォトグラファーを目指してスペイン・バルセロナに渡る。当時はカメラに関しては素人で独学で勉強した。ただしお世話になった人にも迷惑をかけ、逃げるようにバルセロナを去る。2008年まで現地に滞在しフォトグラファーのほかスポーツライターとしても活動、Numberやプレイボーイに寄稿した。
広山 晴士(ひろやま はるお、1971年6月16日 - )は… 広山 晴士(ひろやま はるお、1971年6月16日 - )は、日本の元サッカー選手、フットサル選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 愛知県の刈谷81FCの出身で、静岡学園高校では加藤正浩と同期。高校卒業後、ジヤトコサッカー部を経て、1991年に日本サッカーリーグ2部の読売ジュニオールに加入。同年8月18日に行われたJSLカップ1回戦のトヨタ自動車戦で公式戦デビュー。 1992年、読売ジュニオールが日本プロサッカーリーグのヴェルディ川崎のサテライトチームとして再編されたことに伴い、同クラブに加入。トップチームでの出場機会はなく、1993年限りで退団した。 その後はフットサル選手に転向すると、AZULやP.S.T.C LONDRINAなどでプレーし、日本のフットサル界の草分けのひとりとなった。
水崎 靖(みずさき やすし、1971年6月13日 - )は、… 水崎 靖(みずさき やすし、1971年6月13日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高校では広山晴士、加藤正浩、川口良輔と同期。近畿大学を経て、1994年にセレッソ大阪に加入。1995年4月8日に行われたサントリーシリーズ第7節、浦和レッドダイヤモンズ戦でJリーグデビューを果たした。3シーズンプレーした後、1997年に現役を引退した。 引退後は鍼灸師と柔道整復師の国家資格を取得し癒心堂治療院を経営している。また、シニア年代のニコルスFCシニアの選手としてプレーをしている。
川口良輔(かわぐち りょうすけ、1971年5月8日 - )は… 川口良輔(かわぐち りょうすけ、1971年5月8日 - )は元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡学園高等学校に入学。高校卒業後、大阪商業大学に進学した。 1994年 Jリーグ・ジュビロ磐田に入団。1995年、チームを退団。 1996年、富士通(現 川崎フロンターレ)に入団。 現役引退後、川崎フロンターレでアカデミーコーチ、トップチームコーチ、スカウト担当などをしている。
加藤 正浩(かとう まさひろ、1971年4月2日 - )は、… 加藤 正浩(かとう まさひろ、1971年4月2日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 愛知県高浜市にある高浜フットボールクラブ出身。当時から全国屈指のストライカーと言われていた。静岡学園高校では広山晴士、水崎靖、川口良輔と同期。卒業後の1990年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部に加入。1991年1月27日に行われたJSL1部第8節のヤマハ発動機戦でリーグデビューを果たした。JSL1部での通算成績はこの1試合のみとなった。 1992年、プロ化により横浜マリノスへの移行後もクラブに在籍し、「個人技はマリノスでもトップクラス」との評価もあったが、トップチームでの出場機会はなく、1994年限りで退団した。
津野 健次(つの けんじ、1970年8月11日 - )は、静… 津野 健次(つの けんじ、1970年8月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF、DF。
鈴木 正治(すずき まさはる、1970年8月3日 - )は、… 鈴木 正治(すずき まさはる、1970年8月3日 - )は、静岡県焼津市出身の元サッカー選手。ポジションはDF(左サイドバック)。シュートJr.ユース代表・監督。 1989年に静岡学園高を卒業後、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部。初年度から出場機会を掴み、静学仕込みの技巧的なドリブルと抜群のボールコントロールで、左サイドのスペシャリストとして活躍した。 1991年には同僚の永山邦夫と共にU-23日本代表に選出され、バルセロナ五輪アジア予選等に出場した。 1995年は、マリノスのJリーグチャンピオンシップ制覇に大きく貢献し、ベストイレブンにも選ばれた。同年日本代表に選出され、2試合に出場している。
北村 邦夫(きたむら くにお、1968年8月4日 - )は、… 北村 邦夫(きたむら くにお、1968年8月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 1968年8月4日静岡県生まれ。静岡学園高校卒業後、本田技研工業フットボールクラブ、ガンバ大阪で活躍。1994年から1995年にかけてガンバ大阪でディフェンダーおよびミッドフィールダーとして出場した。1996年シーズンは出場機会がなく、同年に引退。 1989年に北村はオランダで開催されたフットサル世界選手権にフットサル日本代表として選出された。