スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
谷口 朝陽(たにぐち あさひ、2004年4月3日 - )は、… 谷口 朝陽(たにぐち あさひ、2004年4月3日 - )は、徳島県三好市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 軟式クラブチームの山城ファイターズで野球を始める。生光学園中学校ではヤングリーグに所属する硬式野球部でプレーした。 広陵高等学校に進学し、3年春の広島大会で背番号1を背負い1試合に登板したが、3年間で公式戦登板はこの1試合のみだった。2学年先輩に宗山塁と渡部聖弥、1学年先輩に林燦がいた。 その後、2022年の四国アイランドリーグplusドラフト会議にて徳島インディゴソックスから指名され入団した。 2023年、春先は二刀流に挑戦し、打撃練習や遊撃手の守備練習を行った。
宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広… 宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学1年生の時に野球を始め、小学6年生の時に広島東洋カープジュニアに選出される。中学時代は軟式の高陽スカイバンズでプレー。高校は広陵高校に進学した。広陵高校では1年生の夏からベンチ入りを果たし、その夏に背番号17、2年生の春に背番号6で、それぞれ甲子園に出場した。 広陵では1年生の秋に明治神宮野球大会に出場し、チーム自体は初戦で星稜の奥川恭伸に抑え込まれコールド負けとなったが、自身は2安打を放つ。同学年に自身と同じ2024年のドラフト会議でプロ入りした渡部聖弥がおり、寮でも同部屋であった。
渡部 聖弥(わたなべ せいや、2002年8月31日 - )は… 渡部 聖弥(わたなべ せいや、2002年8月31日 - )は、広島県府中市出身のプロ野球選手(外野手、三塁手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 府中市立南小学校で1年生の時に野球を始める。府中市立第一中学校在学時は軟式野球のクラブチームである府中野球クラブでプレーしていた。 広陵高等学校に進学し、1年秋から三塁手のレギュラーに定着。2年春の第91回選抜高等学校野球大会に出場し、2回戦まで進出した。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会で準優勝した。高校通算30本塁打。同学年に、自身と同じ2024年のドラフト会議でプロ入りした宗山塁がおり、寮でも同部屋であった。
石原 勇輝(いしはら ゆうき、2001年8月30日 - )は… 石原 勇輝(いしはら ゆうき、2001年8月30日 - )は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 呉市立川尻小学校1年生の時に川尻ヤングパワーズスポーツ少年団で野球を始め、6年生時は広島東洋カープジュニアでプレーした。呉市立川尻中学校在学時は硬式野球のクラブチームである府中広島2000ヤングでプレーした。 広陵高等学校に進学し、2年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会では背番号15でベンチ入り。同年秋の中国大会では米子東との決勝で2回途中から救援登板して7回無失点と好投し、勝利に貢献した。3年春の第91回選抜高等学校野球大会では、東邦との2回戦に救援登板するも3失点し、チームも大敗した。
河野 佳(かわの けい、2001年8月23日 - )は、兵庫… 河野 佳(かわの けい、2001年8月23日 - )は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 加古川市立神野小学校3年の時に、神野スターズでソフトボールを始める。5年の時に広島市立大州小学校に転校するが、中学進学までは同チームでソフトボールのプレーを続けていた。ポジションは捕手だった。 広島市立大州中学校に進学すると、広島南シニアで硬式野球を始める。硬式野球でも捕手を務めていたが、2年の時に肩の強さを見込まれて投手に転向。 中学卒業後は広陵高校に進学。入学当初の河野は、球速が120キロ程度に留まり制球力もなかったことから、中井哲之監督から2度の野手転向を命じられていた。
中村 奨成(なかむら しょうせい、1999年6月6日 - )… 中村 奨成(なかむら しょうせい、1999年6月6日 - )は、広島県廿日市市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 3歳の時に両親が離婚してからは、広島東洋カープの熱狂的なファンである実母の下で育った。 小学校1年時から、少年野球クラブの「大野友星」で軟式野球をスタート。3年時から捕手に転向すると、フルスイングでフライを打つという指導方針の下で、5年時から俊足と長打で頭角を現した。廿日市市立大野東中学校時代には、軟式野球のチームの「大野シニアベースボールクラブ」のメンバーとして、3年時に広島県大会で準々決勝進出を経験した。 地元の広陵高校へ進学してからは、1年春の広島県大会で、背番号「20」ながら正捕手の座を確保。
大浦 颯太(おおうら そうた、1997年12月23日 - )… 大浦 颯太(おおうら そうた、1997年12月23日 - )は、広島県広島市佐伯区出身のバスケットボール選手である。琉球ゴールデンキングス所属。ポジションはポイントガード。身長182cm、体重76kg。 広島市立五日市南小学校、広島市立国泰寺中学校、広陵高等学校を経て日本体育大学に進学。1年次には関東大学バスケットボール新人戦で優秀選手賞を受賞。4年次には関東大学バスケットボール選手権大会でアシスト王、関東大学バスケットボールリーグ戦で優秀選手賞、アシスト王を受賞した。2020年2月7日、秋田ノーザンハピネッツに特別指定選手として加入。2020-21シーズンより、秋田と選手契約を結んだ。 2023年、三遠ネオフェニックスに移籍。
増田 陸(ますだ りく、1997年9月23日 - )は、日本… 増田 陸(ますだ りく、1997年9月23日 - )は、日本のプロボクサー。広島県広島市出身。帝拳ボクシングジム所属。第77代日本バンタム級王者。 広陵高校卒業後、立教大学に入学し、2020年3月、同大学を卒業。なお立教大学時代、ボクシング部主将を務めたことがある。2021年2月5日のプロテストでB級合格。 2022年7月2日、プロデビュー戦は初回KO勝ち。翌2023年5月20日、後楽園ホールでの「井上尚弥 4団体統一記念バンタム級モンスタートーナメント」1回戦で日本同級2位の富施郁哉と対戦し、7回3分00秒TKO勝ちで準決勝進出。さらに同年8月30日、後楽園ホールでの「フェニックスバトル103」にてモンスタートーナメント準決勝として日本同級王者堤聖也との日本同級タイトルマッチを行い、増田のアッパーで堤の眉間をカットさせるもプロ初黒星となる10回0-3(94-96×2、93-97)判定負けにより日本王者獲得に失敗するとともに準決勝敗退となった。
吉川 雄大(よしかわ かずき、1996年12月12日 - )… 吉川 雄大(よしかわ かずき、1996年12月12日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 広陵高等学校では3年春からエースとなり、同学年の太田光とバッテリーを組んで同年夏の第96回全国高等学校野球選手権大会に出場した。三重との1回戦で先発し、一時勝ち越しとなる本塁打を放つなど投打に活躍したが、2点リードの9回裏に同点に追い付かれ、延長11回裏に押し出し四球を与えサヨナラ負けを喫した。 東海大学に進学し、4年間でリーグ戦通算16試合に登板した。 その後JFE西日本に入社。1年目から都市対抗野球大会に登板した。 2021年10月11日に行われたドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受け、11月16日に契約金2500万円、年俸700万円で仮契約した。
太田 光(おおた ひかる、1996年10月14日 - )は、… 太田 光(おおた ひかる、1996年10月14日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 倉敷市立連島東小学校2年時に西浦少年野球から軟式野球を始め、小学5年時に捕手を始める。倉敷市立連島中学校では倉敷ドリームボーイズに所属した。 広陵高校進学後、2年秋から4番キャッチャーに定着し、3年夏は決勝で今春の甲子園に出場した広島新庄高校を破り第96回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、初戦の三重高校戦で延長11回サヨナラ負けを喫した。同期に吉川雄大がいる。 大阪商業大学では、1年春から正捕手としてレギュラーを獲得し1年春は打率1割だったが岡田明丈らをリードし、チーム防御率1.50を記録して投手陣を盛り立て、関西六大学野球リーグ優勝に貢献。
冨岡 大地(とみおか だいち、1995年2月8日 - )は、… 冨岡 大地(とみおか だいち、1995年2月8日 - )は、日本の男子バスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。 広陵高校から広島経済大学に進学し、アメリカ留学も経験。 在学中の2015年、地元からbjリーグに参戦する広島ライトニングに入団。しかし、翌年にチームは解散。 大学4年時の2017年、B.LEAGUEの愛媛オレンジバイキングスに加入。 大学卒業後の2018年、東京サンレーヴスに移籍。 2019年オフ、金沢武士団に移籍。 2022年オフ、新潟アルビレックスBBに通訳兼アマチュア選手として加入。2023年3月13日付で選手契約を解除し、以降は通訳としてチームに帯同した。同年6月30日に選手兼通訳として再契約を結んだ。
水口 拓弥(みずぐち たくや、1994年8月20日 - )は… 水口 拓弥(みずぐち たくや、1994年8月20日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は54。 小学生の頃から野球を始めると強肩強打の捕手として鳴らし、中学時代にはキャプテンとして全日本少年軟式野球兵庫県決勝大会で3位となり、プロ野球選手を志すようになる。しかし、親元を離れて野球の強豪校である広島県の広陵高等学校の硬式野球部に入部すると、周囲のレベルの高さについていけず、2年生の夏には左肩の完全脱臼で手術も経験、選手としては見切りをつけざるを得なくなる。しかし、「野球で飯を食っていきたい」との思いもあり、中井哲之監督の勧めで審判講習会に行ったところ野球の見方が変わり、野球審判員を志すようになった。
上原 健太(うえはら けんた、1994年3月29日 - )は… 上原 健太(うえはら けんた、1994年3月29日 - )は、沖縄県うるま市出身のプロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校から軟式野球を始める。中学まで沖縄で過ごす。 強豪・広陵高校で1年夏から控え投手としてベンチ入りする。2年夏にチームはエース有原航平を擁し第92回全国選手権に出場したものの登板することなく、聖光学院高校の歳内宏明に抑えられ、0-1でチームは2回戦敗退。秋からエースとなる。2年秋は準決勝で敗れ、3位決定戦にも敗れ、4位に終わり、3年春は広島県大会準決勝で秋に3位決定戦で敗れた総合技術に敗れ、夏は3回戦で敗退し、甲子園に出場することなく明治大学に進学する。
宮坂 亜里沙(みやさか ありさ、1994年2月9日 - )は… 宮坂 亜里沙(みやさか ありさ、1994年2月9日 - )は、日本の元女性ファッションモデル、元女優、プログラマ、デザイナー、アートディレクター。広島県広島市出身(生まれは大阪府)。 2007年、ローティーン向けファッション雑誌『ピチレモン』(学研)の第15回ピチモオーディションでグランプリを受賞。同年5月より専属モデルとして活動。同期には蒲田華恵と清野菜名がいた。2010年10月号で卒業した。同年11月、大学受験に専念するため芸能活動を休止。大学入学後に芸能活動を再開し、大学卒業を機に芸能界を引退した。 2023年3月21日、結婚を発表。
木村 那津美(きむら なつみ、1992年10月18日 - )… 木村 那津美(きむら なつみ、1992年10月18日 - )は、広島テレビ放送 (HTV) の女性アナウンサー。広島県広島市出身。 広島市立段原中学校、広陵高等学校、広島女学院大学文学部日本語日本文学科卒業。大学時代の2013年にはひろしまフラワーフェスティバルのPRを行う「フラワークイーン」を務めた。また、広島テレビの朝の情報番組『ZIP!』内のローカル天気予報コーナー「ひろしまお天気美人」で女子大生天気キャスターも務めた。なお、自身最後の登場回では、山口のテレビ局でアナウンサーになることを報告した。 2015年4月、テレビ山口に入社(同期は五十川裕明)。定時ニュースの他、情報番組を多く担当した。
福田 周平(ふくだ しゅうへい、1992年8月8日 - )は… 福田 周平(ふくだ しゅうへい、1992年8月8日 - )は、大阪府阪南市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球解説者。右投左打。阪南市ふるさと大使。 阪南市立上荘小学校在学中に実兄の影響で7歳から上荘ドラゴンズで軟式野球を始めた。5年時の春に阪神甲子園球場で観戦した甲子園決勝で広陵高校の優勝を目の当たりにして以来、同校でのプレーを希望するようになった。後に進学した阪南市立鳥取中学校在学中には泉南ボーイズに所属し、中学卒業後は広陵高校へ進学した。 広陵高校では2年時の秋から主将を務め、3年時には「1番・二塁手」として春夏連続で甲子園球場の全国大会へ出場した。春の甲子園では打率.429・2盗塁でチームを準決勝進出に導いたが、夏の甲子園では聖光学院との初戦で歳内宏明の前に完封負けを喫した。
上本 崇司(うえもと たかし、1990年8月22日 - )は… 上本 崇司(うえもと たかし、1990年8月22日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。 実兄は阪神タイガースでプレーした上本博紀。 兄である博紀の影響を受け、小学校1年の時から「松永ソフトボールクラブ」にてソフトボールを始める。福山市立大成館中学校時代は地域の軟式野球クラブ・松永ヤンキースに所属し、3年時に西日本大会準優勝。1年秋から遊撃手、2年秋から捕手で大田泰示とバッテリーを組んでいた。 広陵高等学校では1年秋からレギュラー。遊撃手で2年春・夏、3年夏の3度甲子園に出場し2年時に1学年上の野村祐輔・小林誠司・土生翔平らと共に選抜ではベスト8。全国選手権では決勝で敗れ準優勝となった。
吉村 卓也(よしむら たくや、1990年2月4日 - )は、… 吉村 卓也(よしむら たくや、1990年2月4日 - )は、日本の俳優・脚本家。広島県出身。広陵高等学校出身。愛称は「よしたく」。
土生 翔平(はぶ しょうへい、1989年8月16日 - )は… 土生 翔平(はぶ しょうへい、1989年8月16日 - )は、広島県尾道市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 尾道市立美木中学校時代は尾道シニア(リトルシニア)でプレイ。広陵高等学校3年時は主将を務め、三塁手のレギュラーとして第79回選抜高等学校野球大会でベスト8まで進んだ。第89回全国高等学校野球選手権大会では準決勝の常葉菊川戦で主戦の田中健二朗から先制のソロホームランを放つなど活躍し、エースの野村祐輔、小林誠司、1学年後輩の上本崇司らと共にチームを準優勝に導いた。 高校卒業後は、早稲田大学に進学。外野手にコンバートされ、2年時の春からレギュラーに定着すると、4季連続で打率3割以上を記録し、3年時の秋には首位打者を獲得した。
内藤 圭佑(ないとう けいすけ、1987年8月11日 - )… 内藤 圭佑(ないとう けいすけ、1987年8月11日 - )は、広島県広島市出身のサッカー選手。ポジションはGK。 広島・広陵高校の出身の選手としては初のJリーガーとなる。同級生にはプロ野球選手の藤川俊介がいる。 2008年に国士舘大学が天皇杯で4回戦進出した際のメンバーである(4回戦の鹿島アントラーズ戦はリザーブメンバー)。大学では柏好文と同期。 卒業後はカターレ富山に入団。2010年途中に安間貴義監督が就任すると起用され、第31節の札幌戦で初出場したが、ゴールエリアから大きく蹴り出す際に、詰めて来た相手FW内村圭宏に当ててしまい失点するという苦いデビューとなった。翌第32節の北九州戦で初勝利を経験。
上林 巨人(うえばやし なおと、1987年1月2日 - )は… 上林 巨人(うえばやし なおと、1987年1月2日 - )は、日本の男性プロボクサー。竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム所属。階級はスーパーバンタム級。広島県江田島市出身。 兄の影響でボクシングを始め、広陵高校で高校三冠を獲得。カザフスタンで行われたジュニア国際大会で金メダルを獲得。 日本大学進学後も、晴れの国おかやま国体バンタム級で大学の1年先輩向井寛史を破り優勝。2年次には全日本選手権バンタム級優勝。 3年次には世界選手権出場も1回戦で敗退、連覇がかかった全日本選手権も小國以載(芦屋大)に敗れ、北京オリンピック予選代表もライバルの萬田竜也(東農大)に奪われた。 2008年のチャレンジ!おおいた国体ではフェザー級で優勝するが、全日本選手権では同郷かつ後にプロで同僚となる丸亀光(法大)に決勝で敗れ準優勝。
新本 亜也(しんもと あや、1986年12月10日 - )は… 新本 亜也(しんもと あや、1986年12月10日 - )は、日本の女子アマチュアボクシング選手。広島県広島市出身。階級はフライ級。 中学では、陸上部に所属し、種目は中距離。広島市総体で優勝し、県大会に出場。広島県広陵高等学校入学と同時にボクシングを始める。 2005年3月1日に広陵高校を卒業。 卒業後の3月末に埼玉県で行われた全日本女子アマチュアボクシング大会に初出場し決勝進出も、後のIBF女子世界チャンピオン柴田直子に敗れ準優勝。 平成国際大学に進学するとともに関東リーグ2部の男子と共に練習を行う。 2006年、2007年共に全日本女子ボクシング大会で準優勝し2008年に決勝で柴田直子に雪辱を果たし念願の初優勝。
上本 博紀(うえもと ひろき、1986年7月4日 - )は、… 上本 博紀(うえもと ひろき、1986年7月4日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ。 広島東洋カープでプレーした上本崇司は実弟。阪神選手時代の2014年から2017年まで選手会長を務めた。 福山市立松永小学校4年生の時に「松永ソフトボールクラブ」にてソフトボールを始めた。中学生時代には、地元の軟式野球のクラブチーム「松永ヤンキース」に所属。1年生の秋から「1番・二塁手」としてスタメンに定着すると、3年時には年間約60試合のリーグ戦で122個の盗塁を記録した。 広陵高等学校への進学後は、甲子園球場で開かれる春夏の全国大会に、1年夏から3年春まで4季連続で出場。
川﨑 真澄(かわさき ますみ、1986年5月14日 - )は… 川﨑 真澄(かわさき ますみ、1986年5月14日 - )は、日本の鍼灸師。学士(鍼灸学)を有し、医薬品登録販売者、温活指導士としても活動している。 グラン治療院東京院長を務める。一般社団法人日本鍼灸協会代表理事、一般社団法人日本温活協会本部指導員。 東洋医学や温活に関する指導を行い、メディア出演や講演活動を通じてその普及に取り組んでいる。 広島県安芸高田市出身。小学生の頃より柔道を始め、広陵高等学校 (広島県)在学中に腰椎椎間板ヘルニアを発症。手術後のリハビリとして鍼灸治療を受けたことを契機に、鍼灸の道を志す。 関西鍼灸大学(現・関西医療大学)に進学。在学中は中医美容研究会の部長、関西中医学ネットワーク(KANSAI TCMN)の実行委員長を務め、東洋医学および美容鍼灸分野に関心を深めた。
田中 惇之(たなか あつゆき、1986年4月28日 - )日… 田中 惇之(たなか あつゆき、1986年4月28日 - )日本の俳優。広島県廿日市市出身。 広陵高等学校を経て、関西学院大学総合政策学部卒業。 2016年に自身が主宰する廣島神樂團を旗揚げ、歌舞伎町史上初となる神楽を上演。 2017年観世能楽堂で「月夜見」を上演。主演の月夜見尊役を務める。 2017年 自身が作・演出の一人芝居「田中惇之の一人芝居」を歌舞伎町Jimushono1kaiで一年間のロングラン公演を果たす。 2018年12月5日 東京キネマ倶楽部にて「田中惇之の一人芝居」を上演。 2021年12月3日 東京キネマ倶楽部にて「田中惇之の一人芝居 2021」を上演。 2024年 一年間毎月一人芝居の新作上演を達成。
小林 広和(こばやし ひろかず、1985年5月22日-)は、… 小林 広和(こばやし ひろかず、1985年5月22日-)は、実業家及びパーソナルトレーナー。 株式会社トゥエンティフォーセブンの創業メンバー、株式会社アウトラインの代表取締役社長 島根県浜田市出身、広島県広陵高等学校卒業。 トレーニングは独学で14歳でスタート、16歳から26歳まで格闘技を行い、総合格闘技の修斗で東日本2位の実績、その後NSCA認定パーソナルトレーナーの資格を取り2013年に24/7ワークアウトのトレーナーとして活動、2018年に女性専用パーソナルジムのアウトラインを設立、2019年に法人化、2022年現在は40店舗程の事業に成長 ・2018年にNSCA認定パーソナルトレーナー取得 ・24/7ワークアウトで2014年に年間ベストトレーナー賞受賞 ・2018年に女性専用パーソナルジムのアウトラインを立ち上げ ・2019年に株式会社アウトラインを設立 ・2020年に株式会社ネットマーケティングの運営する、みんなのパーソナルトレーニングの監修者に任命 ・2021年に美人百花のブログ記事監修者に任命 ・2021年に毎日スタイルの経営者インタビューに出演 →2018年から2022年間までに、株式会社アウトラインとして累計10000人以上の女性のボディメイクを担当する
西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 -… 西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、指導者。右投右打。現在は読売ジャイアンツで三軍投手コーチを務める。 現役時代は読売ジャイアンツに所属。2013年に最多セーブ投手を獲得した。 広島中央シニアで投手に転向し、広陵高校では1年秋からエースとなり、白濱裕太とのバッテリーで4季連続甲子園出場。2年春は2回戦で報徳学園に、同年夏は準々決勝で明徳義塾とそれぞれ優勝チームに敗れたが、2003年春は成瀬善久、涌井秀章擁する横浜高校を破り全国制覇した。同年夏は2回戦で岩国高校に敗れた。甲子園通算9勝。1学年後輩に上本博紀、2学年後輩に藤川俊介がいる。
新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は… 新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は、広島県広島市佐伯区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、右投右打)。現在は広島東洋カープの一軍打撃コーチを務めている。 広島や阪神タイガースでプレーした新井貴浩は実兄であり、阪神では一時兄弟揃って在籍していた。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 広島市立五月が丘小学校・五月が丘中学校出身。小学5年時からソフトボールを始め、中学2年時には軟式野球で中国大会3位に入った。 広陵高校では主に一塁手を務め、3年時に4番・主将で春の選抜大会に出場。当時2年の吉村裕基が4番を打っていた東福岡高校と初戦で当たり、自ら投手として3イニングを無失点に抑えたものの、試合は4-8で敗れた。
川本 大輔(かわもと だいすけ、1982年5月18日 - )… 川本 大輔(かわもと だいすけ、1982年5月18日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手。血液型はA型。 三原中央シニア時代は全日本にエースとして出場、広陵高等学校時代は3年春にセンバツ出場、夏に広島県大会ベスト8入りを果たす。2000年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。 サイドスローから最速142km/hのストレートとカーブ・スライダー・チェンジアップなど多彩な変化球を繰り出す本格派だった。 だが、一軍登板がないまま2004年10月7日に戦力外通告を受けた。合同トライアウトを受けたがどの球団からも声がかからなかった。台湾移籍も視野に入れていたが断念し、そのまま現役を引退した。 元読売巨人軍投手の川本大輔さん 本当のスクスクのっぽくん
竹本 洋介(たけもと ようすけ、1981年5月21日 - )… 竹本 洋介(たけもと ようすけ、1981年5月21日 - )は、日本のシンガーソングライター。広島市出身。
稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、… 稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。引退後は、野球解説者、スポーツキャスター、コーチ。 1979年に廿日市市で生まれる。中学までは投手をやっていた。後にプロでチームメイトになる3学年上の二岡智宏が骨折しても尚、監督に叱られながらブルペンで投げ続ける姿に衝撃を受け、広陵高校に入学を決意する。入学後は遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で瀬戸内高校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、同野球部では1年次からレギュラーを務め、4年秋に大学日本一となった。
稲田 千賢(いなだ ちかし、1977年9月30日 - )は、… 稲田 千賢(いなだ ちかし、1977年9月30日 - )は、日本の男性プロボクサー。第39代OPBF東洋太平洋ライト級王者。広島県三次市出身。帝拳ジム所属。広陵高等学校卒業、法政大学法学部法律学科中退。 アマチュアボクシングは80勝12敗。1998年、かながわ・ゆめ国体ライト級優勝を果たした。 2000年3月18日、アマチュアエリートとして6回戦からデビューし5回TKOで勝利。その後15連勝。 2004年3月20日、嶋田雄大の持つ日本ライト級王座に挑戦。10回判定まで縺れるも、判定負け。10月2日、OPBF東洋太平洋ライト級王座デニス・ローレンテ(フィリピン)に挑戦。これも12回判定で敗れる。 2005年3月5日、1戦1勝後再度デニス・ローレンテに挑み、12回判定で勝利しタイトル奪取。
二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は… 二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・野球指導者。現在はジェイプロジェクト硬式野球部監督。 広島県三次市出身。同じプロ野球選手の福原忍と小学校から高校(広陵高等学校)まで同窓であり、中学校までは二岡がエースだった。 1993年(広陵高校2年生時)の秋、翌1994年春の選抜高校野球大会の実質的な予選となる広島県秋季大会に選手として出場。10月2日に行われた同大会の準決勝を応援に向かった両親が交通事故に遭う。二岡は準決勝終了後に、母親は無事だったが父親が意識不明であることを知らされる。当日夜は病院で父に付き添い、10月3日の決勝へ臨むこととなった(この頃「自分の責任ではないか」とも思えていたという。
福岡 誠志(ふくおか さとし、1975年〈昭和50年〉6月1… 福岡 誠志(ふくおか さとし、1975年〈昭和50年〉6月16日 - )は、日本の地方政治家。広島県三次市長(2期)。元三次市議会議員(5期)。2024年度 広島修道大学特別客員教授。 衆議院議員、旧三次市長を歴任した福岡義登は祖父。
ふじい あきら(1967年3月4日 - )は、日本のマジシャ… ふじい あきら(1967年3月4日 - )は、日本のマジシャン(クロースアップ・マジシャン)。本名、藤井 明(読み同じ)。広島県広島市安佐南区沼田出身。マセキ芸能社所属。 広島市立安東小学校、広島市立安佐中学校、広陵高等学校、広島電子専門学校卒業。 21歳の時上京し、プログラマーとして会社に勤務する。しかし、テレビで見たMr.マリックの超魔術ショー、特にシガー・スルー・コインに大きな衝撃を受け、少年時代のマジック熱が再燃。プロのマジシャンになりたいという思いが募り、独学でマジックを練習。仕事の後にスナックやバーでマジックを夜更けまで披露するようになる。その結果、会社で居眠りや遅刻を繰り返し、本業が疎かになったことから、5年間務めた会社を退職し、プロのマジシャンを志す。
北島 秀一(きたじま しゅういち、1963年1月1日 - 2… 北島 秀一(きたじま しゅういち、1963年1月1日 - 2014年9月1日)は、日本のフードライター、ラーメン評論家。元新横浜ラーメン博物館広報担当。 広島県広島市出身。広陵高等学校卒。進学のため上京、大学の通学路にあった熊本ラーメン桂花に魅せられる。 大学卒業後、大手電機メーカーに就職、出張先でラーメンを食べまくる。新横浜ラーメン博物館が主催するパソコン通信ネット「ラーメンネット」への参加が同博物館のスタッフの目に留まり、1997年、テレビ東京『TVチャンピオン』第4回ラーメン王選手権に出場。決勝戦で石神秀幸との激戦の末惜敗、準優勝。これを機にこの後、同番組の問題作成委員会に加わり、また週刊現代など多くの雑誌にラーメン評論を掲載、ラーメンジャーナリストの草分けとなった。
原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島… 原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手。野球解説者。 引退後は鉄板焼き屋・Haraya(はらや、広島市中区十日市)を経営している。 1980年、広陵高等学校の4番・捕手として、渡辺一博とバッテリーを組み、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準決勝に進むが、高知商のエース中西清起に抑えられ敗退。夏の選手権では準々決勝で藤本博史のいた天理高に敗れる。同期には、主将を務めた中井哲之がいる。 1980年のドラフト4位で地元広島東洋カープに捕手として入団、高卒で4位指名ながら捕手のエースナンバー27が与えられるも、正捕手には達川光男、サブには山中潔が控えており、内野手に転向。
三迫 将弘(みさこ まさひろ、1952年4月14日 - 20… 三迫 将弘(みさこ まさひろ、1952年4月14日 - 2024年4月26日)は、日本の元プロボクサー。戸籍上は三迫 正廣(読み方は同じ)。トレーナー経て現在は、調布三迫ボクシングジム会長(東京都調布市布田1-47-1辰巳ビル6F)。旧名称は、梅ヶ丘ボクシングジム(2020年4月3日から変更)。 愛媛県新居浜市で出生し、少年時代から野球に打ち込み、新田高校から広島県の広陵高校に転校し、高2の夏と高3の春の甲子園にレギュラー、主に2番遊撃手として出場。同期に佐伯和司ら。巨人・山下哲治スカウト部長、角川博(軟式)は1学年下となる。 明治大学進学が内定していたが、野球選手としては決して恵まれていない身長173cmの体格や家庭の経済状態を憂慮しプロボクサーを志し、1971年4月叔父である三迫仁志の経営する三迫ボクシングジム入門し翌月プロデビュー。
島田 洋七(しまだ ようしち、1950年〈昭和25年〉2月1… 島田 洋七(しまだ ようしち、1950年〈昭和25年〉2月10日 - )は、日本の漫才師、タレント、作家。漫才コンビ「B&B」のメンバー。広島県広島市中区白島九軒町出身(基町生まれ)、佐賀県佐賀市在住。本名は徳永 昭広(とくなが あきひろ)。島田オフィス所属。 1980年代、漫才ブームのパイオニアとなり、月収1億円の時代から、人気急降下、そして2000年代のベストセラー作家と、ジェットコースターの様な激動の人生を歩むお笑い芸人である。その上がり下がりの人生を「シーソーか」と茶化したビートたけしの親友としても知られる。下の名前の読みは「ようひち」との表記説が多く言われているが、本人にいわく「どっちでもいいがわかりやすい『ようしち』が良い」との事(関西弁では質や七を「しち」ではなく、「ひち」と読むためである。
須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、… 須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、投手。 広陵高校では1965年の夏の甲子園に控え捕手として出場、2回戦で報徳学園に敗退。同年秋季中国大会に同期の清水由則(日本鋼管-日本鋼管福山)、田村忠義両投手とバッテリーを組み出場。準決勝で米子東高に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1966年夏も県予選で敗退。中国地方でナンバーワンの捕手といわれ、その強肩には定評があった。3年生時には打率.280を記録。1年下のチームメートに河井昭司外野手がいる。 1966年第1次ドラフト会議で広島カープから1位指名を受け入団。1年目の1967年には1試合のみであったがマスクを被る。
本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、ア… 本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、アマチュア野球監督、近畿大学野球部監督として1990年代後半に黄金期を築いた名将。広島県東広島市高屋町出身。 広陵高等学校出身だが異色の軟式野球部出身。速球派投手として活躍し国体で無安打無得点試合を達成した。近畿大学(大阪府)に進みプロ野球を目指したが肩を壊し卒業後は同大職員となり野球部コーチとなる。1972年広島六大学野球連盟所属の近畿大学工学部硬式野球部(広島県呉市、現在は東広島市)に就任。直後の部員は10数人、また自前の練習場も持たないジプシー弱小チームを、卓越した指導で同リーグでは無敵の強力チームに育て上げた。また一学部の小野球部ながら全日本大学野球選手権大会でも1980年から三年連続ベスト4に進出、1984年明治神宮野球大会では佐々木修を擁して広島六大学野球リーグ所属チームとして初の決勝進出に導いた(準優勝)。
山下八洲夫(やました やすお、1942年(昭和17年)8月3… 山下八洲夫(やました やすお、1942年(昭和17年)8月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、立憲民主党岐阜県総支部連合会常任顧問を務めた。正式な名前のほか、「八州夫」の表記も用いる。 外交官の三男として中華民国湖北省で生まれ、岐阜県中津川市及び広島県で育つ。広陵高等学校を卒業し、中央大学法学部に進学するも中退。同大学ではその後、「推薦学員卒」と認定している。 1966年5月、高校3年の時、日本社会党に入党。党参議院議員秘書を8年、国労出身の衆議院議員楯兼次郎の秘書を10年務める。 1983年の第37回衆議院議員総選挙に、楯の後継として、日本社会党公認で旧岐阜2区から立候補し、初当選した。
金澤 利翼(かなざわ としすけ、1936年8月29日 - )… 金澤 利翼(かなざわ としすけ、1936年8月29日 - )は、山口県出身のボディビルダー、トレーナー。広島県発のトレーニングジム「広島トレーニングセンター」設立者・会長、広島県ボディビル・フィットネス連盟 理事長。ボディビルディング日本チャンピォン。 2025年時点で現役最高齢となる89歳のボディビルダーであり、ボディビル界で金澤を知らない者はいないという。 太平洋戦争中は疎開先で芋を掘り、虫を捕まえ、腹の足しにしており、その頃の我慢と苦労が自分を支えているという。 広陵高等学校、広島修道大学短期学部に進学し、元々は競泳選手であったが、ボディビルダーに傾倒し始め、定職に就かずにトレーニングに集中していたという。
曽根 薫(そね かおる、1932年〈昭和7年〉1月4日 - … 曽根 薫(そね かおる、1932年〈昭和7年〉1月4日 - )は、日本の政治家、元広島県江田島市長(1期)。旭日双光章受章。 広島県出身。広陵高等学校卒。広島県安芸郡江田島町役場に入り、企画課長、総務課長、助役などを経て、2003年江田島町長に当選、1期務める。2004年江田島町は近隣の町と合併し、江田島市が発足。合併後の市長選挙に立候補し当選した。市長は1期務め、2008年に退任した。このほか広島県地方港湾整備促進期成同盟会会長を務めた。2009年春の叙勲で旭日双光章を受章。
松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年(大正9年)7月… 松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年(大正9年)7月7日 - 2009年(平成21年)8月15日)は、日本の映画監督。元海軍士官で、僧侶でもある。法名、釈 宗惠(しゃく しゅうえ)。 島根県江津市桜江町(元邑智郡桜江町)の浄土真宗の寺の五男に生まれる。小学校から井原村満行寺(現・邑智郡邑南町)に移り、中学は広島新庄中学に入学して2年生から広陵中学(現・広陵高校)に転校し、広島市へ出た。1938年(昭和13年)に卒業した後には京都へ進み、1941年(昭和16年)に龍谷大学専門部を卒業。日本大学芸術学部に移り、在学中の1942年(昭和17年)には映画に仏心を注入したいと考え、東宝演出助監部に入る。
小川 年安(おがわ としやす、 1911年1月1日 - 19… 小川 年安(おがわ としやす、 1911年1月1日 - 1944年7月11日)は、広島県出身のプロ野球選手。 大阪タイガース創立時の3番打者、正捕手。戦死したプロ野球選手の一人。結婚後の姓名は吉田 年安(没年および姓については後述)。 1927年、前年春選抜を制した広陵中学(現・広陵高校)の捕手として、春選抜は田部武雄と、夏の選手権は八十川胖とバッテリーを組み、更に打線も山城健三、三浦芳郎、中尾長らを揃えて広陵野球部史上最強チームと言われたが、連覇を狙った春は小川正太郎の和歌山中学に、夏も水原茂らのいた高松商業に決勝で敗れた。 翌1928年も春夏連続出場したが、いずれも初戦敗退。続いて翌1929年春は、中尾、佐々木美利、野村実に、のち慶大・阪神と同僚となる平桝敏男らがいた強力打線だったが、決勝で第一神港商業にまたしても敗れ準優勝(第一神港商業は翌年も優勝し史上初の春連覇)。
高田 静雄(たかだ しずお、1909年(明治42年)3月5日… 高田 静雄(たかだ しずお、1909年(明治42年)3月5日 - 1963年(昭和38年)12月10日)は、日本の砲丸投選手、写真家。 広島県広島市出身。旧制広陵中学校中退。日本陸上競技選手権大会では、1927年から1935年までの間に砲丸投げで6回優勝。1934年(昭和9年)に大連で開催された日米対抗陸上競技大会において14m13の日本記録を樹立した。この記録は1953年まで保持された。通称「砲丸王」と呼ばれた。 1936年ベルリンオリンピックに砲丸投げで出場したが予選で失格。 1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下の際、爆心地から約680メートルの中国配電(現中国電力)本店で被爆。
宋 能云(ソン・ヌンウン、朝鮮語: 송능운、1903年5月2… 宋 能云(ソン・ヌンウン、朝鮮語: 송능운、1903年5月23日 - 1980年12月27日または12月29日)は、日本統治時代の朝鮮の教員、実業家、大韓民国の政治家。全羅北道議会(朝鮮語版)議員、第5代韓国国会議員。本貫は礪山宋氏。 全羅北道沃溝郡出身。群山公立農林学校、全羅北道教員養成所を経て、1928年広島広陵中学校卒。城山公立普通学校教員を経て、慶尚南道農務課で10余年間勤務した。その後、沃溝郡庁産業技手、朝鮮米穀調査委員、新泰仁中央醸造株式会社社長、自由党所属の全羅北道議会議員、大韓国民会井邑郡副会長、井邑郡酒造組合理事長、新泰仁中高等学校財団理事、国会農林委員を務めた。 1980年12月27日、ソウル市江東区岩寺洞の自宅で持病により死去。
松本 瀧藏(まつもと たきぞう、松本 滝蔵、Takizo F… 松本 瀧藏(まつもと たきぞう、松本 滝蔵、Takizo Frank Matsumoto、1901年3月20日 - 1958年11月2日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員、外務政務次官、内閣官房副長官(政務担当)、明治大学教授などを歴任した。広島県佐伯郡廿日市町(現廿日市市)生まれ。 私生児として生まれる。家族とともに2、3歳からアメリカに渡り、カリフォルニア州フレズノで育つ。アメリカに落ち着くまもなく父が他界。母はレストランを経営する日本人とすぐに再婚。瀧藏はフランク・ナルシマを名乗るようになった。1919年、高校を卒業すると「the Fresno Athletic Club(フレズノ・アスレチック・クラブ)」に日系アメリカ人野球チームを創設した。
吉川 潔(きっかわ きよし、1900年〈明治33年〉11月3… 吉川 潔(きっかわ きよし、1900年〈明治33年〉11月3日 - 1943年〈昭和18年〉11月25日)は、日本海軍の軍人。戦死後、二階級特進して海軍少将。広島県広島市段原町出身。海兵50期。 父は漢学者。七男四女のうち、四男。旧制広陵中学(現・広陵高等学校)を卒業後、海軍兵学校を受験するが身長と胸囲不足で不合格。口惜しさから器械体操と陸軍被服廠での積荷作業で体を鍛え上げた。翌1919年(大正8年)兵学校(海兵50期)に合格。兵学校時代は成績も下の方で「寡黙の吉川」といわれるほど目立たなかった。「量も大切だが最後を決するのは質と精神だ」を口癖としていたという。 1922年(大正11年)6月1日、海軍兵学校を卒業し、同日附で少尉候補生。