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北川 裕之(きたがわ ひろゆき、1959年(昭和34年)1月… 北川 裕之(きたがわ ひろゆき、1959年(昭和34年)1月2日 - )は、日本の政治家。三重県名張市長(1期)。元三重県議会議員(5期)。 三重県名張市出身。三重県立上野高等学校、同志社大学法学部卒業。 1981年から11年間名張市職員として勤め、1992年からは地元ケーブルテレビ会社で勤務した。 太平洋戦争中に戦艦大和の乗組員を務め、終戦後は語り部として活動した父や、北川正恭元県知事の影響で政治家を志し、2003年より三重県議会議員を務める。2018年1月、当時所属していた民進党を離党し、名張市長選挙への立候補を表明したが、この時の市長選では現職の亀井利克に敗れ落選。翌年に県議に復帰した。 2022年3月9日、市長選挙に立候補するため県議を辞職。
岡本 栄(おかもと さかえ、1951年〈昭和26年〉9月18… 岡本 栄(おかもと さかえ、1951年〈昭和26年〉9月18日 - )は、日本の政治家。元三重県伊賀市長(3期)。関西テレビ放送の元アナウンサー。 三重県上野市(現在の伊賀市)の出身・在住で、上野市立東小学校、上野市立緑ヶ丘中学校、三重県立上野高等学校から早稲田大学教育学部へ進学。両親は教師で、大学進学の影響につながったという。また、早稲田大学への在学中には、多数のアナウンサーを輩出している学内のアナウンス研究会で活動していた。 1974年にアナウンサーとして関西テレビへ入社。同期のアナウンサーに馬場鉄志がいる。 入社後は、地元から通勤しながら報道・情報番組を中心に出演。1985年に発生した日本航空123便墜落事故の際には、急遽放送された『FNN報道特別番組』に伊丹空港からの中継リポーターとして出演した。
生田 邦夫(いくた くにお、1948年〈昭和23年〉2月27… 生田 邦夫(いくた くにお、1948年〈昭和23年〉2月27日 - 2024年〈令和6年〉11月25日)は、日本の政治家、医師。滋賀県湖南市長(1期)、滋賀県議会議員(4期)、甲西町議会議員(1期)、 生田病院理事長を務めた。 三重県阿山郡玉滝村(阿拝村、阿山町を経て、現伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て、1974年(昭和49年)3月、大阪医科大学医学部卒業。2000年(平成12年)、甲西町議会議員に初当選。 2007年(平成19年)4月、滋賀県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選した。 2012年(平成24年)10月14日に行われた湖南市長選挙に立候補するも、現職の谷畑英吾に破れた。
中井 徳次郎(中井 德次郎、なかい とくじろう、1907年(… 中井 徳次郎(中井 德次郎、なかい とくじろう、1907年(明治40年)5月29日 - 1991年(平成3年)12月18日)は、三重県出身の政治家。三重県上野市(現在の伊賀市)の市長だった。日本社会党に所属して衆議院議員を6期務めた。長男の中井洽も衆議院議員となった。 三重県立上野中学校、第八高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業後、高等文官試験合格。 満洲にわたり全満洲の電気供給事業を統制して電力・電燈の供給事業を独占的に行う満洲電業株式会社に入社。企画主計課長、文書課長を歴任した後、長男の洽が満洲で誕生した。終戦で三重県に引揚げた。 1947年(昭和22年)に全国で最初の日本社会党の公認候補者として三重県上野市長に当選し、以後2期、革新的な市政を行った。
富井 清(とみい きよし、1903年(明治36年)3月28日… 富井 清(とみい きよし、1903年(明治36年)3月28日 - 1974年(昭和49年)5月19日)は、日本の政治家、医師、尺八奏者。1967年から1971年まで京都府京都市長を1期4年務める。医学博士。富井舜山とも号す。 三重県生まれ。1925年(大正14年)金沢医科大学医学専門部を卒業後、京都府立医科大学眼科副手を経て、京都府保険医協会理事長や京都府医師会長、京都府公安委員を歴任。 1967年1月8日、京都市長の井上清一が在職中に死去。井上の死去に伴って2月26日に行われた京都市長選挙挙に、日本社会党・日本共産党や府市内の労働組合に加え府医師連盟などで作る「全京都市民会議」に推されて立候補。
齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28… 齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28日 - 1972年〈昭和47年〉9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は正三位。 運輸大臣、厚生大臣、警察庁長官を務めた。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。 三重県阿山郡東柘植村(現在・伊賀市)出身。父・角蔵、母・のぶへの長男として生まれる。 上野中学、八高を経て、東京帝国大学入学。 1925年(大正14年)に東京帝大農学部農学科を卒業し、1926年(大正15年)高等試験に合格した。1927年(昭和2年)、内務省に入省した。1928年(昭和3年)に東京帝大法学部政治学科を卒業する。地方局属、地方局行政課長、大臣官房文書課長、防空総本部総務局長等を歴任した。
稲浦 鹿蔵(稲浦 鹿藏、いなうら しかぞう、1894年(明治… 稲浦 鹿蔵(稲浦 鹿藏、いなうら しかぞう、1894年(明治27年)10月19日 - 1978年(昭和53年)3月30日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設事務次官、参議院議員。 三重県に生まれる。1924年(大正13年)京都帝国大学工学部土木工学科を卒業し、内務省神戸土木出張所に入り、神戸高等工業学校講師を兼任する。1935年(昭和10年)大阪府土木部河港課長に転じ、前年の室戸台風の災害復旧として河川の防潮工事などを進めた。1942年(昭和17年)青島埠頭常務取締役に就任し、青島港の整備に当たり、終戦を迎えると兵庫県土木部長、建設技監を経て、1952年(昭和27年)建設事務次官に就任した。
杉森 万之輔(萬之輔、すぎもり まんのすけ、1884年(明治… 杉森 万之輔(萬之輔、すぎもり まんのすけ、1884年(明治17年)11月21日 - 1974年 <昭和49年> 5月5日)は、昭和時代前期の政治家、俳人。三重県上野市長。雅号は干柿。位階は正六位。 三重県出身。上野中学(現三重県立上野高等学校)を卒業する。 上野町助役となり、全国に先駆け上下水道の完成、町営塵芥焼却炉、町立保育園の建設、公共的企業の創設や育成、伊賀文化産業城の建設などに尽力した。 1939年(昭和14年)11月、同町長となった。1941年(昭和16年)9月に町長を退任した。同年11月29日、周辺自治体との合併で発足した上野市の初代市長となった。 町長時代には市制施行の実現、市長に就任後は市民福祉の向上、地域産業の育成、工場誘致や市域拡張の諸政策を遂行した。