スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
笑福亭 喬路(しょうふくてい きょうじ、1997年6月26日… 笑福亭 喬路(しょうふくてい きょうじ、1997年6月26日 - )は、上方落語協会に所属する落語家。本名∶太白 章。所属プロダクションは松竹芸能。 兵庫県姫路市広畑区[要出典]出身。中学時代は野球少年だった。高校入学時に「このまま白球を追い続けていいのか」と思ったことからフォークソング部に入部する。[要出典]高校時代、学校にプロの噺家を招いての寄席で初めて落語に触れた。その時点で興味は沸かなかったが、関西学院大学進学後、サークルの勧誘で"ジャンケンサークル"と称した落語研究会に勧誘されて加入。櫻鶯亭 天蝶(おうおうてい てんちょう)の高座名を名乗った。落語研究会では会長を務め、第9回(2018年)学生落語王者決定戦てんしき杯で優勝[要出典]、第17回(2020年)全日本学生落語選手権・策伝大賞で決勝進出を果たした。
藤原 虹気(ふじわら こうき、1986年6月6日 - )は、… 藤原 虹気(ふじわら こうき、1986年6月6日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 琴丘高校入学当初、サッカー部に入ろうと考えていたが、サッカー部が強豪だったため野球部に入部。徐々に才能が開花すると、3年春はエースとしてチームを兵庫大会ベスト8に導いた。しかし、6月に自転車で登校中に交通事故に遭い、左膝蓋骨骨折という全治3か月の重傷を負ったため、藤原は甲子園はおろか夏の兵庫大会に出場することすら出来なかった。なお、チームはエース不在という状況ながら、25年ぶりの県大会ベスト16まで勝ち進んだ。 無名校出身で夏の大会に出場すらしていなかったためか、2004年度プロ野球ドラフト会議において西武ライオンズから6巡目指名を受けた際は、会議の席上で彼だけプロフィールが表示されず、解説者にも「知りませんねえ」と言われてしまった。
増川 隆洋(ますかわ たかひろ、1979年11月8日 - )… 増川 隆洋(ますかわ たかひろ、1979年11月8日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 小学校3年生時に津田SCでサッカーを始める。姫路市立飾磨西中学校、姫路市立琴丘高等学校から大阪商業大学へと進学し、卒業時に複数のクラブの入団テストを受けたが、右膝半月板損傷などの故障の影響から不合格。8月に大学OBである中村重和がアビスパ福岡の監督に就任した際に、同チームへ練習生として所属することとなった。なお、播戸竜二は高校時代の同級生、嶋田正吾は大学の同期である。 2003年にアビスパ福岡に正式に加入。3月15日、第1節水戸戦(博多の森球技場)で初出場した。
播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、… 播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、俳優、サッカーチーム経営者。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。日本サッカー協会(JFA)のアスリート委員、2021年2月1日からWEリーグの理事。2021年6月24日からは、Jリーグ選手OB会の副会長(定数は4人)にも名を連ねている。 2011年に、株式会社ミスタートゥエルブを設立したうえで代表取締役に就任。Jリーグ一筋で2019年に現役を引退した後は、2020年3月12日から2022年3月11日までJリーグの特任理事を務めていた。 2026年よりIKOMA FC 奈良の代表取締役社長を務める。
尾上 由美(おのうえ ゆみ、1977年4月21日 - )は、… 尾上 由美(おのうえ ゆみ、1977年4月21日 - )は、日本のタレント。本名非公表(旧姓:尾上)。所属事務所は大阪テレビタレントビューロー(TTB)。 兵庫県姫路市生まれ。姫路市立琴丘高等学校出身(野球部マネージャーを務めていた)、夙川学院短期大学英文科卒業。血液型はO型。 趣味はピアノ、バレエ、野球観戦、スノーボード、器械体操、乗馬。 2006年4月より、東京へ移住し、仕事を休止中。
藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は… 藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。元歌手・タレント。 琴丘高校卒業後の1975年に新日鐵広畑へ入社し、2年目の1976年には都市対抗に出場。1回戦では大昭和製紙北海道を相手にリリーフで好投、延長13回の接戦を制し初勝利を記録する。2回戦では日本鉱業佐賀関を相手に先発し、藤沢公也・萩野友康の継投の前に惜敗したが、この試合で5連続三振を奪うなど各球団の注目を集める。 同年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。 1977年には新人ながら開幕5試合目に先発で登板。独特の二段モーションから繰り出す緩いカーブを武器に大いに期待されたが、伸び悩んだ。
森下 洋一(もりした よういち、1934年〈昭和9年〉6月2… 森下 洋一(もりした よういち、1934年〈昭和9年〉6月23日 ‐ 2016年〈平成28年〉12月18日)は、日本の実業家。位階は従三位。 関西学院大学バレーボール部員であったため、先輩である大松博文に薦められ松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)に運動選手枠で入社する。後に同社の社長、会長、相談役、学校法人関西学院の理事長を務めた。 社長在任時の1995年に「これからはブラウン管の時代」と提唱して液晶開発への投資を縮小したことにより、松下が液晶競争に乗り遅れる原因の一つを作る。退任後、2019年にはパナソニックの液晶事業からの撤退が決定された。 現在までに関西経済連合会副会長、JEITA(電子情報技術産業協会)会長、日本電機工業会会長、郵政行政審議会会長など、数々の公共の益に係わる役職を務める。