スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
神垣 和他(かみがき かずなり、1999年10月8日 - )… 神垣 和他(かみがき かずなり、1999年10月8日 - )は、広島県出身の日本の柔道選手である。階級は100kg級。身長177cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股。 柔道は6歳の時に広柔道教室で始めた。熊野東中学3年の時には全国中学校柔道大会90㎏超級で5位になった。崇徳高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の団体戦で3位となった。3年の時にはインターハイ100㎏級で3位、団体戦では決勝で桐蔭学園高校に敗れて2位だった。2018年には明治大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで3位だった。2年の時には全日本ジュニアで優勝した。世界ジュニアでは決勝でヨーロッパジュニアチャンピオンであるジョージアのイリア・スラマニゼと対戦して技ありを先取するも、終了間際に技ありを取り返されるが、GSに入ってから再び技ありを取り合技で破って優勝を飾った。
香川 大吾(かがわ だいご、1997年2月9日 - )は、広… 香川 大吾(かがわ だいご、1997年2月9日 - )は、広島県出身の、日本の柔道家である。階級は100kg超級。身長180cm。体重130kg。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は大外刈。愛称はドカベン。 柔道は7歳の時に可部道場で始めた。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。 可部中学から崇徳高校に進むと、2年の時にはインターハイ個人戦の100kg超級初戦で静岡学園高校の佐藤和哉に大内返で敗れた。しかし、団体戦では決勝で対戦した岡山県の作陽高校を含めて6戦全てを一本勝ちして、チームの初優勝に貢献した。2014年3月には全日本選手権の中国予選に出場すると、高川学園高校の田中源大を破るなどして優勝を飾り、昨年の佐藤に続く、高校生での全日本選手権出場を2位の田中とともに果たすことになった。
下和田 翔平(しもわだ しょうへい、1990年10月25日 … 下和田 翔平(しもわだ しょうへい、1990年10月25日 - )は、広島県出身の日本の柔道家である。階級は100kg級。身長192cm。血液型O型。段位は四段。組み手は右組み。得意技は大外刈。2021年3月まで京葉ガスに所属していた。。 柔道は7歳の時に八本松柔道教室で始めた。西条中学から崇徳高校に進むと、3年の時にはインターハイの100kg級で修徳高校3年の岩尾敬太に有効で敗れるも3位となった。なお、高校の1年先輩には後に無差別で世界チャンピオンになる上川大樹がいた。2009年に日本体育大学へ進学すると、優勝大会では1年から4年連続で5位にとどまった。体重別団体では1年から3年連続で5位だったものの、4年の時には3位となった。
木戸 慎二(きど しんじ、1990年10月2日 - )は、日… 木戸 慎二(きど しんじ、1990年10月2日 - )は、日本の柔道家。広島県出身。階級は60kg級。身長162cm。組み手は左組み。段位は二段。血液型はB型。得意技は大内刈、脚三角からの縦四方固。現在は岩倉高校の教員で、柔道部の監督を務めている。 柔道は6歳の時に始めた。崇徳中学から崇徳高校に進学するが、3年の時にインターハイ60kg級でベスト16に入ったくらいで際立った活躍は見られなかった。日体大に進学すると、1年の時に全日本ジュニアで大学の1年先輩である山本浩史に内股で敗れるが2位となった。2年の時には1年後輩である伊左次雄介が付き人となり、講道館杯、グランドスラム・東京で3位になった。学生体重別では3年の時から2連覇を達成した。
上川 大樹(かみかわ だいき、1989年11月9日 - )は… 上川 大樹(かみかわ だいき、1989年11月9日 - )は、山口県山口市出身の日本の柔道家。階級は100kg超級。身長185cm、体重156kg。血液型はB型。組み手は右組み。段位は五段。得意技は足技。 5歳の時に松美柔道スポーツ少年団で柔道を始めた。山口市立良城小学校時代、2つ年下には後に73kg級の世界チャンピオンで2016年リオデジャネイロオリンピックの金メダリストとなる大野将平がいた。 山口市立鴻南中学校を経て崇徳高等学校に入学、高校3年の時にインターハイ及びジュニアの体重別を制して将来性を高く評価された。明治大学進学後も一定の成績を残すものの、首脳陣が寄せる大きな期待に見合うだけの結果は必ずしも残せているとは言えなかった。
西岡 和志(にしおか かずし、1987年11月29日 -)は… 西岡 和志(にしおか かずし、1987年11月29日 -)は広島県出身の日本の柔道家。73kg級の選手。身長は174cm。組み手は左組み。得意技は足技。 柔道は6歳の時に高宮柔道スポーツ少年団で始めた。高宮中学2年の時には全国中学校柔道大会の66kg級で3位になった。崇徳高校2年の時にはインターハイ73kg級で3位になった。3年の時にはインターハイの決勝で小杉高校2年の海老泰博を破って優勝した。全日本ジュニアでは2位、アジアジュニアでは3位だった。 明治大学に進むと、1年の時には世界ジュニアで2位となった。2年の時に優勝大会では3位、体重別団体では2位となった。学生体重別では決勝で東海大学の真野洋光を破って優勝を飾った。
河原 正太(かわはら しょうた、1983年3月28日 - )… 河原 正太(かわはら しょうた、1983年3月28日 - )は山口県出身の日本の柔道家。81 kg級の選手。身長174 cm。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は6歳の時にゆうスポーツクラブで始めた。由宇中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg級で3位になった。崇徳高校2年の時にインターハイ81kg級に出場するも、3回戦で敗れた。2001年に明治大学へ進むと、2年の時には全日本ジュニアの決勝で、この当時サンボやコンバットサンボの大会で実績を残していた変則柔道を仕掛ける早稲田大学1年の青木真也を内股と横四方固の合技で破って優勝を飾った。優勝大会では3位だった。4年の時には学生体重別で3位になった。
北川 勝広(きたがわ かつひろ、1978年5月18日 - )… 北川 勝広(きたがわ かつひろ、1978年5月18日 - )は広島県出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長は168cm。組み手は左組み。得意技は足技。 柔道は7歳の時に始めた。崇徳中学から崇徳高校へ進むと、2年の時に全日本ジュニア65kg級で2位になった。 1997年には東海大学へ進学すると、3年の時には新設された体重別団体の決勝で国士舘大学に敗れた。講道館杯66kg級の決勝では大学の5年先輩である横浜そごうの鳥居智男に敗れるも2位となった。4年の時には体重別と講道館杯で3位になった。正力杯では優勝を飾った。 2001年にはダイコロの所属となると、体重別では3位だったが講道館杯では決勝で綜合警備保障の小見川道浩を破って優勝を飾った。
岩崎 卓(いわさき たかし、1972年5月16日 - )は広… 岩崎 卓(いわさき たかし、1972年5月16日 - )は広島県出身の日本の柔道家。65kg級の選手。身長172cm。現在は流通経済大学の社会学部講師で、柔道部監督を務めている。 崇徳高校3年の時にインターハイ軽中量級で3位に入った。1991年に流通経済大学へ進むと、東京オリンピック中量級金メダリストの岡野功の指導を受けるようになった。1年の時には新人体重別の65kg級決勝で東海大学1年の中村行成に敗れて2位だった。2年の時には講道館杯で決勝まで進むが、ダイコロの丸山顕志に大内返で敗れた。選抜体重別では準決勝で世界選手権2位である東洋水産の大熊政彦を効果で破ると、決勝でも中村を巴投げの技ありで破って優勝を飾った。
森脇 保彦(もりわき やすひこ、1952年5月7日 - )は… 森脇 保彦(もりわき やすひこ、1952年5月7日 - )は、日本の柔道家(八段)。広島県出身。国士舘大学教授・柔道部長。 1952年、広島市から車で1時間程の山県郡加計町(現・安芸太田町)に生まれる。小学校1年次に父親を山の事故で亡くした事もあり、家は母と祖父が炭焼きで生計を立ててくれた。実家が山間部であったため、友人の家に遊びに行くにも山を1つ越えるという環境であったが、このため足腰が自ずと鍛えられていった。 1965年に加計町立加計中学校へ入学した森脇は、自身も体育が得意だったのに加え、前年の1964年東京オリンピックでの遠藤幸雄の活躍に憧れて、体操部への入部を希望。しかし、中学校に体操部は無かったため、将来警察官を志望していたことやテレビで見た『柔道一直線』の影響で、柔道部に入部した。
南 喜陽(みなみ よしはる、1951年9月10日 - 202… 南 喜陽(みなみ よしはる、1951年9月10日 - 2024年12月29日)は広島県広島市西区出身の日本の柔道家。身長162cm。得意技は背負投。 崇徳高校時代にインターハイを制して、卒業後は新日本製鐵広畑に入社。世界選手権では2連覇を達成してオリンピックでも金メダルが期待されるが、モントリオールオリンピックでは2回戦で敗れてメダルも取れず。現在は全日本柔道連盟の強化委員会特別委員。 2024年12月29日、姫路市の自宅で病気のため死去。73歳没。
川口 孝夫(かわぐち たかお、1950年4月13日 - )は… 川口 孝夫(かわぐち たかお、1950年4月13日 - )は、日本の柔道家。広島県広島市出身。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子63kg級金メダリスト。身長164cm。 崇徳学園中学校 - 崇徳学園高等学校 - 明治大学。5歳の時、父の営む川口道場にて柔道を始めた。崇徳高校3年時(1968年)、インターハイ軽量級にて優勝。明治大学3年時(1971年)、世界柔道選手権大会(西ドイツ)軽量級優勝。明治大学4年時(1972年)、ミュンヘンオリンピック軽量級日本代表に選ばれ、同大会で優勝し、金メダリストとなった。決勝のブイダー(モンゴル)をわずか39秒の横四方固めで破った。 現在は、広島矯正管区武道教官を務める傍ら、川口道場を継ぎ、後進の育成に当たっている。
伊志嶺 朝秋(いしみね あさあき、1949年11月4日 - … 伊志嶺 朝秋(いしみね あさあき、1949年11月4日 - )は、日本の柔道家(八段)。広島県広島市出身。得意技は大外刈、巴投げ。 広島県広島市に次男として生まれる。両親は沖縄県出身で戦時中に広島に疎開した。ルーツは沖縄である。中学校から柔道を始め、崇徳高等学校卒業後には富士製鐵広畑製鐵所に就職するも、東洋大学に入り直した。 現役時代は南喜陽、川口孝夫、園田義男と軽量級で激しく競ったが、オリンピック出場は果たせなかった。 現役引退後は指導者となり、全日本柔道連盟入りして連盟広報委員会の委員を務めており、海外での柔道指導も行っている。
山本 裕洋(やまもと やすひろ、1944年(昭和19年)1月… 山本 裕洋(やまもと やすひろ、1944年(昭和19年)1月31日 - )は、日本の柔道家、段位は8段、全日本実業柔道連盟副理事長、西日本実業柔道連盟理事長、宮崎県延岡市に在住。 広島県出身。広島市の中学校から柔道を始め、広島県立広島商業高等学校に進学して山肩敏美と出会い、崇徳高等学校に転校し学校と道場での練習を積み、3年のとき主将として全国大会初出場を果たした。 明治大学に進学後は曽根康治、神永昭夫の両指導者の下で厳しい指導を受け、全日本学生柔道選手権大会無差別級で2年連続優勝を果たした。 1967年 旭化成工業(現 旭化成)に入社し、当時衰退していた柔道部の監督に入社3年目で就任。「他社に無い練習を」をスローガンに早朝5時30分からのトレーニングを率先励行したことで徐々に部員の意欲が高揚し、会社の理解もあって、好成績が続き社内外で認められるようになり、各地から名選手が入社するようになって現在の強い柔道部が出来上がった。