スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石津 佳晃(いしづ よしあき、1998年11月13日 - )… 石津 佳晃(いしづ よしあき、1998年11月13日 - )は、日本の元陸上競技選手。静岡県浜松市出身。創価大学文学部人間学科卒業。 浜松市立三方原中学校、浜松日体高等学校、創価大学出身。 1年時と2年時は箱根駅伝予選会で敗退し、本戦に出場することは出来なかった。 3年時は予選会を5位で突破し、3年ぶりに本戦出場を決めた。本戦の第96回箱根駅伝では9区を担当。10位とは7秒差の11位で襷を受け取り区間6位の走りを見せたが、10位を走る選手が区間2位で走ったため55秒差に広げられ、シード権が厳しくなってしまった。しかし、10区の嶋津雄大が区間新記録の快走で2校を抜き去り、総合9位で大学史上初のシード権を獲得した。
池田 向希(いけだ こうき、1998年5月3日 - )は、日… 池田 向希(いけだ こうき、1998年5月3日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は競歩。旭化成所属。 静岡県浜松市生まれ。浜松市立積志中学校、浜松日体高等学校、東洋大学経済学部経済学科卒業。大学入学後、陸上部にマネージャー兼務で入部した。 ファッションモデルの池田美優は、再従妹である。 2020年3月15日に行われた東京五輪代表最終選考会兼全日本競歩能美大会で優勝し、20キロの東京五輪代表に内定した。 2021年度より大学の同期で50km競歩で内定している川野将虎とともに旭化成へ入社した。2020年東京オリンピックの陸上競技・男子20km競歩で銀メダルを獲得した。 2022年7月15日、世界陸上男子20キロ競歩で銀メダルを獲得。
太田 智樹(おおた ともき、1997年10月17日 - )は… 太田 智樹(おおた ともき、1997年10月17日 - )は、静岡県浜松市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。浜松日体高等学校、早稲田大学卒業。トヨタ自動車陸上長距離部所属。ハーフマラソン日本記録保持者。なお、ヤクルト陸上競技部の太田直希(浜松日体高校→早稲田大学出身)は2学年下の弟である。 浜名中学校入学時から陸上を始め、3年次に第39回全日本中学校陸上競技選手権大会で3000m優勝し、第43回ジュニアオリンピック陸上競技大会でも3000mで大会新記録を樹立して優勝し、男子の最優秀選手に選ばれた。全国都道府県対抗男子駅伝でも2区区間2位と好走した。 早稲田大学在学中は4年連続で箱根駅伝に4年連続で出走し、2年生から4年生まで3年連続で各校のエースが集まる花の2区を出走した。
竹本 章人(たけもと あきと、1994年6月30日 - )は… 竹本 章人(たけもと あきと、1994年6月30日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。 浜松日体高等学校から単身渡西。その後スペイン5部、そして2015年に、当時セグンダ・ディビシオンB(スペイン2部B)だったCDグアダラハラに移籍し、プロカテゴリーまで昇り詰めた。その当時のチームメイトにはパルマに所属していたFernando Marquésや、当時1部のグラナダから移籍してきたイバン・サンチェス・リコ・ソトがいた。その後モンテネグロの2部のFKイバルに加入し、チームをプレーオフ進出に導いた。 翌年同リーグ2部のFKイガロ1929から獲得オファーを受け、移籍。その年のリーグ戦の成績は振るわなかったが、カップ戦準優勝という成績を残し、ヨーロッパリーグまであと少しのところだった。
柳家 緑助(やなぎや ろくすけ、1994年5月10日 - )… 柳家 緑助(やなぎや ろくすけ、1994年5月10日 - )は、落語協会に所属する落語家。本名∶大庭 広祐。 2013年3月16日、柳家花緑に入門。2015年1月21日に前座となる、前座名は「緑助」。 2018年11月1日に橘家文吾、金原亭小駒と共に二ツ目昇進。 登龍亭獅篭の実家の隣家の理髪店の幼なじみだった娘の子どもが緑助である。 同じく落語家の瀧川鯉昇の実家は緑助の母親の実家の近所である。 中学、高校時代に陸上部に所属していた。 ラジオが好きで特にくりぃむしちゅーのファンである。好きが高じて福袋演芸場の破壊落語では自作の「上田根問」を口演したほどである。
木村 慎 (きむら しん、1994年2月8日 - ) は、静… 木村 慎 (きむら しん、1994年2月8日 - ) は、静岡県出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。浜松日体高等学校、明治大学商学部卒業。Honda陸上競技部所属。 浜松日体高校時代は全国高校駅伝に3年連続出場を果たす。 明治大学競走部では同期の横手健(現:富士通陸上競技部)とともに主力選手として活躍。4年時には横手が主将を務め、木村は横手がケガで戦線を離れている際にチームを引っ張るなどWエースとしてチームを支えた。大学三大駅伝には4年間で通算9回出走し、すべて区間一桁順位を記録した。2年時の第45回全日本大学駅伝では7区で区間賞を獲得。3年時の熊日30キロロードレースでは優勝を果たすなどロードレースを得意とした。
内山 絵里加(うちやま えりか、1988年11月29日 - … 内山 絵里加(うちやま えりか、1988年11月29日 - )は静岡放送(SBS)のアナウンサー。
村松 崇継(むらまつ たかつぐ、1978年7月2日 - )は… 村松 崇継(むらまつ たかつぐ、1978年7月2日 - )は、日本の作曲家である。静岡県浜松市出身。国立音楽大学作曲学科卒業。静岡県浜松市やらまいか大使。中学・高校 音楽教諭免許。温泉ソムリエ。 作曲家として映画・テレビドラマの音楽やテーマパーク、CM、舞台・ミュージカルの音楽を数多く手がけ、様々なジャンルのアーティストへ楽曲を提供して音楽プロデューサーとして活動する一方で、自らもピアニストとしてソロアルバムを発表、コンサート・ライブ等でオリジナル楽曲を中心とした演奏活動を行う。 浜松日体高等学校在学中にピアノソロアルバム『窓』でミディよりデビュー。国立音楽大学作曲学科在学中にはセカンド・アルバム『東京』をリリースし、映画『狗神』で初めて映画音楽を担当。
佐藤 政樹(さとう まさき、本名:佐藤晃仁、1975年9月2… 佐藤 政樹(さとう まさき、本名:佐藤晃仁、1975年9月26日-)は、日本の実業家。『劇団四季』出身で『気象予報士』という異色の経歴を持つ人材育成トレーナーとして講演を行うほか、講師として活動する。 1975年生まれ。静岡県浜松市出身。少年時代はサッカーに熱中。浜松日体高校卒。1998年明治大学理工学部卒。 大学を卒業したものの、就職活動で全く内定が取れず、フリーターに。人材派遣業の営業職をアルバイトで見つけるが、戦力外通告を受け以降は引きこもる。しかし、アルバイトで知り合った男性が海で溺死する事故があり、葬儀に出席した際に棺桶の中の男性の顔を見た瞬間、人生1回きりであることを痛感し「変わらなきゃダメだな」と感じた。
渡辺 広明(わたなべ ひろあき、1967年4月24日 - )… 渡辺 広明(わたなべ ひろあき、1967年4月24日 - )は、消費経済アナリスト、マーケティングアナリスト、流通アナリスト、コンビニ評論家、コンビニジャーナリスト。事務所は株式会社やらまいかマーケティング所属。静岡県浜松市の親善大使『やらまいか大使』。やらまいかマーケティング 代表取締役社長。元『TBCグループ株式会社』商品企画事業部チーフマーチャンダイザー。身長166cm、血液型はB型。静岡県浜松市出身。東洋大学法学部経営法学科卒業。 静岡県浜松市生まれ。過去にコンビニバイヤーとして730品の商品開発を行った経験をもとに『FNN Live News α』『ホンマでっか!?TV 』のコメンテーターとして出演中。
マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・… マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・劇作家・脚本家・演出家である。劇団M.O.Pを主宰するとともに、オフィス・マキノに所属している。本名は牧野 望。 静岡県浜松市出身[リンク切れ]。浜松日体高等学校、同志社大学文学部卒業。 1984年、劇団M.O.Pを結成。同年つかこうへい作『熱海殺人事件』公演で旗揚げ。以後、役者として舞台に立つ傍ら演出もこなしている。近年は脚本家としての活動が多く、外部の舞台へも作・演出と幅広く活動する。 2002年後期のNHK連続テレビ小説『まんてん』の脚本を担当したことで広くその名を知られるようになった。 妻は劇団M.O.P.に所属した女優のキムラ緑子。
河嶋 功一(かわしま こういち、1958年〈昭和33年〉5月… 河嶋 功一(かわしま こういち、1958年〈昭和33年〉5月5日 - )は、静岡県浜松市出身の特定失踪者 。1982年(昭和57年)3月、神奈川県横浜市金沢区洲崎町にて失踪した。失踪当時は23歳。2009年北朝鮮ミサイル発射実験(2009年4月5日)直後、朝鮮中央通信が、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正日労働党総書記が科学者たち約40人と写った1枚の集合写真を配信し、朝鮮労働党機関紙『労働新聞』がこれを掲載した。この写真の科学者たちのなかに1982年に失踪した日本人、河嶋功一によく似た人物が写っていた。 河嶋功一は、小中学生の頃野球が得意で、浜松日体高等学校に進んだ。高校卒業後は1年浪人して関東学院大学工学部機械工学科に入学した。
皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 20… 皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 2022年12月19日)は、静岡県浜松市出身のプロ野球選手(投手)。 父は元プロ野球選手の皆川定之。 浜松日体高卒業後は1966年に中央大学へ進学したが、1勝も出来ず、1年下のエース・杉田久雄の影に隠れていた。大学同期に萩原康弘、長井繁夫、末永正昭がいる。 大学卒業後の1970年に富士重工業へ入社し、素質が開花。同年は産別対抗で活躍すると、都市対抗には日立製作所の補強選手として出場し、東海理化との1回戦でリリーフ登板。中央球界では全くの無名であったが、ドラフト5位で東映フライヤーズへ入団し、富士重工出身初のプロ野球選手となる。 1971年には、4月11日、開幕3戦目の西鉄戦(平和台)で初登板初勝利を飾る。