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藤井 比早之(ふじい ひさゆき、1971年〈昭和46年〉9月… 藤井 比早之(ふじい ひさゆき、1971年〈昭和46年〉9月11日 - )は、日本の政治家、総務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、衆議院農林水産委員長。 外務副大臣、デジタル副大臣・内閣府副大臣(新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進、縦割り打破、行政改革、規制改革、沖縄及び北方領土問題対策等担当)、国土交通大臣政務官、彦根市副市長を歴任。 公式サイトやポスターなどでは、藤井ひさゆきと表記している。 兵庫県西脇市出身。西脇市立西脇小学校、兵庫教育大学附属中学校、兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。 1995年、自治省(現総務省)入省。総務副大臣秘書官、内閣官房参事官補佐等を務め、2009年に彦根市副市長に就任。
高橋 昭一(たかはし しょういち、1964年6月24日 - … 高橋 昭一(たかはし しょういち、1964年6月24日 - )は、日本の元政治家、メディアプランナー、アニメーション制作者。衆議院議員を1期務めた。 兵庫県小野市でそろばん製造会社・昭和産業社長の長男として生まれる。兵庫県立小野高等学校を経て神戸大学教育学部(養護)へ入学、在学中に友人らと企画集団を立ち上げ、テレビ番組制作やイベントの企画制作を手がける傍ら、神戸市青少年連絡協議会に参加。 1989年(平成2年)に神戸大学を中退した後、経営コンサルタント会社に入社しマーケティングコンサルタントの業務に従事。1990年(平成3年)、業務の必要上、近畿大学短期大学部商経科通信教育部を受講するが、1992年(平成5年)ジェイティービーグループの企画制作会社・株式会社グローバルトゥエンティワンに転職後、休日業務増加のためスクーリング等の受講を継続できず中退。
薮本 吉秀(やぶもと よしひで、1958年(昭和33年)11… 薮本 吉秀(やぶもと よしひで、1958年(昭和33年)11月28日 - )は、日本の政治家。元兵庫県三木市長(3期)。市役所ホームページ、一部報道等では「藪本吉秀」という表記を用いる。 兵庫県三木市志染町生まれ。三木市立志染小学校、三木市立志染中学校、兵庫県立小野高等学校、横浜国立大学経済学部経済学科卒業。 1982年、兵庫県庁に入庁。1992年3月、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了(経済学修士)。 2003年4月、総務省自治行政局公務員課課長補佐に就任。2005年4月、兵庫県企画管理部新行政担当課長に就任。同年7月末、退職。 2006年1月15日に行われた兵庫県三木市長選挙に無所属で出馬。
蓬萊 務(ほうらい つとむ、1946年〈昭和21年〉5月20… 蓬萊 務(ほうらい つとむ、1946年〈昭和21年〉5月20日 - )は、日本の政治家。兵庫県小野市長(7期)。 兵庫県加東郡河合村(現・小野市河合中町)に生まれる。小野市立河合小学校、小野市立河合中学校卒業。1965年(昭和40年)3月、兵庫県立小野高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、関西大学経済学部経済学科卒業。同年4月、金井重要工業株式会社に就職。1973年(昭和48年)、分社化でトクセン工業株式会社へ転籍。 1998年(平成10年)12月10日、小野市長の広瀬博司が市内の建設業者から賄賂を受け取っていたとして逮捕される。広瀬の辞職に伴って翌1999年(平成11年)に行われた市長選挙に立候補し初当選した。
井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24… 井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2010年〈平成22年〉12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従三位。本名は井上 喜一(いのうえ よしかず)。 衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災)(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、社団法人日米平和・文化交流協会理事などを歴任。 兵庫県加西市玉丘町出身。兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、農林省へ入省した。 農林水産省では大臣官房審議官、統計情報部長、構造改善局長を歴任。また一時期、農水省の外局にあたる水産庁で海洋漁業部長を務め、対米・対ソ漁業交渉に臨んだ。 1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧兵庫3区から立候補し、初当選。
本岡 昭次(もとおか しょうじ、1931年(昭和6年)3月1… 本岡 昭次(もとおか しょうじ、1931年(昭和6年)3月18日 - 2017年(平成29年)4月10日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、参議院副議長(第24代)、民主党参議院議員会長(第2代)を歴任。 2004年の第159回国会において、内閣提出の年金関連法案の採決を控えて会期末が迫る 6月5日、 倉田寛之参議院議長不信任決議案審議のため副議長として議長席に着いた途端に散会宣言を行った。議事が残るにもかかわらず突然行われたこの散会宣言は参議院規則に反するものであり、中立であるはずの副議長が同法案の成立を阻止したい民主党の要請に従ったことと合わせて「参議院の権威が傷ついた」、「権利の濫用との批判を招きかねず『憲政史上例のない禁じ手』」等と批判を招いた。
井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月2… 井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、昭和から平成時代の政治家。兵庫県小野市長。位階は従五位。 兵庫県小野市出身。旧制小野中学校(現在の兵庫県立小野高等学校)を卒業。1939年(昭和14年)日本大学商経学部経済科卒業。同年日本放送協会に入った。その後、1946年(昭和21年)、山陽利器に入社した。さらに、1951年(昭和26年)、小野町立病院に入った。そして、1952年(昭和27年)明石市役所に奉職し収入役を務めた。 1976年(昭和51年)の小野市長選挙に立候補して、保守・革新双方の推薦を得て、共産党が支持する新人を破って初当選を果たした。
美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年〈明治6年〉5月7… 美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年〈明治6年〉5月7日 - 1948年〈昭和23年〉5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家。東京帝国大学名誉教授。天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。昭和期には天皇機関説事件により、貴族院議員を辞職した。第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)には勲一等旭日大綬章を受章。一木喜徳郎門下。弟子に清宮四郎、宮沢俊義、柳瀬良幹、田中二郎、鵜飼信成、田上穣治など。 1873年(明治6年)5月7日、兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)の漢方医・美濃部秀芳(美濃部秀軒の子。)の次男として生まれた。高砂小学校、小野中学校(現:兵庫県立小野高校)、第一高等中学校を経て、1894年(明治27年)、帝国大学法科大学政治学科(現・東京大学法学部)に進み、天皇機関説を主唱した一木喜徳郎に師事する。