スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
樫原 沙紀(かたぎはら さき、2001年11月12日 - )… 樫原 沙紀(かたぎはら さき、2001年11月12日 - )は、日本の陸上競技選手。中距離走と長距離走の大会に出場している。 広島県呉市立昭和中学校、広島県立呉三津田高等学校、筑波大学体育専門学群卒業。 昭和中では第43回全日本中学校陸上競技選手権大会において1500mで初優勝を果たし、呉三津田高校1年の時の全国高等学校総合体育大会陸上競技大会1500mが全国大会初出場である。 2020年より4年連続で日本陸上競技選手権大会に1500mで出場、2022年と2023年には800mでも出場している。 2023年には日本学生陸上競技個人選手権大会女子1500mにて優勝を果たした。同年のワールドユニバーシティゲームズ日本代表に女子1500mで選出され、5位に入った。
平﨑 貴昭(ひらさき たかあき、1990年7月13日 - )… 平﨑 貴昭(ひらさき たかあき、1990年7月13日 - )は、NHKの記者、元アナウンサー。 広島県呉市出身。広島県立呉三津田高等学校を経て、大阪大学法学部に進学。大学卒業後の2013年にNHK入局。 山口異動後に結婚などを経験したことを踏まえ、2022年度に山口の地域職員となり、2024年度からは希望してアナウンスグループから報道グループに移って記者に転身し、周南支局勤務となった。
中下 征樹(なかした まさき、1986年2月25日 - )は… 中下 征樹(なかした まさき、1986年2月25日 - )は、広島県出身のサッカー指導者。 呉三津田高校を卒業。筑波大学・筑波大学大学院に在学中、U-17日本代表のテクニカルスタッフとしてAFC U-16選手権2008 (予選)やAFC U-16選手権2008、2009 FIFA U-17ワールドカップでチームに帯同した。 2010年、ジュビロ磐田のアシスタントコーチに就任。 2014年、サンフレッチェ広島のコーチに就任。 2019年1月、日本サッカー協会テクニカルスタッフに就任。
竹中 知華(たけなか ともか、1982年1月19日 - )は… 竹中 知華(たけなか ともか、1982年1月19日 - )は、ラジオ沖縄(ROK)のアナウンサー。広島県呉市出身 広島県立呉三津田高等学校、広島工業大学電子光システム工学科卒業。青森朝日放送アナウンサー、岩手朝日テレビリポーター、NHK沖縄放送局キャスター、2015年4月からフリーアナウンサーに転向。2017年10月にラジオ沖縄に入社。 本人曰く、小学生の頃から足が速く、学校の中では女子で一番だったとのこと。中学生時代は陸上部に、高校生時代は自然好きであることから山岳部に、それぞれ入部。大学生時代のサークルはグリークラブに入り、アカペラをやっていた。 アナウンサーを目指すきっかけになったのは、大学生時代にやっていたイベントコンパニオンのアルバイトで、イベント会場に居た司会者の人が輝いているように見えたという。
ゆりん(1981年6月18日 - )は、日本の声優、元タレン… ゆりん(1981年6月18日 - )は、日本の声優、元タレント。本名:内藤 千晶(ないとう ちあき)。アクセント所属。広島県呉市出身。広島県立呉三津田高等学校を経て、青山学院大学文学部卒。身長168cm。
髙村 佳子(たかむら けいこ、1979年3月6日 - )は、… 髙村 佳子(たかむら けいこ、1979年3月6日 - )は、日本の著者。 広島県出身。広島県立呉三津田高等学校を経て、広島大学大学院博士課程前期(造形芸術教育学専修)修了。
越智 俊之(おち としゆき、1978年3月9日 - )は、日… 越智 俊之(おち としゆき、1978年3月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官。全国商工政治連盟の組織内候補。 江田島市出身。1996年、広島県立呉三津田高等学校卒業。2001年、法政大学工学部土木工学科卒業。同年、三興建設株式会社に入社。2009年5月、同社の台湾事業所にあたる台湾良環工程股分有限公司の総経理を務める。2010年、三興建設株式会社専務取締役就任。2021年、株式会社ご安航代表取締役就任。 同年7月の第26回参議院議員通常選挙で、自由民主党は比例代表に特定枠2人を含め計33人の候補者を擁立。比例から立候補した越智は118,710票を得票。
原田 佳子(はらだ けいこ、1973年6月30日 - )は、… 原田 佳子(はらだ けいこ、1973年6月30日 - )は、関東地方を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。 広島県呉市出身。10歳のときにラジオ番組にリクエストはがきを投稿し、それが読まれたのをきっかけにラジオDJに憧れを抱くようになる。 広島県立呉三津田高等学校と福岡大学を卒業後、株式会社リクルートに入社。同社で営業職を経験した後に放送業界へ転身し、2003年にNHK鳥取放送局の契約キャスターになる。そして2004年6月1日に岩手朝日テレビ (IAT) に入社し、2007年3月31日まで同局のアナウンサーを務めた。局アナ時代には報道記者も兼務していた。 その後、結婚を機にフリーアナウンサーへ転向。
永田 周太郎(ながた しゅうたろう、1971年1月31日 -… 永田 周太郎(ながた しゅうたろう、1971年1月31日 - )は、日本の美術デザイナー。緑山スタジオ・シティ代表取締役社長。広島県呉市出身。 幼稚園から高校までは呉市。呉三津田高等学校卒業後、広島大学工学部に進学しドイツ建築について学んだ。同大学院博士課程前期まで一貫して建築意匠学について学ぶ。 1995年、広島大学大学院工学研究科博士課程前期修了。就職を考えた時は東京に行こうとは思っていなかったが、「テレビ局でデザインの仕事ができるのが東京のキー局しかなくて、また採用を行っていたのがTBSしかなかった。TBSの採用時期が当時4月で、他の企業より早く、TBSに受かってしまったから他は受けなかった」とインタビューで述べている。
福田 光男(ふくだ みつお、1967年6月30日 - )は、… 福田 光男(ふくだ みつお、1967年6月30日 - )は、NHKのチーフアナウンサー。 広島県立呉三津田高等学校を経て東京理科大学工学部卒業後、1992年入局。主に大相撲中継などのスポーツ中継で活躍してきた。
空本 誠喜 (そらもと せいき、1964年〈昭和39年〉3月… 空本 誠喜 (そらもと せいき、1964年〈昭和39年〉3月11日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、衆議院環境委員会理事を務めた。 広島県安芸郡音戸町藤脇(現:呉市)出身。広島県立呉三津田高等学校、早稲田大学理工学部卒業。 1989年、東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻 修士課程修了。 1992年、東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻 博士課程修了、博士(工学)を取得。 1991年~1993年、日本学術振興会の特別研究員を兼務。 1993年、東芝に入社し、原子力事業部に配属される(2001年6月まで)。 1994年、応用物理学会より放射線賞(奨励賞)を授与される。 1998年、旧自由党の国会議員一般公募に合格。
仲正 昌樹(なかまさ まさき、1963年2月22日 - )は… 仲正 昌樹(なかまさ まさき、1963年2月22日 - )は、日本の思想史家。専門は、政治思想史・社会思想史・社会哲学。学位は、博士(学術)(東京大学・1996年)。金沢大学人間社会学域法学類教授。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)元信者。元世界日報記者。2025年3月の統一教会に対する解散命令決定を受け、教団関係者とともに解散命令反対運動に携わっている。 広島県呉市出身。呉市立吉浦中学校を経て、1981年に広島県立呉三津田高等学校を卒業。同年、東京大学教養学部理科I類に入学。1984年、東京大学教育学部に進学。その後、西ドイツに渡る。大学時代は堀尾輝久に師事、卒業論文のテーマはシュライエルマッハーとルソー。
飯田 史彦 (いいだ ふみひこ、1962年6月3日 - )は… 飯田 史彦 (いいだ ふみひこ、1962年6月3日 - )は、日本の経営学者、コンサルタント、スピリチュアル・カウンセラー、精神世界・スピリチュアル系の著作家、講演家、音楽療法家。専攻は人事管理論、企業文化論、経営戦略論。「いのち作家」を名乗っている。福島大学元教授。広島県竹原市出身。飯田史彦スピリチュアル・ケア研究所「光の学校」を運営。主著は『生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える』(PHP研究所、1996年)。 宗教学者の島薗進は、Googleの検索結果、ネット上の情報から、飯田はスピリチュアル・カウンセラーを自称する江原啓之と近い存在として受け止められていることがうかがわれ、そのメッセージの内容も似ていると指摘している。
日浦 孝則(ひうら たかのり、1960年1月17日 - )は… 日浦 孝則(ひうら たかのり、1960年1月17日 - )は、日本のシンガーソングライター。広島県東広島市出身。インディーズレーベルPaperisland Records所属。元classのメンバー。 広島県東広島市安芸津町風早にある大芝島で蜜柑栽培などを営む兼業農家に生まれ育つ。 少年期にフォークソングブームの洗礼を浴び、吉田拓郎に憧れる。二光の通信販売でギターを購入してコピーを始めた。広島県立呉三津田高等学校入学後、ロックに傾倒、アコースティック・ギターからエレキギターに持ち替えてロックバンドを結成し、洋楽のコピーなどを演奏していた。高校卒業後、京都の立命館大学理工学部電気工学科に進学。19歳の時、高校の後輩に誘われ吉田拓郎の篠島のコンサートに行く。
三谷 光男(みたに みつお、1959年6月16日 - )は、… 三谷 光男(みたに みつお、1959年6月16日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣補佐官(野田第3次改造内閣)、財務大臣政務官兼復興大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、衆議院議員(2期)を歴任した。 広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校、大阪大学経済学部卒業。大学卒業後、松下幸之助が設立した松下政経塾に入塾する(第4期生)。 1988年に松下政経塾を卒業し、その後は広島県選出の宮澤喜一衆議院議員の秘書を務める。宮澤が小渕内閣で大蔵大臣に起用された際は大臣秘書官に就任した。宮澤の引退後は、地盤を引き継いだ宮澤洋一(宮澤喜一の甥)の政策担当秘書を務めた。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に広島5区から無所属で出馬したが、自由民主党の池田行彦に敗れた。
芳野 潔(よしの きよし、1958年4月6日 - )は、NH… 芳野 潔(よしの きよし、1958年4月6日 - )は、NHKの元シニアアナウンサー。NHK財団専門委員。 広島県立呉三津田高等学校、立教大学卒業後、1983年にNHKへ入局。 秋田放送局、室蘭放送局での勤務を経て、1990年に札幌放送局へ赴任。その後、新潟放送局、東京アナウンス室、青森放送局、広島放送局などに勤務し、スポーツ実況や報道リポーター、『なるほど経済』のキャスターなどを担当した。1993年の北海道南西沖地震発生時には札幌のスタジオから、2003年の十勝沖地震発生時には東京のスタジオからそれぞれ地震の第一報を伝える。 2009年からは日本語センターに所属し、2017年度から『ラジオ深夜便』の第1・3水曜アンカーを務める。
猿田 祐嗣(さるた ゆうじ、1957年9月4日 - )は、日… 猿田 祐嗣(さるた ゆうじ、1957年9月4日 - )は、日本の教育学者、国立教育政策研究所名誉所員。 茨城県日立市生まれ。専門は科学教育。IEA(国際教育到達度評価学会)のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)やOECD(経済協力開発機構)のPISA(生徒の学習到達度調査)等に国内調査責任者として携わり、日本の子どもたちの学力向上のための教育施策に資する調査データを提供するとともに、日本科学教育学会や日本理科教育学会において副会長や理事を歴任し、学会の発展に寄与する。 1976年広島県立呉三津田高等学校卒業。1980年広島大学理学部物性学科卒業、1985年同大学院教育学研究科博士課程後期中退、2010年「論理的思考に基づいた科学的表現力に関する研究-TIMSS及びPISA調査の分析を中心に-」で博士(教育学)(広島大学)。
明岳 周作(あきおか しゅうさく、1955年〈昭和30年〉1… 明岳 周作(あきおか しゅうさく、1955年〈昭和30年〉1月3日 - 2026年〈令和8年〉3月6日)は、日本の政治家。元広島県江田島市長(2期)。2024年11月市長選に不出馬、2024年12月4日の任期満了をもって引退した。後任は土手三生(前・副市長、無所属、推薦:自民党・公明党)。 広島県安芸郡江田島町(現・江田島市秋月)出身。1973年(昭和48年)3月、広島県立呉三津田高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、中央大学商学部卒業。同年4月、呉市役所に入庁。 2015年(平成27年)1月、呉市副市長に就任。 2016年(平成28年)7月15日、任期満了に伴う江田島市長選挙に立候補する意向を表明、同日、副市長を辞職。
古田 真美(ふるた まみ、1954年- )は、世界遺産などの… 古田 真美(ふるた まみ、1954年- )は、世界遺産などの研究者。夫の古田陽久が設立したシンクタンクせとうち総合研究機構および世界遺産総合研究所の各事務局長を務めた(1998年現在[update]–)。 広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校から青山学院大学に進学し文学部史学科を卒業する。1990年からシンクタンクせとうち総合研究機構の事務局長職につき、世界遺産総合研究所事務局長兼務(1998年–)。広島県景観審議会委員、広島県放置艇対策あり方検討会委員、NHK視聴者会議委員などを歴任する。世界の40か国約200箇所の世界遺産地を歴訪、世界遺産委員会に例年、オブザーバーとして出席してきた。
浜田 省吾(はまだ しょうご、1952年12月29日 - )… 浜田 省吾(はまだ しょうご、1952年12月29日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。広島県竹原市生まれ。広島県立呉三津田高校卒業、神奈川大学法学部中退。1975年、愛奴のメンバー(ドラムス・パーカッション)としてプロデビューし、1976年にシングル「路地裏の少年」とアルバム『生まれたところを遠く離れて』でソロデビュー。 マスコミや一部のファン等から「浜省」「ハマショー」という愛称で呼ばれている。 デビュー時からサングラスがトレードマーク。ライブを自分の音楽のよりどころと考え、アーティストはライブやCDで成立しなければならないというこだわりを持ち、直接歌を聴いてほしいとの思いから、テレビ地上波出演は4回のみで、テレビの露出に頼らず、僅かな音楽雑誌のみを唯一音楽以外のメディアとして、その歩みを全うしてきた。
清水 希茂(しみず まれしげ、1952年〈昭和27年〉2月1… 清水 希茂(しみず まれしげ、1952年〈昭和27年〉2月19日 - )は、日本の実業家、元・中国電力株式会社代表取締役会長、元・相談役。第9代中国経済連合会会長(2023年8月31日退任)。 広島県呉市出身。広島県立呉三津田高等学校を経て1974年(昭和49年)大阪大学基礎工学部卒業。同年中国電力株式会社入社。主に火力畑を歩み、各地の発電所に勤務した後、2007年(平成19年)執行役員に就任。 2009年(平成21年)常務取締役、2011年(平成23年)取締役副社長を経て、2016年(平成28年)4月取締役社長に就任。同年6月より代表取締役社長執行役員。 2021年(令和3年)12月に行われた原子力規制委員会との意見交換で、テロ対策施設の為、非公表にされている島根原子力発電所の特定重大事故等対処施設の場所を言いかけ、更田豊志委員長から注意された。
古賀 史生(こが ふみお、1951年10月4日-)は日本中央… 古賀 史生(こが ふみお、1951年10月4日-)は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター南に所属していた元調教師である。旧姓は望月。古賀末喜調教師の娘と結婚し古賀姓を名乗る。 1970年、広島県立呉三津田高等学校を卒業。浪人生活を経て翌1971年、成蹊大学法学部法律学科に入学。在学中は馬術部に所属していた。卒業後は馬に関わる仕事がしたいと思い、1975年、麻布獣医科大学獣医学部に入学。1979年に卒業し、獣医師免許を取得した。北海道の育成牧場での研修を経て1980年、JRA・美浦トレーニングセンターの斎藤籌敬厩舎で調教助手となる。1981年、古賀末喜厩舎に移籍。 1988年に調教師免許を取得し、翌1989年に厩舎開業。
末田 正雄(すえだ まさお、1951年〈昭和26年〉7月18… 末田 正雄(すえだ まさお、1951年〈昭和26年〉7月18日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在は嘱託職。 広島県立呉三津田高等学校、明治学院大学卒業後1975年入局。入局以来、長く報道関連の番組を担当した。 高校在学中に、『NHK杯全国高校放送コンテスト』で全国5位に入賞した経験をもつ。 緊急地震速報チャイムの自動音声アナウンスを担当している。末田がNHKを定年退職した後も、引き続き使用されている。 2008年で、同期の桜井洋子ともども、NHKの内規による役職定年を迎えた。同時に『NHKニュース7』を降板。 深夜のラジオニュースを担当する際、ニュースを読み上げる前に「午前0時の時報をお伝えしました。
古田 陽久(ふるた はるひさ、1951年4月24日 - )は… 古田 陽久(ふるた はるひさ、1951年4月24日 - )は、世界遺産に関する研究者で、自身が設立したシンクタンクせとうち総合研究機構から刊行されている著書をはじめ、多数の著書がある。1998年に世界遺産総合研究所を設立し、所長となっている。 山口県萩市を本籍に広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部卒業。15年間の総合商社勤務(日商岩井(現:双日))を経て、1990年(平成2年)シンクタンクせとうち総合研究機構を設立。1995年(平成7年)11月に、それまで資料の少なかったユネスコの「世界遺産」に関するデータを『世界遺産データ・ブック』(シンクタンクせとうち総合研究機構発行)として出版、朝日新聞の全国版(1995年12月14日朝刊大阪本社版では「生活予報」、東京本社版では「世界遺産ひと目で 140カ国、440件紹介」)で紹介される[要出典]。
山田 眞次郎(やまだ しんじろう、1949年12月3日 - … 山田 眞次郎(やまだ しんじろう、1949年12月3日 - )は日本の企業家、インクス(現SOLIZE)の創業者。 広島県出身。広島県立呉三津田高等学校を経て、1974年に青山学院大学理工学部機械工学科を卒業。同年、三井金属鉱業株式会社に入社し、自動車用ドアロックの設計に従事。1990年三井金属鉱業株式会社退社、同年株式会社インクスを設立。2008年、インクスは受注が決まっていた2社40億円のコンサルティングがリーマンショックの影響で取り消されたことにより、入居していた新丸の内ビルディングの年間家賃15億円が払えなくなり、三菱地所にビルからの退去を通告したが、定期借款契約だったため、契約期間の残りの家賃として約200億円を要求され退去もできず、2009年5月までには資金繰りに窮する状況に追い込まれた。
甲賀 真理子(こうが まりこ、1949年7月30日 - )は… 甲賀 真理子(こうが まりこ、1949年7月30日 - )は、日本のファッションデザイナー。広島県豊田郡安浦町(現・呉市)出身。広島県立呉三津田高校 - 東京学芸大学中退。1973年、文化服装学院卒業。 1974年、ニコル入社。ニコルブランド担当デザイナーとなる。1979年、ZELDA(ゼルダ)のチーフデザイナーに就任。年2回のコレクションを発表。1986年、同社取締役。ゼルダをMARIKO KOUGAと改め、1989年、マリコ・コウガ・アールを発表。1998年、ニコルを退職し、(株)マリコ・コウガを設立した。 ソワール(「MARIKO KOUGA Fil Dore」)やワールド(「LAMiAViTA」)などの数多のプロジェクトにて指揮やライセンス事業を手掛けてきたほか、日本を代表するファッションデザイナーとして東京ファッションデザイナー協議会とともに若手クリエイターの支援などにも取り組んでいる。
池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 - )… 池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 - )は、広島県呉市出身の脚本家。 広島県立呉三津田高等学校を経て、1970年、明治大学政治経済学部卒業。高校時代から演劇部に入り、脚本作りに熱中していた。大学在学中からシナリオ作家協会主催の「シナリオ研究所」(現在の「シナリオ講座」)に通い、卒業後は竜の子プロダクションに半年勤務。その後は営業職など職を転々とし、今村昌平の脚本助手となり、今村監督の映画『復讐するは我にあり』(1979年、松竹/今村プロ)、『楢山節考』(1983年、東映/今村プロ)の第1稿を手がけた。 1984年、テレビドラマ脚本『私を深く埋めて』(TBS)『羽田浦地図』(NHK)『危険な年ごろ』(読売テレビ)の三作品で第3回向田邦子賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞し脚光を浴びる。
小早川 正昭(こばやかわ まさあき、1944年12月13日 … 小早川 正昭(こばやかわ まさあき、1944年12月13日 - )は、日本の男性アナウンサー、タレント、声優、ナレーター。あどりぶ所属。
芝 清(しば きよし、1940年 <昭和15年> - 202… 芝 清(しば きよし、1940年 <昭和15年> - 2021年 <令和3年> 7月4日)は、日本の政治家。無所属。広島県議会議員(5期)、広島県議会副議長、東広島市議会議員(3期)を歴任。位階は正五位。旭日中綬章受章者。 1940年生まれ。広島県立呉三津田高等学校卒業。東洋工業(現・マツダ)勤務。 1979年 東広島市議会議員に初当選し、3期12年務めた。 1995年 (平成7年) 広島県議会議員に初当選。2011年5月から林正夫議長とともに県議会副議長。2012年7月 副議長退任。総務委員長2回、県監査委員などを歴任。連続5期20年務めた。 2021年7月死去。
岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月… 岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月1日 - )は、日本の官僚。厚生事務次官を経て、収賄罪で懲役。出所後、ウィーティービーフーズ株式会社を設立し、同社社長や会長を務める。 広島県呉市出身。呉海軍工廠に勤務していた父親が、岡光1歳の時に亡くなり、親ひとり子ひとり、女手ひとつで育てられ、苦学して広島県立呉三津田高等学校に進学、東京大学法学部卒業後、1963年(昭和38年) 厚生省に入省した。社会局援護課に配属された。厚生省を選んだ理由は、子供の頃、呉の実家近くに岸信介らが設立した東洋パルプの工場があり、大量の汚水を瀬戸内海に流す光景が頭から離れず、豊かで美しい瀬戸内海を取り戻したいという思いからだという。
碓井 優(うすい ゆたか、1935年5月7日 - )は、日本… 碓井 優(うすい ゆたか、1935年5月7日 - )は、日本の実業家。広島県呉市長迫町出身。石川島播磨重工業(IHI)のコンピュータ外販部門のリーダーだった1981年、79人の仲間を率いて同社を集団退社。『コスモ・エイティ』を興して大きな注目を浴び、日本のベンチャー草分けとなった。[要出典] 広島県立呉三津田高等学校野球部で広岡達朗の後輩。1学年上の小畑正治(元南海)後の剛球エースとして1952年、選抜大会選考に繋がる秋季中国地区大会決勝まで進むが、柳井高校に自身の悪送球で延長サヨナラ負けし甲子園出場は成らなかった。阪神と南海のスカウトが来たが関西大学に進学。しかし父親の会社が負債を抱え倒産。やむなく野球は諦め数日だけの大学生活を終え、父の友人だった呉市長・鈴木術の口利きで呉造船所(のち合併し石川島播磨重工業(IHI))に入社した。
小畑 正治(こばた まさはる、1934年4月3日 - 202… 小畑 正治(こばた まさはる、1934年4月3日 - 2025年1月22日)は、広島県呉市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 呉三津田高校では、1951年の春の甲子園に出場。1回戦で明治高校と対戦するが、11回延長の末1-4で敗れた。高校の先輩に広岡達朗、1学年下には実業家の碓井優がいる。 1951年に呉市出身で南海ホークスの監督であった鶴岡一人が視察に訪れ、スカウトされるが、もともと大学進学を志望しており、プロ野球界へ進むつもりがなかった。しかし、大日本帝国海軍であった父親が退役し、健康状態も悪く働くことが困難な状態で、経済的に大学進学を断念、両親や兄姉を金銭面で支えるため、悩んだ末に、卒業後の予定を繰り上げ、高校を中退し、南海ホークスに入団することにした。
石橋 康正(いしばし やすまさ、1934年(昭和9年)2月2… 石橋 康正(いしばし やすまさ、1934年(昭和9年)2月24日 - )は、日本の皮膚科医。東京大学名誉教授。東京逓信病院名誉院長。 1934年、広島県豊田郡安芸津町(現東広島市)に生まれた。1952年広島県立呉三津田高等学校卒業。同年東京大学入学。1955年医学部医学科入学。1960年同卒業。同年生物系研究科大学院に入学。1964年東京大学医学博士。論文の題は「色素異常を中心とする癩性皮疹に於ける病理組織学的研究」。 1964年10月、東京大学付属看護学校講師。1965年茨城県立中央病院皮膚科医長。1966年、東京大学助手。同年11月、西ドイツ・ボン大学皮膚科(Prof. Reinbrock)留学。
保田 博(やすだ ひろし、1932年5月14日 - )は、日… 保田 博(やすだ ひろし、1932年5月14日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官、初代国際協力銀行総裁。 広島県呉市(江田島)出身。父は呉海軍工廠技官。呉市立二河国民学校を経て、呉第一中学校(のちの呉三津田高校)入学。高校時代テニス選手で広島県ベスト4だったが、肋膜炎を患い高校3年夏に休学。翌年、留年に直面し下級生の組に編入されるのがイヤで都立日比谷高校の編入学試験に挑戦し合格した。日比谷高へ転校した後、東京大学文一入学。 東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業後、法学部第1類(私法コース)へ内部学士入学し、国家六級職試験を通り、1957年、大蔵省入省。入省同期に、次官候補のライバルだった的場順三(内閣官房副長官、国土事務次官、内閣官房内閣内政審議室長)、内海孚(財務官)、森田一(衆議院議員、運輸大臣)、大山綱明(日本関税協会理事長、全国清涼飲料連合会会長、関税局長)、中田一男(OMCカード会長、北海道開発次官)、亀井敬之(泉州銀行頭取、大臣官房審議官)、山崎高司(日本総研副理事長、IMF理事、駐英公使)など。
森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17… 森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17日 - 1989年〈平成元年〉12月11日)は、日本の俳優、男性声優。本名同じ。 満洲国哈爾浜市出身。明治大学英文学科卒業。 第二次世界大戦まで満洲国で過ごし、戦後は広島県に引き揚げて広島県立呉三津田高等学校を卒業。 明治大学入学後は、のちに俳優となる金内吉男たちと演劇活動を行い、大学卒業後の1952年に東京演技研究所に入所。その後は、劇団現代派、劇団中芸を経て1961年に劇団演劇座に所属する。東京芸術座、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、劇団四季、タドポール企画、プロダクションエム・スリー、モリヤマ企画、エムワイ企画、MOU企画、大沢事務所にも所属していた。
広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭… 広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭和7年〉2月9日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを経て現在は野球評論家。愛称は「ヒロ(さん)」。 実兄・広岡富夫は公務員(広島県庁)からプロ入りした異色の経歴を持ち、広島市民球場第1号本塁打を打った広島カープの元選手である。 辛辣で歯に衣をきせない一面があり、古巣である巨人に対しても批評を下すことがある。 1932年2月9日、広島県呉市にて6人兄弟(男5人、女1人)の末っ子として生まれる。
天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日… 天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日本の小説家、文芸・SF評論家。日本の著名な同人作家。 本名、渡辺晋(わたなべ すすむ)。 広島県呉市に生まれる。旧制呉一中(現広島県立呉三津田高等学校)2年生のとき、学徒動員先の呉海軍工廠から自宅に戻って就寝中に被爆。 1961年3月、岡山大学大学院医学研究科内科学課程修了。医師。医学博士。本名でのSFファン活動も行い、SF同人誌「宇宙塵」では初期からの同人。また自身でも同人誌「イマジニア」を主宰していた。「SFマガジン」にコラムを連載したこともある。1969年8月には「日本SFファンダム賞」受賞。 2004年5月、広島ペンクラブ副会長。
長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4… 長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4月4日 ‐ 2007年8月31日)は広島県呉市出身の作家、海上自衛官、暗号研究者。日本暗号協会会長(1986年8月~)。 呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業後、1945年に海軍兵学校予科(第78期、昭和20年4月入校)に入校するが、終戦により閉校となる。1954年広島大学文学部哲学科を卒業。1955年防衛庁暗号専門機関に入り、暗号理論の研究及び解読に従事。1965年海上自衛隊暗号専門部隊に転じ、通信保全業務隊司令となり1983年1等海佐で退職した。 1986年8月日本暗号協会を設立し初代会長。暗号に造詣が深く、暗号関係の著作は1964年から刊行しており多数。
池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月… 池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月2日 - 2020年(令和2年)9月18日)は、日本の銀行家。ジェーシービー (JCB) 元社長。広島県出身。 1952年京都大学法学部卒業。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)入行。1976年取締役、1978年常務を経て1982年、谷村隆に引き抜かれ株式会社ジェーシービー (JCB) 専務に転じる。国際化に打って出た同社は、谷村-池内の師弟コンビで、日本初唯一のクレジットカード国際ブランドを確立した。1984年副社長、1990年社長。東京ディズニーランドオフィシャルカードやアッパープレミアムカード「ザ・クラス」、若年層向けゴールドカード「ネクサス」発行や「JCBプラザ」設立に尽力、北海道拓殖銀行の経営破綻時には、同行直系のカード会社エイチ・シー・ビー(HCB)を俊敏に子会社化した。
岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 200… 岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、日本の医学者(細胞工学)、医師。位階は従三位。勲等は勲一等。大阪大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪大学微生物病研究所教授、大阪大学細胞工学センターセンター長、財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長などを歴任した。 広島県呉市出身の細胞生物学者である。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニアとして知られている。大阪大学名誉教授。 大阪大学微生物病研究所助手となった後の1955年、ウイルスをがん細胞に注射したところ、見たこともない巨大細胞ができた。「生物の細胞は互いに細胞膜で隔てられ、受精などを除いて合体はありえない」という生物学の常識を覆す大発見の瞬間だった。
井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 201… 井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 2014年9月20日)は、日本の哲学者。博士(学術)(論文博士・1996年)。東京大学名誉教授。古代ギリシア哲学が専門だが、言語哲学や自然科学との関係の上に哲学研究を行った。2006年瑞宝中綬章受勲。 広島県呉市生まれ。広島県立呉第一中学校を経て、1943年、第一高等学校に入学。田中小実昌は呉第一中学の同級。1945年春、戦中の特例で2年で一高を卒業し、東京大学法学部政治学科に入学。1948年、法学部を卒業後、文学部哲学科に入学。出隆の指導のもと今道友信や加藤信朗の後輩として古代哲学を専攻、同大学院特別研究生満期退学。1957年、東京大学教養学部専任講師となる。
田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月… 田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月29日 - 2000年〈平成12年〉2月26日)は、日本の小説家、翻訳家、随筆家。直木賞・谷崎潤一郎賞受賞。 東京市千駄ヶ谷生まれ。父・田中種助はバプテストの神学校を出た東京市民教会の牧師。40歳の種助と46歳の母・マサ子の長男として生まれる。父の転勤で4歳から広島県呉市東三津田町で育つ。7歳のとき、父が呉三津田の山に「アサ会」という十字架のない独自のキリスト教教会を創立。 実家近くの広島県立呉第一中学(現・呉三津田高校)を受験するが失敗し、旧制西南学院中学に入学。母親の意向で一年後に呉第一中学の編入試験を受け2年から転校した。同級に井上忠。
山野 正登(やまの まさと、1925年(大正14年)1月1日… 山野 正登(やまの まさと、1925年(大正14年)1月1日 - 2012年(平成24年)8月15日)は、日本の元官僚。科学技術事務次官。宇宙開発事業団理事長。通商産業省にて日本初の民間輸送機YS-11の開発事業等、航空機の開発行政に従事、科学技術庁にて宇宙開発委員会の発足・宇宙開発事業団の創設等、主に宇宙開発事業草創期の礎を築くとともに、宇宙開発事業団では自主技術である純国産大型ロケットH-IIの打ち上げ成功・国際宇宙ステーション計画の推進等、日本の宇宙開発を欧米先発国と肩を並べるまで導いた功労者のひとり。 広島県江田島市出身。呉第一中学校、旧制第六高等学校を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学第二工学部航空機体学科に入学、終戦により航空機体学科が解体されたため、1947年(昭和22年)物理工学科を卒業した。
柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 20… 柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 2017年3月5日)は、日本の画家、随筆家。 広島県呉市に生まれる。広島県呉第一中学校、東京美術学校(東京藝術大学の前身校の一つ)油絵科卒業。卒業後、同級生であり画家の伊能由利子と結婚。 黒澤映画美術助手となる。東宝「生きる」「静華命」「安五郎出世」などを担当。 1952年、長男誕生後に川崎市立住吉中学校美術教師となる。 1960年、親友のアメリカ人夫妻と3人でヨット旅行に出発。アムステルダムから運河をたどってヨーロッパを縦断、地中海、バミューダ諸島などを経て大西洋を横断、アメリカ合衆国ニューポートまでの10ヶ月に及ぶヨットの旅だった。この旅が転機となり「ヨットと海」を描きはじめる。
稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1… 稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1982年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 広島県呉市生まれ。1939年に広島県立呉第一中学校を卒業し、広島高等学校文科に進学。同校2年生だった1940年の夏、東京中野在住だった兄の家に滞在していたときに、隣家に住んでいた宝月圭吾を紹介され、進学先の相談をしたところ、東京帝国大学を勧められ、同大学への進学を決めたという。1942年に高校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に永原慶二、安田元久、山口啓二らがいる。翌年、海軍に入隊し、その間の1944年9月に卒業。1947年、東京帝国大学大学院を退学。 同年、東京帝国大学史料編纂所に入所、1966年助教授、1969年教授。
小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年(大正9年)9月… 小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年(大正9年)9月18日 - 1995年(平成7年)12月23日)は、広島県出身の通産官僚。通商産業事務次官。神戸製鋼会長。位階は従三位。勲一等瑞宝章。 呉第一中学、広島高等学校文科乙類、東京帝国大学法学部卒業。1944年軍需省入省、整備局配属。戦後は通商産業省へ移り、広島通産局、鉄鋼局鉄鋼政策課、企業局企業第一課勤務を経て、1953年外務省経済局スターリング課に出向、1955年-1960年在西ドイツ大使館一等書記官としてボンに駐在。帰国後ヨーロッパ経済の実情を『小松レポート』にまとめ論客として登場した。 通商局国際経済課長、重工業局産業機械課長、企業局企業第一課長、大臣官房総務課長、通商局国際経済部長(1968年~1971年)、官房長(1971年6月~1972年5月)、通商局長(1972年6月~、次の和田敏信局長で通商政策局と改組)、初代産業政策局長(1973年7月~、企業局から改組)を経て、事務次官(1974年11月~1976年7月)。
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27… 栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の内務官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第13代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 呉第一中学校、第一高等学校を経て1943年(昭和18年)9月、東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験(高文)行政科に首席で合格し内務省に入省するが、短期現役海軍法務科士官を志願し帝国海軍へ。南方戦線へ従軍し、海軍法務大尉として1945年(昭和20年)8月の終戦を迎える。終戦後も、現地で戦犯の特別弁護人を務め、復員が1948年(昭和23年)まで遅れた。 復員後は官僚に戻らず、弁護士となったが、1950年(昭和25年)に総理府事務官となり、1951年(昭和26年)9月、警察予備隊(保安隊を経て陸上自衛隊)に入隊し、警察士長(陸軍少佐・三等陸佐に相当)に任じられる。
清水 芳人(しみず よしと、1912年(明治45年)6月 -… 清水 芳人(しみず よしと、1912年(明治45年)6月 - 2008年)は、日本海軍の軍人。 海兵60期。最終階級は海軍少佐。戦艦大和の沖縄特攻に従事した乗組員における生存者の一人だった。 広島県呉市出身。早くして両親を失い、兄弟と共に東京の親戚宅に身を寄せるが、関東大震災で被災し再び呉に戻る。 1925年、広島県立呉中学校(在学中に広島県立呉第一中学校へと改称、現広島県立呉三津田高等学校)に入学し、引き続き規定よりはやく飛び入学で4年から[要出典]海軍兵学校に60期生として入学。 卒業後練習艦隊の「八雲」で渡米したことを皮切りに、「高雄」「扶桑」「五十鈴」「妙高」「呉竹」「江風」「三日月」「追風」「朝雲」「大鯨」「龍田」「磐手」といった様々な艦に勤務した。
布施 健(ふせ たけし、1912年〈明治45年〉3月21日 … 布施 健(ふせ たけし、1912年〈明治45年〉3月21日 - 1988年〈昭和63年〉2月25日)は、日本の検察官。 ロッキード事件時の検事総長(在任期間:1975年1月25日 - 1977年3月20日)。旧姓は小橋。現在の岡山県備前市香登出身。法曹界では「フセケン」の愛称で親しまれた。 元は田舎の百姓の身分であり、中学に入る12歳の時に広島県の布施家の養子となる。広島県立呉第一中学校(現・広島県立呉三津田高等学校)、旧制第六高等学校を経た布施は、海軍士官に憧れて兵学校に進学しようと考えていたが、養父から弁護士を勧められ、1935年(昭和10年)に司法試験を受けて合格。1936年(昭和11年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、1937年(昭和12年)に検事に任官した。
梶本 顗(かじもと しずか、1908年(明治41年)6月25… 梶本 顗(かじもと しずか、1908年(明治41年)6月25日 - 1987年(昭和62年)10月8日)は、日本の海軍軍人。 最終階級は海軍中佐。名は「覬」と表記される場合がある。 1908年(明治41年)6月25日、現在の広島県江田島市鷲部に、父・藤市と母・スギの9人兄弟の末っ子として生まれる。旧制呉中学校(現・広島県立呉三津田高等学校)を経て、1925年(大正14年)4月、海軍兵学校に第56期生として入学、1928年(昭和3年)3月卒業。 装甲巡洋艦「八雲」、重巡洋艦「青葉」、航空母艦「赤城」その他に乗組、1930年(昭和5年)中尉に任ぜられる。その後、駆逐艦「菊」砲術長、駆逐艦「朝顔」、防護巡洋艦「対馬」、吹雪型駆逐艦「白雪」への乗組を経て、1934年(昭和9年)、海軍水雷学校高等科に学び、同年大尉に任ぜられる。