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平池 栄一(ひらいけ えいいち、1966年〈昭和41年〉12… 平池 栄一(ひらいけ えいいち、1966年〈昭和41年〉12月2日 - )は、日本の総務官僚。 鳥取県出身。1985年(昭和60年)、鳥取県立米子東高等学校卒業。1991年(平成3年)、東京大学法学部卒業。同年、総務庁に入庁。 入庁後、人事局の総括担当に配属され、国家公務員の育児休業等に関する法律や完全週休二日制実施を目的とした法律の法案審査を担当した。その後、人事局企画調査課課長補佐などを経て、人事局高齢対策課課長補佐に就任。国家公務員再任用制度の施行に向け、各省と具体的な事務の検討・調整にあたった。2002年(平成14年)からは行政管理局副管理官(独法総括担当)を務め、独立行政法人の制度改革に携わり、中期目標期間終了後の業務見直しに係る仕組みの策定、会計基準見直し、給与水準の透明化などにあたった。
足立 伸(あだち のびる、1958年3月21日 - )は、日… 足立 伸(あだち のびる、1958年3月21日 - )は、日本の財務官僚。 鳥取県境港市出身、1976年鳥取県立米子東高等学校学校卒業、1980年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。主計官、東京大学法学部助教授、財務総合政策研究所研究部長、函館税関長、ジャスダック証券取引所執行役等を経て、Jトラスト代表取締役。
吉尾 啓介(よしお けいすけ、1957年(昭和32年)- )… 吉尾 啓介(よしお けいすけ、1957年(昭和32年)- )は、日本の元文部官僚、元・鳥取県大山町副町長。国際教養大学初代副学長として同大設立に尽力したのち、沖縄科学技術大学院大学最高執行責任者などを歴任した。 鳥取県西伯郡名和町(現・大山町)出身。1976年、鳥取県立米子東高等学校卒業。1980年、東京外国語大学外国語学部英米語学科を卒業し、文部省に入省。その後、ユネスコ(ニューヨーク国連連絡事務所)、OECD(教育革新センター)などの国際機関勤務を経て、2001年、文部科学省競技スポーツ課長。2004年、国際教養大学(秋田市)の初代副学長兼事務局長に就任、開学に尽力した。2007年(平成19年)1月、文科省に復帰。
山田 俊之(やまだ としゆき、1956年〈昭和31年〉1月2… 山田 俊之(やまだ としゆき、1956年〈昭和31年〉1月20日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 京都府出身。1974年(昭和49年)3月、鳥取県立米子東高等学校卒業。1978年(昭和53年)3月、京都大学経済学部経済学科卒業。同年4月、郵政省入省。 貯金局第一業務課法規係に配属され、外務省経済協力局開発協力課、万国郵便連合国際事務局、大臣官房文書課主査、小野田郵便局長、郵務局国際業務課課長補佐、同局国際課課長補佐、大臣官房文書課課長補佐、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官、東京郵政局人事部長、大臣官房国際部調査官、内閣官房内閣情報調査室内閣調査官、大臣官房国際部国際協力課長、通信・放送機構総務部長・管制業務部長、名古屋貯金事務センター所長、情報通信政策研究所長、アジア・太平洋電気通信共同体(APT)事務局次長を歴任。
手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10… 手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10日 - 昭和38年(1963年)4月18日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は正三位。郵政大臣(第18代)、参議院議員(2期)。 鳥取県西伯郡富益村(現米子市富益町)の農家に生まれた。手島菊松の二男。 旧制米子中学校(現米子東高等学校)、第四高等学校を経て、大正11年(1922年)3月東京帝国大学法学部卒業。逓信省に入る。 昭和12年(1937年)経理局長、昭和15年(1940年)管理局長、昭和16年(1941年)航空局長官、同年10月逓信次官に任ぜられ航空局長官事務取扱を命ぜられる。昭和18年(1943年)10月退官。 戦後は実業界に入り、昭和20年(1945年)国際電気通信社長、日本郵便逓送顧問などを歴任した。
粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年〈明治26年〉11月… 粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年〈明治26年〉11月7日 - 1945年〈昭和20年〉8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。ゴーストップ事件時の大阪府警察部長、広島市への原子爆弾投下時の広島市長として知られる。東京府士族。 鉄道官吏・粟屋頴祐(えいすけ)の二男として生まれる。父の転勤先の仙台で生まれたため「仙吉」と命名される。父は山口県出身だが、鉄道に勤務していたために転勤をくりかえし、その任地の一つとして1902年鳥取の米子に来た。 1906年鳥取県立第二中学校(現在の米子東高校)に入学し、野球と柔道に熱中した。 1911年12月林重浩校長が鳥取中学校へ転任することになった際、仙吉は生徒の先頭に立って留任運動のリーダーになった。
松下 芳三郎(まつした よしさぶろう、1890年(明治23年… 松下 芳三郎(まつした よしさぶろう、1890年(明治23年)3月15日 - 1945年(昭和20年)12月22日)は、台湾総督府官僚、朝鮮総督府官僚、満州国行政官。 鳥取県西伯郡法勝寺村落合(のち西伯町、現南部町)出身。松下澤次郎の長男。赤貧洗うがごとき家庭で、米子中学校への進学は、松下の英才を見抜いた精山校長などの強いすすめと励ましによって実現した。 1910年(明治43年)3月、鳥取県立米子中学校(現在の鳥取県立米子東高等学校)を卒業して東京高等師範学校に進んだが、高師を中退して京都帝国大学法科大学政治科に入る。1915年(大正4年)、大学卒業とともに高等文官試験に合格。 1916年(大正5年)、台湾総督府警部となり、警察官及司獄官練習所教官、澎湖庁警視・警務課長、専売局事務官、同参事・塩脳課長を歴任した。
久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - … 久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - 1970年(昭和45年))は、日本の逓信官僚、弁護士。元逓信省郵務局長。 鳥取県会見郡西福原村(現米子市西福原)出身。久埜龜吉の長男。 米子中学(現米子東高校)、岡山の第六高等学校を卒業。次いで上京し東京帝国大学法科大学法律学科(獨法)へ入り1911年(明治44年)卒業。文官高等試験に合格し逓信省に入る。以来、通信事務官補、逓信局事務官補、逓信局副事務官兼戦時船舶管理局事務官、管船局書記官、逓信書記官兼高等海員審判所審判官、台湾総督府交通局参事、逓信大臣官房秘書課長同監察課長、広島逓信局長、逓信省郵務局長兼逓信官吏練習所長などを歴任した。