スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川越 宗一(かわごえ そういち、1978年9月13日 - )… 川越 宗一(かわごえ そういち、1978年9月13日 - )は、日本の小説家。 現在の鹿児島県錦江町生まれ。大阪府出身。桃山学院高校を経て、龍谷大学文学部史学科中退。 バンド活動を経て通販会社の社員として働く傍ら、若桜木虔の小説添削講座を受講。2018年に『天地に燦たり』で第25回松本清張賞を受賞し作家デビュー。 樺太アイヌの山辺安之助とポーランド人の文化人類学者ブロニスワフ・ピウスツキを主人公とした歴史小説『熱源』は高く評価され、直木賞を受賞した。
堀田 純司(ほった じゅんじ、1969年3月8日 - )は… 堀田 純司(ほった じゅんじ、1969年3月8日 - )は、日本の作家・編集者。 大阪府出身。桃山学院高等学校を中退した後、大学入学資格検定を経て上智大学文学部ドイツ文学科卒業。在学中より編集者として働きはじめ、後に自身の著作を発表するようになる。 編集者としては榎本俊二の漫画である『えの素』のトリビュート単行本『えの素トリビュート』、吉田戦車の『吉田自転車』ほかエッセイ3部作、『機動戦士ガンダム』を製作したクリエーターに取材した『ガンダム者 ガンダムをつくった男たち』、大学生協の職員白石さんとお客さんの心あたたまるやりとりを収録し、93万部のベストセラーとなった『生協の白石さん』などを企画編集している。
友松 直之(ともまつ なおゆき、1967年2月23日- )は… 友松 直之(ともまつ なおゆき、1967年2月23日- )は、日本の映画監督、脚本家、作家。大阪府出身。 桃山学院高等学校卒。桃山学院大学社会学部中退。 高校時代に漫画研究部で8ミリ映画を撮りはじめ、漫画家内田春菊の作画アシスタントを経て、1992年自主制作映画「夏色浪漫」がTSUTAYAインディーズフェスティバル佳作入選。「ザ・妊婦」(川村真一監督作)で脚本家デビュー。1993年「バラードに抱かれて」で商業監督デビュー。2009年「老人とラブドール 私が初潮になった時…」でピンク大賞監督賞を受賞した。
安田 佳生(やすだ よしお、 (1965-01-19) 19… 安田 佳生(やすだ よしお、 (1965-01-19) 1965年1月19日(61歳) - )は日本の実業家、作家。元・株式会社ワイキューブ代表取締役社長。株式会社安田佳生事務所代表取締役、NPO法人中小企業共和国理事長。境目研究家。株式会社ぼくら社編集長。 1965年1月19日、大阪府に生まれる。桃山学院高等学校卒業後、18歳でアメリカ合衆国に渡り、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後、株式会社リクルート営業部に就職。1990年11月21日、人材コンサルタント会社の株式会社ワイキューブを設立。倒産前は人材コンサルタントにならび、中小企業向けのCI・企業ブランディング支援も行なっていた。 2011年3月30日、株式会社ワイキューブが民事再生法の適用申請をした。
真山 仁(まやま じん、1962年7月4日 - )は、日本の… 真山 仁(まやま じん、1962年7月4日 - )は、日本の小説家。経済小説 『ハゲタカ』シリーズの著者として知られる。 大阪府堺市出身。新金岡で育ち、当時(この当時の堺市長であった竹山修身と対談時の2016年)「堺で過ごした幼少期の頃の体験が強く影響」としている。 児童会の役員を務めていた小学6年生のとき、小学校の「夏休み中は午前11時まで外出するな」というルールがおかしい、と感じて担任教諭に直訴する。「既存のルールを変えたかった」が、級友からは「政治家になれ」と言われ、自身の「表からも裏からもニュートラルな立場でモノを見る強み」に気付く。 「世の中を変えるため」政治家へ進む道を考えるが、世の中を変えるまでの影響力を持つためには派閥を作り国会の過半数を取る必要があるため弁護士の道も考えたが、法廷で勝っても社会は変えにくい。
吉田 恭教(よしだ やすのり、1960年 -)は、日本の小説… 吉田 恭教(よしだ やすのり、1960年 -)は、日本の小説家、漁師。佐賀県唐津市生まれ。島根県大田市在住。桃山学院高等学校卒業。 30歳まで東京で写真製版業に従事するが、病気を患い医者の勧めで島根県で一本釣りの漁師となる。2010年、『変若水(をちみづ)』(応募時のタイトルは「変若水 月神の遺産」)が第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞の優秀作に選ばれる。選考委員の島田荘司は「作中にある世界の完成度は、その大きさ、異形の度あいも含め、この作が最も高い」と評した。2011年、同作で本格的に作家デビューする。推理作家になろうと思ったきっかけについて、「時化で海に出られないときに、小説でも書いてみようと思い立ち、島田荘司が好きだったのでミステリ小説を書くことにした」と語っている。
生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月… 生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家・翻訳家・劇作家・小説家。 父喜平治と母かつとの三男一女の末子として、鳥取県日野郡貝原村(現・日野町根雨)に生まれた。1895年(明治28年)(13歳)、地元の日野郡高等小学校を卒業し、翌年、次兄がいる大阪へ出て、1897年、桃山学院の2年生になった。 本名は弘法大師(空海)に因んだ「弘治」ながら、1898年、プロテスタント系のユニバーサリスト教会で受洗し、聖書に親しんだ。翌年上京して青山学院中学部の4年生となり、1900年、第一高等学校文科に入り、1903年、東京帝国大学文科大学哲学科へ進み、美学を専攻した。