スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田中 貴章(たなか たかあき、1990年3月15日 - )は… 田中 貴章(たなか たかあき、1990年3月15日 - )は、日本の元陸上競技選手。三重県津市出身。東洋大学経済学部卒業。 津市立西郊中学校、三重県立稲生高等学校、東洋大学出身。 2年時の第86回箱根駅伝では7区を担当。先頭で襷を受け取ると区間賞の走りで後続を突き放し、2年連続の総合優勝に貢献した。 3年時の第87回箱根駅伝では9区を担当。区間賞の走りで、トップを走る早稲田大学との差を57秒から40秒に縮めた。東洋大学は10区でも差を詰めたが、21秒届かず3連覇を逃した。1位と2位の差が21秒であるのは、第47回大会の23秒差を40年ぶりに更新する史上最少差だった。 4年時の第88回箱根駅伝では2年連続で9区を走ったが、区間6位にとどまった。
谷元 圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日 - )… 谷元 圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 三重県立稲生高等学校の1年時までは内野手だったが、肩の強さを買われて投手に転向。二番手投手ではあったが制球がよく、信頼される人物であった。スパイクやグローブなど大切に磨き、人一倍情熱を費やしていた。中部大学への進学後は、愛知大学野球のリーグ戦で、通算12勝20敗という成績を残した。3年時の2005年秋季リーグでは敢闘賞、4年時の2006年には春・秋季ともベストナインに選出。しかし、投手としては身長が低い(160cm台後半)ことが災いして、社会人野球の有力チームからは勧誘されなかった。
大谷 政弘(おおたに まさひろ、1980年10月21日 - … 大谷 政弘(おおたに まさひろ、1980年10月21日 - )は、日本のアームレスリング選手、タレントである。 三重県鈴鹿市出身。三重県立稲生高等学校卒業。妹は女優、タレントの大谷みつほ。 20歳位の時から知人の勧めでアームレスリング道場に顔を出すようになる。 22歳の時、当時最年少で日本アームレスリング連盟(JAWA)で-55kg級ライトハンドの全日本チャンピオンになる。 その後、2003年にロシア連邦ウラジーミル州スーズダリで開催された世界アームレスリング選手権に出場し、結果こそ6位だったが世界のトップ選手と互角に渡り合う場面も多々あった。 お笑い芸人営業に付き添いアームレスリングチャレンジコーナーにチャンピオンとして登場するアルバイトもしていた。
石川 末廣(いしかわ すえひろ、1979年9月27日 - )… 石川 末廣(いしかわ すえひろ、1979年9月27日 - )は、三重県鈴鹿市出身の日本の陸上競技・元選手、現コーチ(指導者)。専門は長距離走・マラソン。2016年リオデジャネイロオリンピック・男子マラソン日本代表。 鈴鹿市立合川小学校→鈴鹿市立天栄中学校→三重県立稲生高等学校を経て東洋大学経済学部経済学科へ進学。 東洋大学では陸上競技部長距離部門へ入部。大学時代は1年次、2年次に東京箱根間往復大学駅伝競走(第75回及び第76回)に出場しており、1年ではエース区間となる2区を走ったものの区間14位に終わる。この時は復路の走者が健闘し、10区で逆転し2年ぶりのシード権を獲得している。2年では1区から大幅に遅れ自身も復路のエース区間である9区を走ったものの、終盤に脱水症状を起こし、区間最下位(15位)に終わる。
筒井 宏樹(つつい ひろき、1978年10月23日 - )は… 筒井 宏樹(つつい ひろき、1978年10月23日 - )は三重県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は189cm。 稲生高校から天理大学へ進学すると、3年の時には優勝大会と体重別団体で3位になった。4年の時には優勝大会と体重別団体及び正力杯90kg級でそれぞれ3位になった。オーストリア国際では2位だった 2001年には平成管財の所属となると、2002年の日本国際柔道大会では5位だったが、講道館杯では決勝で明治大学2年の泉浩を破って優勝を飾った。その後階級を100kg級に上げると、2003年の実業個人選手権では決勝で日本道路公団の深川幸太郎を破って優勝した。2005年には実業個人選手権の決勝で綜合警備保障の近野貞治を破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。
藤井 美穂(ふじい みほ、Miho Fuji)は、日本出身で… 藤井 美穂(ふじい みほ、Miho Fuji)は、日本出身で、アメリカ合衆国で活動している女優、コメディアン、モデル、フェミニスト。身長163cm、体重80kgの体型を生かし、従来のモデル体型よりも大きいサイズの体型のモデルを意味する「プラスサイズモデル」として活動している。 私立の中高一貫校に入ったが、中学校在学中に不登校を経験、公立高校に転校するが、この間に地元の劇団に所属して演劇活動に関わり、高校を卒業して桐朋学園芸術短期大学に進んだ。 短大時代に、国際的に活躍する演出家から「世界に出ろ」と促されたのを受け、短大卒業後に渡米し、ロサンゼルスで語学学校、演劇学校などに学び、コメディ・ショーへ出演するようになった。