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谷口 朝陽(たにぐち あさひ、2004年4月3日 - )は、… 谷口 朝陽(たにぐち あさひ、2004年4月3日 - )は、徳島県三好市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 軟式クラブチームの山城ファイターズで野球を始める。生光学園中学校ではヤングリーグに所属する硬式野球部でプレーした。 広陵高等学校に進学し、3年春の広島大会で背番号1を背負い1試合に登板したが、3年間で公式戦登板はこの1試合のみだった。2学年先輩に宗山塁と渡部聖弥、1学年先輩に林燦がいた。 その後、2022年の四国アイランドリーグplusドラフト会議にて徳島インディゴソックスから指名され入団した。 2023年、春先は二刀流に挑戦し、打撃練習や遊撃手の守備練習を行った。
宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広… 宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学1年生の時に野球を始め、小学6年生の時に広島東洋カープジュニアに選出される。中学時代は軟式の高陽スカイバンズでプレー。高校は広陵高校に進学した。広陵高校では1年生の夏からベンチ入りを果たし、その夏に背番号17、2年生の春に背番号6で、それぞれ甲子園に出場した。 広陵では1年生の秋に明治神宮野球大会に出場し、チーム自体は初戦で星稜の奥川恭伸に抑え込まれコールド負けとなったが、自身は2安打を放つ。同学年に自身と同じ2024年のドラフト会議でプロ入りした渡部聖弥がおり、寮でも同部屋であった。
渡部 聖弥(わたなべ せいや、2002年8月31日 - )は… 渡部 聖弥(わたなべ せいや、2002年8月31日 - )は、広島県府中市出身のプロ野球選手(外野手、三塁手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 府中市立南小学校で1年生の時に野球を始める。府中市立第一中学校在学時は軟式野球のクラブチームである府中野球クラブでプレーしていた。 広陵高等学校に進学し、1年秋から三塁手のレギュラーに定着。2年春の第91回選抜高等学校野球大会に出場し、2回戦まで進出した。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会で準優勝した。高校通算30本塁打。同学年に、自身と同じ2024年のドラフト会議でプロ入りした宗山塁がおり、寮でも同部屋であった。
石原 勇輝(いしはら ゆうき、2001年8月30日 - )は… 石原 勇輝(いしはら ゆうき、2001年8月30日 - )は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 呉市立川尻小学校1年生の時に川尻ヤングパワーズスポーツ少年団で野球を始め、6年生時は広島東洋カープジュニアでプレーした。呉市立川尻中学校在学時は硬式野球のクラブチームである府中広島2000ヤングでプレーした。 広陵高等学校に進学し、2年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会では背番号15でベンチ入り。同年秋の中国大会では米子東との決勝で2回途中から救援登板して7回無失点と好投し、勝利に貢献した。3年春の第91回選抜高等学校野球大会では、東邦との2回戦に救援登板するも3失点し、チームも大敗した。
河野 佳(かわの けい、2001年8月23日 - )は、兵庫… 河野 佳(かわの けい、2001年8月23日 - )は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 加古川市立神野小学校3年の時に、神野スターズでソフトボールを始める。5年の時に広島市立大州小学校に転校するが、中学進学までは同チームでソフトボールのプレーを続けていた。ポジションは捕手だった。 広島市立大州中学校に進学すると、広島南シニアで硬式野球を始める。硬式野球でも捕手を務めていたが、2年の時に肩の強さを見込まれて投手に転向。 中学卒業後は広陵高校に進学。入学当初の河野は、球速が120キロ程度に留まり制球力もなかったことから、中井哲之監督から2度の野手転向を命じられていた。
中村 奨成(なかむら しょうせい、1999年6月6日 - )… 中村 奨成(なかむら しょうせい、1999年6月6日 - )は、広島県廿日市市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 3歳の時に両親が離婚してからは、広島東洋カープの熱狂的なファンである実母の下で育った。 小学校1年時から、少年野球クラブの「大野友星」で軟式野球をスタート。3年時から捕手に転向すると、フルスイングでフライを打つという指導方針の下で、5年時から俊足と長打で頭角を現した。廿日市市立大野東中学校時代には、軟式野球のチームの「大野シニアベースボールクラブ」のメンバーとして、3年時に広島県大会で準々決勝進出を経験した。 地元の広陵高校へ進学してからは、1年春の広島県大会で、背番号「20」ながら正捕手の座を確保。
吉川 雄大(よしかわ かずき、1996年12月12日 - )… 吉川 雄大(よしかわ かずき、1996年12月12日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 広陵高等学校では3年春からエースとなり、同学年の太田光とバッテリーを組んで同年夏の第96回全国高等学校野球選手権大会に出場した。三重との1回戦で先発し、一時勝ち越しとなる本塁打を放つなど投打に活躍したが、2点リードの9回裏に同点に追い付かれ、延長11回裏に押し出し四球を与えサヨナラ負けを喫した。 東海大学に進学し、4年間でリーグ戦通算16試合に登板した。 その後JFE西日本に入社。1年目から都市対抗野球大会に登板した。 2021年10月11日に行われたドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受け、11月16日に契約金2500万円、年俸700万円で仮契約した。
太田 光(おおた ひかる、1996年10月14日 - )は、… 太田 光(おおた ひかる、1996年10月14日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 倉敷市立連島東小学校2年時に西浦少年野球から軟式野球を始め、小学5年時に捕手を始める。倉敷市立連島中学校では倉敷ドリームボーイズに所属した。 広陵高校進学後、2年秋から4番キャッチャーに定着し、3年夏は決勝で今春の甲子園に出場した広島新庄高校を破り第96回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、初戦の三重高校戦で延長11回サヨナラ負けを喫した。同期に吉川雄大がいる。 大阪商業大学では、1年春から正捕手としてレギュラーを獲得し1年春は打率1割だったが岡田明丈らをリードし、チーム防御率1.50を記録して投手陣を盛り立て、関西六大学野球リーグ優勝に貢献。
水口 拓弥(みずぐち たくや、1994年8月20日 - )は… 水口 拓弥(みずぐち たくや、1994年8月20日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は54。 小学生の頃から野球を始めると強肩強打の捕手として鳴らし、中学時代にはキャプテンとして全日本少年軟式野球兵庫県決勝大会で3位となり、プロ野球選手を志すようになる。しかし、親元を離れて野球の強豪校である広島県の広陵高等学校の硬式野球部に入部すると、周囲のレベルの高さについていけず、2年生の夏には左肩の完全脱臼で手術も経験、選手としては見切りをつけざるを得なくなる。しかし、「野球で飯を食っていきたい」との思いもあり、中井哲之監督の勧めで審判講習会に行ったところ野球の見方が変わり、野球審判員を志すようになった。
上原 健太(うえはら けんた、1994年3月29日 - )は… 上原 健太(うえはら けんた、1994年3月29日 - )は、沖縄県うるま市出身のプロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校から軟式野球を始める。中学まで沖縄で過ごす。 強豪・広陵高校で1年夏から控え投手としてベンチ入りする。2年夏にチームはエース有原航平を擁し第92回全国選手権に出場したものの登板することなく、聖光学院高校の歳内宏明に抑えられ、0-1でチームは2回戦敗退。秋からエースとなる。2年秋は準決勝で敗れ、3位決定戦にも敗れ、4位に終わり、3年春は広島県大会準決勝で秋に3位決定戦で敗れた総合技術に敗れ、夏は3回戦で敗退し、甲子園に出場することなく明治大学に進学する。
福田 周平(ふくだ しゅうへい、1992年8月8日 - )は… 福田 周平(ふくだ しゅうへい、1992年8月8日 - )は、大阪府阪南市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球解説者。右投左打。阪南市ふるさと大使。 阪南市立上荘小学校在学中に実兄の影響で7歳から上荘ドラゴンズで軟式野球を始めた。5年時の春に阪神甲子園球場で観戦した甲子園決勝で広陵高校の優勝を目の当たりにして以来、同校でのプレーを希望するようになった。後に進学した阪南市立鳥取中学校在学中には泉南ボーイズに所属し、中学卒業後は広陵高校へ進学した。 広陵高校では2年時の秋から主将を務め、3年時には「1番・二塁手」として春夏連続で甲子園球場の全国大会へ出場した。春の甲子園では打率.429・2盗塁でチームを準決勝進出に導いたが、夏の甲子園では聖光学院との初戦で歳内宏明の前に完封負けを喫した。
上本 崇司(うえもと たかし、1990年8月22日 - )は… 上本 崇司(うえもと たかし、1990年8月22日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。 実兄は阪神タイガースでプレーした上本博紀。 兄である博紀の影響を受け、小学校1年の時から「松永ソフトボールクラブ」にてソフトボールを始める。福山市立大成館中学校時代は地域の軟式野球クラブ・松永ヤンキースに所属し、3年時に西日本大会準優勝。1年秋から遊撃手、2年秋から捕手で大田泰示とバッテリーを組んでいた。 広陵高等学校では1年秋からレギュラー。遊撃手で2年春・夏、3年夏の3度甲子園に出場し2年時に1学年上の野村祐輔・小林誠司・土生翔平らと共に選抜ではベスト8。全国選手権では決勝で敗れ準優勝となった。
土生 翔平(はぶ しょうへい、1989年8月16日 - )は… 土生 翔平(はぶ しょうへい、1989年8月16日 - )は、広島県尾道市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 尾道市立美木中学校時代は尾道シニア(リトルシニア)でプレイ。広陵高等学校3年時は主将を務め、三塁手のレギュラーとして第79回選抜高等学校野球大会でベスト8まで進んだ。第89回全国高等学校野球選手権大会では準決勝の常葉菊川戦で主戦の田中健二朗から先制のソロホームランを放つなど活躍し、エースの野村祐輔、小林誠司、1学年後輩の上本崇司らと共にチームを準優勝に導いた。 高校卒業後は、早稲田大学に進学。外野手にコンバートされ、2年時の春からレギュラーに定着すると、4季連続で打率3割以上を記録し、3年時の秋には首位打者を獲得した。
上本 博紀(うえもと ひろき、1986年7月4日 - )は、… 上本 博紀(うえもと ひろき、1986年7月4日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ。 広島東洋カープでプレーした上本崇司は実弟。阪神選手時代の2014年から2017年まで選手会長を務めた。 福山市立松永小学校4年生の時に「松永ソフトボールクラブ」にてソフトボールを始めた。中学生時代には、地元の軟式野球のクラブチーム「松永ヤンキース」に所属。1年生の秋から「1番・二塁手」としてスタメンに定着すると、3年時には年間約60試合のリーグ戦で122個の盗塁を記録した。 広陵高等学校への進学後は、甲子園球場で開かれる春夏の全国大会に、1年夏から3年春まで4季連続で出場。
西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 -… 西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、指導者。右投右打。現在は読売ジャイアンツで三軍投手コーチを務める。 現役時代は読売ジャイアンツに所属。2013年に最多セーブ投手を獲得した。 広島中央シニアで投手に転向し、広陵高校では1年秋からエースとなり、白濱裕太とのバッテリーで4季連続甲子園出場。2年春は2回戦で報徳学園に、同年夏は準々決勝で明徳義塾とそれぞれ優勝チームに敗れたが、2003年春は成瀬善久、涌井秀章擁する横浜高校を破り全国制覇した。同年夏は2回戦で岩国高校に敗れた。甲子園通算9勝。1学年後輩に上本博紀、2学年後輩に藤川俊介がいる。
新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は… 新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は、広島県広島市佐伯区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、右投右打)。現在は広島東洋カープの一軍打撃コーチを務めている。 広島や阪神タイガースでプレーした新井貴浩は実兄であり、阪神では一時兄弟揃って在籍していた。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 広島市立五月が丘小学校・五月が丘中学校出身。小学5年時からソフトボールを始め、中学2年時には軟式野球で中国大会3位に入った。 広陵高校では主に一塁手を務め、3年時に4番・主将で春の選抜大会に出場。当時2年の吉村裕基が4番を打っていた東福岡高校と初戦で当たり、自ら投手として3イニングを無失点に抑えたものの、試合は4-8で敗れた。
川本 大輔(かわもと だいすけ、1982年5月18日 - )… 川本 大輔(かわもと だいすけ、1982年5月18日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手。血液型はA型。 三原中央シニア時代は全日本にエースとして出場、広陵高等学校時代は3年春にセンバツ出場、夏に広島県大会ベスト8入りを果たす。2000年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。 サイドスローから最速142km/hのストレートとカーブ・スライダー・チェンジアップなど多彩な変化球を繰り出す本格派だった。 だが、一軍登板がないまま2004年10月7日に戦力外通告を受けた。合同トライアウトを受けたがどの球団からも声がかからなかった。台湾移籍も視野に入れていたが断念し、そのまま現役を引退した。 元読売巨人軍投手の川本大輔さん 本当のスクスクのっぽくん
稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、… 稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。引退後は、野球解説者、スポーツキャスター、コーチ。 1979年に廿日市市で生まれる。中学までは投手をやっていた。後にプロでチームメイトになる3学年上の二岡智宏が骨折しても尚、監督に叱られながらブルペンで投げ続ける姿に衝撃を受け、広陵高校に入学を決意する。入学後は遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で瀬戸内高校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、同野球部では1年次からレギュラーを務め、4年秋に大学日本一となった。
二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は… 二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・野球指導者。現在はジェイプロジェクト硬式野球部監督。 広島県三次市出身。同じプロ野球選手の福原忍と小学校から高校(広陵高等学校)まで同窓であり、中学校までは二岡がエースだった。 1993年(広陵高校2年生時)の秋、翌1994年春の選抜高校野球大会の実質的な予選となる広島県秋季大会に選手として出場。10月2日に行われた同大会の準決勝を応援に向かった両親が交通事故に遭う。二岡は準決勝終了後に、母親は無事だったが父親が意識不明であることを知らされる。当日夜は病院で父に付き添い、10月3日の決勝へ臨むこととなった(この頃「自分の責任ではないか」とも思えていたという。
原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島… 原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手。野球解説者。 引退後は鉄板焼き屋・Haraya(はらや、広島市中区十日市)を経営している。 1980年、広陵高等学校の4番・捕手として、渡辺一博とバッテリーを組み、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準決勝に進むが、高知商のエース中西清起に抑えられ敗退。夏の選手権では準々決勝で藤本博史のいた天理高に敗れる。同期には、主将を務めた中井哲之がいる。 1980年のドラフト4位で地元広島東洋カープに捕手として入団、高卒で4位指名ながら捕手のエースナンバー27が与えられるも、正捕手には達川光男、サブには山中潔が控えており、内野手に転向。
須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、… 須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、投手。 広陵高校では1965年の夏の甲子園に控え捕手として出場、2回戦で報徳学園に敗退。同年秋季中国大会に同期の清水由則(日本鋼管-日本鋼管福山)、田村忠義両投手とバッテリーを組み出場。準決勝で米子東高に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1966年夏も県予選で敗退。中国地方でナンバーワンの捕手といわれ、その強肩には定評があった。3年生時には打率.280を記録。1年下のチームメートに河井昭司外野手がいる。 1966年第1次ドラフト会議で広島カープから1位指名を受け入団。1年目の1967年には1試合のみであったがマスクを被る。
小川 年安(おがわ としやす、 1911年1月1日 - 19… 小川 年安(おがわ としやす、 1911年1月1日 - 1944年7月11日)は、広島県出身のプロ野球選手。 大阪タイガース創立時の3番打者、正捕手。戦死したプロ野球選手の一人。結婚後の姓名は吉田 年安(没年および姓については後述)。 1927年、前年春選抜を制した広陵中学(現・広陵高校)の捕手として、春選抜は田部武雄と、夏の選手権は八十川胖とバッテリーを組み、更に打線も山城健三、三浦芳郎、中尾長らを揃えて広陵野球部史上最強チームと言われたが、連覇を狙った春は小川正太郎の和歌山中学に、夏も水原茂らのいた高松商業に決勝で敗れた。 翌1928年も春夏連続出場したが、いずれも初戦敗退。続いて翌1929年春は、中尾、佐々木美利、野村実に、のち慶大・阪神と同僚となる平桝敏男らがいた強力打線だったが、決勝で第一神港商業にまたしても敗れ準優勝(第一神港商業は翌年も優勝し史上初の春連覇)。