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島谷 弘幸(しまたに ひろゆき、1953年(昭和28年)11… 島谷 弘幸(しまたに ひろゆき、1953年(昭和28年)11月26日- )は、日本の古美術研究者、文化人である。九州国立博物館館長を務めた後、国立文化財機構理事長。岡山県高梁市出身。 1953年(昭和28年)岡山県高梁市に生まれる。地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し、1972年(昭和47年)に同校を卒業する。同年東京教育大学(現・筑波大学)教育学部芸術学科に入学。古筆学を専攻し、小松茂美に師事した。1976年に同大学卒業を経て、1979年、山梨英和短期大学講師となり、1984年(昭和59年)に東京国立博物館学芸部美術課書跡室研究員となった。 1994年(平成6年)41歳の時に学芸部美術課書跡室長となり、その後、2001年に学芸部資料課長へ昇進した。
伊賀 章(いが あきら、1949年(昭和24年)1月5日- … 伊賀 章(いが あきら、1949年(昭和24年)1月5日- 2017年(平成29年))は、研究者、実業家である。ソニー入社後、非接触カード(FeliCa)フェリカを開発した。FeliCaは、iD決済やSuicaやPASMO等の交通系決済へ多く採用されている。入退場管理や公共交通機関のチケットをICカード化しデジタル化した。岡山県高梁市出身の技術者。 1949年(昭和24年)岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で出生する。1964年(昭和39年)に地元の岡山県立高梁高等学校へ入学する。同期には、東芝副社長を務めた田井一郎、岡山大学医学部教授になる三村哲重がいる。卒業後、1967年(昭和42年)関西大学工学部に入学し、1971年(昭和46年)同大学電子工学科を卒業、すぐに北辰電機製作所(現:横河電機)へ入社する。
赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日… 赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日 - )は、日本の東南アジア地域研究者。大阪外国語大学名誉教授、大阪外国語大学第9代学長、前大阪観光大学学長、元泉佐野市教育委員長。元アース製薬社外取締役、専門は、タイ政治・社会論。 1944年、岡山県阿哲郡草間村(現・新見市足見姫原)に生まれる。岡山県新見市立井倉中学校、岡山県立高梁高等学校を経て、1967年に大阪外国語大学外国語学部タイ語学科(現・大阪大学外国語学部)を卒業後、タイ王国立チュラーロンコーン大学文学部に留学した。 1969年から大阪外国語大学に助手として奉職する。1975年タイのチュラーロンコーン大学、タムマサート大学で客員講師を勤め、1985年には、在タイ日本国大使館の専門調査員となった。
深井 晃子(ふかい あきこ、1943年9月10日 - )は、… 深井 晃子(ふかい あきこ、1943年9月10日 - )は、日本の服装史研究者。京都服飾文化研究財団理事・名誉キュレーター。お茶の水女子大学名誉博士。神戸女子大学教授、静岡文化芸術大学教授を務めた。本名は、高橋晃子。岡山県高梁市出身。 1943年、岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)生まれ。1962年(昭和37年)岡山県立高梁高等学校卒業後、お茶の水女子大学家政学部被服学科入学。1968年9月、同大学院家政学研究科修士課程西洋服飾史専攻修了、家政学修士。1969年、帝人に入社。 建築家と結婚して渡仏。パリ第4大学ソルボンヌ芸術考古学部で美学・美術史を聴講。1979年より京都服飾文化研究財団に勤務。京都国立近代美術館をはじめ国内外の美術館において、「モードのジャポニスム」「身体の夢」「Future Beauty: 日本ファッションの30年」展などのキュレーションにより、美術館でのファッション展という新たな形式を確立した。
天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 … 天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 - 1997年〈平成9年〉11月24日)は、日本の原子力研究者。日本原子力研究所副理事長、日本原子力学会副会長、CSK取締役も務めた。岡山県高梁市出身。 1924年(大正13年)に岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高校)へ進学し、1940年(昭和15年)に卒業。同年、旧制第六高等学校理科甲類へ入学し、1943年(昭和18年)卒業を経て、東京帝国大学へ入学、1945年(昭和20年)に日本が第二次世界大戦で敗北し、3年次で東京帝国大学工学部電気工学科を繰り上げ卒業となる。 卒業後、1939年に東京電気と芝浦製作所が合併して誕生した東京芝浦電気(現:東芝)へ1945年に入社。
柳井 深造(やない しんぞう、1911年(明治44年)7月1… 柳井 深造(やない しんぞう、1911年(明治44年)7月16日- 没年不詳)は、陸上選手であり研究者でもある。川崎重工業研究室長を務め、流体力学の研究で知られる。岡山県出身。 1911年(明治44年)岡山県に生れる。1925年(大正14年)、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。1930年(昭和5年)3月、同校を卒業し、旧制第六高等学校理科乙類へ進学する。1933年(昭和8年)同校を卒業し、京都帝国大学工学部へ進学する。 京大では、陸上部に所属し、1934年(昭和9年)柳井が大学2年生のとき、兵庫県にある甲子園南運動場で行われた第21回全日本陸上競技選手権大会の男子110mハードルでは、15.4秒で準優勝している。
日野西 義輝(ひのにし よしてる、1906年(明治39年)3… 日野西 義輝(ひのにし よしてる、1906年(明治39年)3月16日 - 1983年(昭和58年)6月15日)は、日本の蛍光体研究者・実業家であり、日本電気化学代表取締役の後、日立ランプ取締役。北海道出身。 北海道茅部郡石倉村(現・森町)濁川の広大な日野西牧場で農場を経営していた日野西長輝(日野西光善の三男)の長男として生まれた。日野西家は京都の堂上華族である。1916年に父親が日本統治下の朝鮮・慶尚南道の村井進永農場の農場長に就任したため、小学校6年より叔母の家があった岡山県成羽町(現・高梁市)で暮らす。その後、1919年(大正8年)旧制岡山県立高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に入学し同期に石川達三、金澤覚太郎、翁孝文(クラボウ常務)がいた。
板野 新夫(いたの あらお、1887年(明治20年)4月11… 板野 新夫(いたの あらお、1887年(明治20年)4月11日 - 1972年(昭和47年)4月12日)は、日本の農業研究者・教育者であり、日本の農業研究の第一人者である。岡山県総社市出身。 1887年(明治20年)に岡山県下道郡秦村(現・総社市)の農家の家庭に生まれる。その後、1900年(明治33年)旧制岡山県立高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に入学した。 高梁中在学中に米国に留学した新島襄に憧れ、また、新渡戸稲造の農業経営の理念に感化され、卒業後、1905年(明治38年)すぐに単身で渡米し農学の専攻を志した。 渡米後の板野は、最初に飲食店やホテルで働いて、学費を稼ぎながらドイツ語とラテン語を勉強した。
池田 亮次(いけだ りょうじ、1886年〈明治19年〉3月1… 池田 亮次(いけだ りょうじ、1886年〈明治19年〉3月16日 - 1972年〈昭和47年〉3月28日)は日本の研究者・実業家である。日立製作所常務。後、第二次世界大戦中の統制会理事長。日本エレベーター(現:日本ケーブル)代表取締役。広島県福山市出身。 1886年(明治19年)、広島県深安郡山野村(現:福山市)で生まれる。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1905年(明治38年)第六高等学校二部乙類に進学、1909年(明治42年)6月、同校を卒業し、東京帝国大学工学部電気科へ進学した。1912年(明治45年)同大学を卒業後、日立製作所へ就職した。 帝大卒業後、日立製作所へ入社したが、これは当時、創業したばかりの日立製作所(創業:1910年・明治43年)の社長であった小平浪平の影響が大きかった。