スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤沢 久美(ふじさわ くみ、1967年3月15日 - )は、… 藤沢 久美(ふじさわ くみ、1967年3月15日 - )は、日本の実業家、経済評論家、キャスター。ソフィアバンク代表、社会起業家フォーラム副代表、人を大切にする経営学会副会長、Linkers株式会社戦略顧問、トヨタ自動車取締役。その他に、一般財団法人投資信託協会理事、一般社団法人日本証券業協会理事、株式会社静岡銀行取締役、豊田通商株式会社取締役、株式会社サイネックス取締役、株式会社クリーク・アンド・リバー取締役、株式会社CAMPFIRE取締役を務める。 トレンダーズ株式会社監査役、シンメトリー・ジャパン株式会社取締役、株式会社東日本大震災事業者再生支援機構取締役、ミュージックセキュリティーズ株式会社監査役、法政大学大学院(ビジネススクールイノベーションマネジメント研究科)客員教授などを歴任した。
髙田 多喜男(たかだ たきお、1929年〈昭和4年〉11月1… 髙田 多喜男(たかだ たきお、1929年〈昭和4年〉11月13日 - )は、大阪府大阪市北区生まれ、奈良県生駒市出身の日本の実業家。近鉄百貨店副社長として阿倍野本店リニューアルを成功させ、京都近鉄百貨店社長として同社京都店増床にかかわった。 1929年(昭和4年)11月13日、大阪府大阪市北区生まれ。物心つく前に父を亡くした後に奈良県生駒市へ移り住み、母・リウに女手一つで育てられた。 旧制郡山中学に通学し、校舎の1階で乾電池製造をして働き、2階で勉強する生活を送っていた15歳の時に太平洋戦争の終戦を迎える。海軍兵学校に進学すると決めていた髙田は涙が出てきたという。 髙田は京都大学法学部へ入学し、下宿せず生駒の自宅から通学していた。
中井 利之祐(なかい りのすけ、1911年〈明治44年〉7月… 中井 利之祐(なかい りのすけ、1911年〈明治44年〉7月17日 - 没年不明)は、日本の実業家。旧姓・中川。 奈良県・中川亀太郎の三男。1929年、郡山中学校を卒業。中井製膠所経営、康徳化学工業勤務を経て1948年に浪華化学工業を設立、社長に就任する。 浪華化学工業、朝日化学産業各社長、野洲化学工業取締役、大阪膠質ゼラチン工業協同組合、飛島会各理事長、日本にかわゼラチン工業組合副理事長、大阪同和事業協議会副会長などをつとめる。 また民生委員である。 趣味は読書。宗教は真宗。住所は大阪市東淀川区飛島町(現・東中島)。
井上 信貴男(いのうえ しぎお、1908年(明治41年〉3月… 井上 信貴男(いのうえ しぎお、1908年(明治41年〉3月24日 - 1971年〈昭和46年〉7月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、奈良県生駒郡安堵名誉村長、井上繊維工業社長。 奈良県生駒郡安堵村(現安堵町)で生まれる。1927年(昭和2年)奈良県立郡山中学校(現奈良県立郡山高等学校)を卒業。土木請負業を経営し、その他、皮革加工、繊維メリヤス製造、布帛加工、ゴム工業などの分野でも経営を行った。井上工業所顧問、奈良日日新聞社取締役、同会長などを務めた。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、民主自由党会計総務を務めた。
川本 忠雄(かわもと ただお、1907年〈明治40年〉8月2… 川本 忠雄(かわもと ただお、1907年〈明治40年〉8月22日 - 没年不明)は、日本の実業家。フジ運動具店社長。華道衡山流三世家元。 奈良県大和郡山市出身。1927年、郡山中学校を卒業する。1932年、立教大学経済学部を卒業する。1937年、応召。1943年、除隊後日本国際航空工業に入社する。1946年、退職する。 1947年、ノダ運動具店に勤務する。1948年、有限に改組、取締役に就任する。1962年、フジ運動具店を設立、社長に就任する。行政相談委員、大和郡山市監査委員を兼任する。郡山信用金庫監事をつとめる。 江戸時代栄えた遊廓の跡、洞泉寺町に木造三階の川本忠雄宅がある。「旧川本家住宅」は2014年10月7日に国の登録有形文化財に登録され、2018年1月10日に「町家物語館」として生まれ変わり、一般公開が開始される。
駒井 藤平(こまい とうへい、1885年(明治18年)3月2… 駒井 藤平(こまい とうへい、1885年(明治18年)3月21日 - 1967年(昭和42年)1月17日)は、明治末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、奈良県生駒郡南生駒村長。 奈良県平群郡小瀬村(生駒郡南生駒村大字小瀬、生駒町を経て現生駒市)で、酒造業・駒井藤太郎の長男として生まれる。1907年(明治40年)大阪府立農学校(のち大阪獣医畜産専門学校)を卒業した。 帰郷して農事試験場技手兼生駒郡立郡山農学校(現奈良県立郡山高等学校)教諭に就任。その後、家業の酒造業に従事した。南生駒村会議員となり、1925年(大正4年)奈良県会議員に当選。1926年(大正5年)南生駒村長に就任し4期在任した。
川本 増雄(かわもと ますお、1885年〈明治18年〉2月2… 川本 増雄(かわもと ますお、1885年〈明治18年〉2月21日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。郡山信用金庫専務理事。華道衡山流家元。号は見真斉一舟(けんしんさいいっしゅう)。 奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺町(現・大和郡山市洞泉寺町)に生まれる。川本増蔵の長男。郡山中学校を卒業する。貸座敷業を営む。遊廓改善等に奮闘努力する。 郡山町会議員に7回当選する。郡山信用金庫専務理事、奈良地裁調停委員、司法保護委員、郡山町農業会長をつとめる。 青年時代、非常な運動家で、特に野球の選手として活躍した。趣味は書画、骨董、読書。住所は奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺(現・大和郡山市洞泉寺町)。
関 桂三(せき けいぞう 1884年1月3日 - 1963年… 関 桂三(せき けいぞう 1884年1月3日 - 1963年5月2日)は、昭和期の実業家。東洋紡績元会長。大阪商工会議所会頭、関西経済連合会会長を歴任。 奈良県山辺郡出身。旧姓森田。旧制奈良県郡山中学校、第四高等学校を経て、1908年に東京帝国大学法科大学法律学科を卒業後、東洋紡の前身である大阪紡績入社。常務、専務、副社長をそれぞれ歴任し、1943年に退職。1950年に東洋紡へ復帰し、会長を務め、1957年より相談役を務めた。この間、経済団体の役員にも推され1943年から1946年まで大阪商工会議所会頭を務めた。同時に繊維統制会会長にも就く。1946年から1947年まで関西経済連合会初代会長を務め、1951年には再度第4代会長を務めるほか 、日本商工会議所会頭代理、大蔵省・商工省両顧問、朝日放送取締役、東京大学講師などをそれぞれ務めた。
山田 恵一(惠一、やまだ けいいち、1873年(明治6年)1… 山田 恵一(惠一、やまだ けいいち、1873年(明治6年)11月16日 - 1930年(昭和5年)12月13日)は、大正から昭和初期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 名東県山田郡、後の香川県山田郡前田村(木田郡前田村を経て現高松市前田)で山田光次郎の長男として生まれる。1904年(明治37年)1月に家督を相続した。奈良県立郡山尋常中学校(現奈良県立郡山高等学校)を経て、第三高等学校を卒業した。 その後帰郷し、1917年(大正6年)、香川県下の養蚕業振興のため木田郡に製糸工場を開設し、木田郡農会長、大日本山林会特別議員、香川県製糸組合長、同県農会副会長、同県蚕糸業同業組合連合会組長などを務めた。
片山 太郎(かたやま たろう、1868年5月3日(明治元年4… 片山 太郎(かたやま たろう、1868年5月3日(明治元年4月11日)- 1940年(昭和15年)10月17日)は、明治後期から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、奈良県磯城郡川西村長。 大和国式下郡結崎村(奈良県式下郡川西村、磯城郡川西村を経て現川西町結崎)で、郡山藩大庄屋、同藩の金子御用達を務めた片山家当主・片山太平(太兵衛)の長男として生まれた。1883年(明治16年)家督を相続し農業を営む。1886年(明治19年)郡山中学校(現奈良県立郡山高等学校)を卒業した。 川西村会議員を務め、1905年(明治38年)川西村長に就任。その他、磯城郡会議員にも在任した。中山梅治郎の死去に伴い、1919年(大正8年)11月に実施された第13回衆議院議員総選挙奈良県郡部補欠選挙で当選し、衆議院議員に1期在任。