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栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27… 栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の内務官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第13代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 呉第一中学校、第一高等学校を経て1943年(昭和18年)9月、東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験(高文)行政科に首席で合格し内務省に入省するが、短期現役海軍法務科士官を志願し帝国海軍へ。南方戦線へ従軍し、海軍法務大尉として1945年(昭和20年)8月の終戦を迎える。終戦後も、現地で戦犯の特別弁護人を務め、復員が1948年(昭和23年)まで遅れた。 復員後は官僚に戻らず、弁護士となったが、1950年(昭和25年)に総理府事務官となり、1951年(昭和26年)9月、警察予備隊(保安隊を経て陸上自衛隊)に入隊し、警察士長(陸軍少佐・三等陸佐に相当)に任じられる。
清水 芳人(しみず よしと、1912年(明治45年)6月 -… 清水 芳人(しみず よしと、1912年(明治45年)6月 - 2008年)は、日本海軍の軍人。 海兵60期。最終階級は海軍少佐。戦艦大和の沖縄特攻に従事した乗組員における生存者の一人だった。 広島県呉市出身。早くして両親を失い、兄弟と共に東京の親戚宅に身を寄せるが、関東大震災で被災し再び呉に戻る。 1925年、広島県立呉中学校(在学中に広島県立呉第一中学校へと改称、現広島県立呉三津田高等学校)に入学し、引き続き規定よりはやく飛び入学で4年から[要出典]海軍兵学校に60期生として入学。 卒業後練習艦隊の「八雲」で渡米したことを皮切りに、「高雄」「扶桑」「五十鈴」「妙高」「呉竹」「江風」「三日月」「追風」「朝雲」「大鯨」「龍田」「磐手」といった様々な艦に勤務した。
梶本 顗(かじもと しずか、1908年(明治41年)6月25… 梶本 顗(かじもと しずか、1908年(明治41年)6月25日 - 1987年(昭和62年)10月8日)は、日本の海軍軍人。 最終階級は海軍中佐。名は「覬」と表記される場合がある。 1908年(明治41年)6月25日、現在の広島県江田島市鷲部に、父・藤市と母・スギの9人兄弟の末っ子として生まれる。旧制呉中学校(現・広島県立呉三津田高等学校)を経て、1925年(大正14年)4月、海軍兵学校に第56期生として入学、1928年(昭和3年)3月卒業。 装甲巡洋艦「八雲」、重巡洋艦「青葉」、航空母艦「赤城」その他に乗組、1930年(昭和5年)中尉に任ぜられる。その後、駆逐艦「菊」砲術長、駆逐艦「朝顔」、防護巡洋艦「対馬」、吹雪型駆逐艦「白雪」への乗組を経て、1934年(昭和9年)、海軍水雷学校高等科に学び、同年大尉に任ぜられる。