スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
永井 健治(ながい たけはる、1968年 - )は、日本の生… 永井 健治(ながい たけはる、1968年 - )は、日本の生物物理学者。大阪大学栄誉教授、北海道大学教授。元日本生物物理学会副会長。日本学術振興会賞等受賞。 大阪府大阪市都島区生まれ。上宮高等学校を経て、1992年筑波大学第二学群生物学類基礎生物学専攻卒業。上野直人の指導を受けた。1994年筑波大学大学院農学研究科応用生物化学専攻修士課程修了。1995年日本学術振興会特別研究員。1998年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了、博士(医学)の学位を取得。同年理化学研究所基礎科学特別研究員。2001年理化学研究所脳科学総合研究センター研究員。2001年科学技術振興機構さきがけ研究員。
城戸 淳二(きど じゅんじ、1959年〈昭和34年〉2月11… 城戸 淳二(きど じゅんじ、1959年〈昭和34年〉2月11日 - )は、日本の高分子工学者。山形大学教授。有機EL(有機エレクトロルミネッセンス)の開発者で、1993年に世界初となる白色有機ELを開発したことで知られる。 大阪府東大阪市出身。東大阪市立長瀬東小学校、東大阪市立金岡中学校卒業。1977年(昭和52年)上宮高等学校を卒業し、早稲田大学理工学部に入学するも競技スキーとアルバイトにかまけて卒業研究までは勉学をおろそかにしていたが、卒業研究の指導教官の土田英俊教授から「キド君は希土類をやれ」と語呂合わせで、発光材料でもある希土類金属錯体の研究を始め、材料研究の面白さに目覚めた。 1984年に早稲田大学理工学部を卒業後、土田教授の勧めで米国ニューヨークポリテクニック大学(英語版)(現ニューヨーク大学)大学院博士課程に留学する。
千坂 恭二(ちさか きょうじ、1950年3月18日 - )は… 千坂 恭二(ちさか きょうじ、1950年3月18日 - )は、日本の思想家、思想史家。本名は平野和男(ひらの かずお)。千坂は母方の曾祖母の生家の苗字。 大阪市に、祖父の代までは地元の住吉区、住之江区の庄屋で富裕郷士だった没落旧家の一族の子として生まれる。母方も新潟出自の東京系の旧家で、祖父の代は遠縁に華族(都築男爵家)がいた士族。 安立小学校、三稜中学校の頃は文学少年だったが、1968年頃にバクーニンの総破壊の思想と精神の影響を受けた超過激派のバクーニン主義者として、上宮高校在学の頃からアナキズム運動に参加し、高校生から浪人生の頃は、黒色高校生連盟、アナキスト高校生連合全国委員長や大阪浪共闘社会革命左派として活動した。
清原 伸彦(きよはら のぶひこ、1941年1月30日 - )… 清原 伸彦(きよはら のぶひこ、1941年1月30日 - )は、日本の体育学者、水球指導者、集団行動学。日本体育大学体育学名誉教授。 大分県出身。上宮高等学校を経て日本体育大学体育学部へ進学。 高校まではガリ勉少年タイプの人間であったが、高校時代の体育主任教師に『日本体育大学で勉強して、教師になりなさい』と言われて日本体育大学へ進学。大学では経験すらなかったバスケットボール部に入り、トレーニングに明け暮れた。 1963年に日本体育大学卒業後、城北中学校・高等学校に教師として採用され、赴任。清原自身はバスケットボール部顧問のつもりでいたが、学内の事情により指導者が不在であり、自身にとっても門外漢だった水球部の顧問に就任。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 19… 向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 1980年3月25日)は、元検察官、弁護士、刑事法学者である。自他共に認める司法試験の神様としてまた死刑廃止論者として著名。 1910年石川県羽咋市に生まれる。粟ノ保村立尋常小学校卒業後、大阪の薬局でぼんさん生活(いわゆる丁稚生活)を送る。薬局を辞め、パイプ工場に勤務しながら私立成器商業学校夜間部で学ぶ。その後、上宮中学校(旧制)に転学し4年で修了する。上京し専修大学予科に入学するも中央大学に転学。1934年有志で中央大学真法会を創設。1935年の高等文官試験司法科試験を2番で合格する。1936年3月・中央大学法学部卒業。司法官試補を経て検察官となり、思想検事系列に名を連ねる。